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A word is dead —


A word is dead
When it is said,
Some say.
I say it just
Begins to live
That day.


こう言う人がいる
口に出されたとき
言葉はもう死んでいる
私はこう言う
そのときから
言葉は生きはじめる


言うことで何かが終わる。
そんな言葉がある。

社内会議で、
準備してきたアイデアを発言する。

友人との会話で、
あの映画はつまらなかったよと言う。

ある種の決意の表明は、
悩み苦しむ自分を殺すのかもしれない。

人は毎日、
何かを口にすることで、
何かを終わらせている。

ところが忙しい日々の中、
どうも終わらせてばかりもいられないらしい。

アイデアは採用されて仕事が進むかもしれないし、
批判は賞賛に値するものを探させるかもしれない。

だからむしろこう言うべきだろうか。

——何かが終わりまた何かが始まる

ことばは死んでいるからこそ、
同時に始まりをも含んでいるのだと。


これが、
精緻に刈り込まれた盆栽のような先の詩で、
ディキンソンが言おうとしたことだろうか。

そうではない、と僕は思った。

もう一度詩を見てみよう。

it just begins to live that day

it= a word であり、
that day= when it is said である。

ここにdead の入り込む余地はない。

つまりここでディキンソンは、
言葉の死を新たな生を告げるものとして肯定的に捉えようとしたのではなく、
言葉は死したものだという主張そのものに異議を唱えているのではないだろうか。

終わりと始まりを内包する言葉ではなく、
それじたいが純粋に何かの始まりであるような言葉。

中学校卒業をひかえた退屈な日に、
コンビニで偶然会った女の子に言われた言葉。

背伸びして読んだ難解な本の一節。

尊敬する師がある日ふとこぼした言葉。

言われたそのときに、
何かが分かったわけじゃない。
むしろ分からなかった。
でもなぜか、
忘れられなかった。

そういう不思議な言葉は人生の中に確かにあった。

そういう言葉を、
僕は知っている。

この言葉を僕は理解するべきだ、
ということだけが分かる。
そんな言葉を。

それは例外なく、
新しい旅の始まりだった。

意味を知る旅へ。

その日からことばは生き始める。

僕にとってディキンソンの詩も、
そういう言葉のひとつだった。

『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICHINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR

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