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久しぶりにTw○tterを開いた哲学者

ふむ…これは。
……。
つぶやくか…。


タイムライン上を流れてくる短い映像が、人々自身の願望や、それによって刺激される好意的なイメージともし無関係でないとすれば、現在の世界では、男は肉体の一部である筋肉を盛り上げることに、女は同じく肉体の一部である足や腰を細くすることに、どうやら過剰な情熱を注いでいるらしい。

これについてある友人に話してみたところ、彼は少し考えるそぶりを見せたあとで、
「ダイエットや筋力トレーニングは努力さえすればほとんどの人間が実行可能なものであり、自分に自信のない人がそういった行為の成果を鏡にうつして確認することで、自信をつけ、自分という存在に肯定感をもって生きていけるのだとしたら、それはいいことなんじゃないか、」と言った。私は大いに納得し、感心したものである。

しかしそんな会話を交わしたあとでも、久しぶりにTwi○terをひらいたときの、何だこの世界は、という違和感。世界に対する不健全だという私の感覚を完全に拭い去ることはできなかった。

したがって、この問題は別の観点から眺める必要がある。
簡潔に述べよう。
個人が努力をし、その結果から自信を得て生きていくことを否定するつもりは全くない。しかし、その努力は今、現在、世界を覆っている価値観を強化、温存する方向にしか働かない行為だ。そして、そんな世の中ではたとえムキムキであっても痩せていても人は幸福ではない、というのが私の考えだ。

今、現在、世界を覆っている価値観とはなにか。
ルッキズム(人間の容姿を礼賛する態度)と、
フェチシズム(まなざしを人間の身体の一部に限定する態度)である。

人が人にひかれ、共にいることに幸せを感じるためには、前者も、後者も、まったく関係がないはずだ。

私はそんな世の中じたいを変えていきたいと思っているので、そのためには別のアプローチが必要になる。私が筋トレやダイエットの一見華々しい活動に身を投じることができず、こうして人と会って話をするという昔からある地味な活動を細々とやっていることにはそういった事情があり、さらに必要なら肉体を筋肉ではない別の何かによってもっともっと太くしていく覚悟もある。君はどうだ?

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