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Morning that comes but once, 朝は一度しか来ないがしかし…


Morning that comes but once,
Considers coming twice —
Tow Dawns upon a single Morn
Make Life a sudden price.

朝は一度しか来ないが
二度来ることを考える

一つの朝に二つの夜明け
生命はそのとき
思いがけず光る



久しぶりに再開してみました。


二行目のはじめにある「consider」は「よく考える」といった意味ですが、もともとは「星をよく観察する」という意味のラテン語から派生したそうです。
Morningという、あきらかに星側の(つまりは観察される側の)事象がconsiderの主語になっているのが、ひとつ、この詩の面白い点かと思います。

さて、内容についてですが、
一つの朝に二つ夜明けがある、とはいったいどういうことなのでしょうか。

太陽が昇り朝がやってくる、この世界の事象としての夜明け。

人が心に感じる清々しさ、苦しみのなさ、ひらめき、開放感、といったものの比喩的な表現としての夜明け。

夜明けと聞いてまずはこの二つが思い浮かびましたが、

Make Life a sudden price.

それだと、べつに二つが一つの朝に収まっていなければならない理由にはなりません。
簡単にはいきませんね……

ここから先は単なる思いつきというか、連想なのですが、

最近読んだ本に、
人は自分の見たいものしか目に入らない、という内容が書いてありました。まあ何というか、自己啓発的な本です。

見たいものが目に入っているならそれでいいんじゃないの?

とか、そういうツッコミをいちいち入れてしまっては(僕はよく入れてしまいますが…)この手の本は読めません。虚心坦懐に読み進めるとこれは、もっと自分の今は見えていない可能性に光を当てよう、そうすることが、夢を叶えたり、なりたい自分になるために必要なんだ、という主張につながっていきます。
習慣や、積み上げてきた過去が、今の自分を照らす光になる。でもその光だけでは、自分の可能性も含めた様々な側面が見えなくなってしまう、というわけです。

ここで、見えるとか、見えないとか、それが「光」の問題として語られているのが面白い。

なるほど、確かに、過去を「そういう光」として、つまりは、太陽のようにいつも目覚めるとだいたい同じ方角から昇ってきて、同じ角度で今の自分を照らすものとして捉えるのは、ありかもしれません。

すると今回の詩は、

太陽(過去の光)とは別の角度から自分に光が当たったとき、自分の人生の、思いがけない可能性が見えてくる。そんな内容を、一つの朝に二つの夜明けという、現実離れしたイメージとともに描き出した詩、ということになるでしょう。
朝=現在の自分、
太陽=過去、
そしてもう一つの光は、自分にとって未知のもの、可能性、未来からの光です。

過去は忘れればいいと思ってもなかなかできないし、また、そうすべきでもないのでしょう。

僕たちにできるのは、新しい光を取り入れつつ、過去ともまた折り合いをつけた、新解釈の自分を常に打ち出していくことしかない。

なんだか久しぶりの文章でやけに抽象的な、まとまらない話をしてしまった感じはありますが、この詩を訳してみてよかったです。


『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICKINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR

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