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それぞれに所の風土を味わひて

さあ、

ディナーの時間だ。

今宵いただくのは、東海道をテーマにしたコース料理。

席にセットされたこの紙、
上がおしながきで、下が東海道の地図になってます。
さらに下をめくると、真ん中のラインに食材の名前が書いてあるという、好奇心をくすぐる素晴らしいデザイン。

0皿目の料理というか、
食べる前から、もうすでに食事は始まっている。
そんな感じです。

白ワインも到着し、準備万端。

ではさっそく、

一皿目の料理は、「祝杯」。

箱根の関所は山中の難所。

その箱根を越えると人は旅のひとまずの無事を祝って、祝杯をあげる文化があったそうです。

今では交通が発達し、昔よりもはるかに楽に旅ができるようになったと言われます。たしかにそうですが、しかし、金銭面や時間の捻出など、依然として旅に出るためのハードルは日常的にあるわけで……。
そんなことを考えていると、自分を含め、今日この場所に集った人たちは、接点もなく、お互いのことを知っているわけでもないけれど、そういう困難を超えてきた仲間のような気がしてくるし、そういう感覚をうまく演出するこの「祝杯」のエピソードには痺れた。

一皿目に「祝杯」をもってくる料理構成もさることながら、客がみなキッチンを囲むコの字型のカウンター席に座り、スタッフの調理、そしてピンマイクを通した一皿一皿の説明をともに聞きながら食事をする、というこのスタイルもまた、今言ったような感覚の創出に、決定的な役割を果たしていた。

一皿目から喋りすぎた…。

二皿目は、「ちはやふる」。

ちはやふる神代も聞かず竜田川

有名な和歌がすぐ頭に浮かぶけれど、
竜田揚げか、
と合点がいくまではちょっと時間がかかった。

まずお皿だけ運ばれてきて、そこへスタッフが木の板にのせた竜田揚げを配ってまわるスタイルなのだが……
こ、この板は……

百人一首の、原版。

……。

せっかく手に入ったので〜
とのこと。
しかしこんな使い方はまさに、
神代の時代にも聞いたことがない、
というべきだろう。

ちなみに原版の歌はおそらく、

これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関 (蝉丸)

歌まで「ちはやふる」で一致しているわけではない。しかし、こっちの歌のほうがかえって内容的には、今日のコース料理に似つかわしいとも言えないか。さすがにそこまでは料理人が意図したことではないのかもしれないが、それにしてもどういった思考のプロセスを経て、この一皿、この体験を生み出すに至ったのか、もっと詳しく知りたくなる。

軍鶏。

むかし読んだ「俺の教室にハルヒはいない」という小説の中で、大人の人がシャモをおいしそうに食べる印象的なシーンがあったことを思い出す。

うなぎだ。

だし巻きたまごとうなぎの相性のよさに、しみじみと気付かされる。

ナス。

遠目からは魚に見える。

金目鯛の鱗焼きと、トマト。

マジで美味い。

肉。

キノコが旨い。

うどん。

麺が手打ちパスタみたいな感じでうまい。
お腹が空いてたので大盛りにした。
大盛りにした人は、あまりいないみたいだ。

甘酒のソルベ。

このあたりでよく取れる杉を燻製に使って、ソルベが身体を横たえるための大地を作り出したらしい。どうやって作り出したのかは忘れてしまった。味はまさに大地。

わらび餅と品川巻きの小菓子。

深く沈み込むようなソルベの器とは対照的に、こちらは天上を彷彿とさせる器。まったく、最後まで心憎い……。

ふとお品書きを翻してみると、
そこにはシェフの文章が。

それぞれに所の風土を味わひて
食へば悪しきものも結構

旅行用心集(1810年刊)という、古い書物から文章が引かれていた。

ここからシェフは、当時の旅人は料理にあらわれる、その土地の風土や歴史の中に生まれ出る必然性を楽しむ心の豊かさをもっていた、と読み解く。なるほど、必然性か……。

それにしても、人が文章を読み解く姿には、それじたいに、なにか非常に心を動かされるものがあるな。

食事のおわりに、ここがブックホテルであることを思い出すような、いい文章を読ませてもらった。

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