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人生を創造してみる

たまたまさっき、星野富弘さんの「いのちよりも大切なもの」という詩が目にとまった。

「いのちが大切だと思っていたころ、生きてるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」

これは、星野富弘さんの詩でとても有名な一節だ。

いのちを天秤にかけるなんて、
いのちの尊さがわかっていないと思う人がいるかもしれないが、

実際のところ、この一節はいのちの尊さを再認識させてくれる。

なぜならば、
「いのちよりも大切なもの」があるということは、
人生を創造していると言い換えることができるからだ。

それは、"Exist" と"Live" の違いにある。
つまり、私たちが人生を創造していくと、いのちはいのちだけでなくなる。

「いのちよりも大切なもの」

フランスの有名な哲学者、「サルトル」を知っているだろうか?
実存主義を提唱し、一躍人気者になった彼だが、
レヴィストロースの批判により人気は低迷した。

しかし「サルトル」の実存主義は、
現代社会を生きる私たちにとって必要な観点でもある。

サルトルは「実存は本質に先立つ」と言った。

つまり、生きていく中で、
経験により私たちはいのちという実存を培っているということだ。

これは、
いのちがもともと目的や運命を持っているわけではなく、
いのちの運命は私たちが決め、
決める判断は私たちの経験によるものということだ。
(これはあくまで私の解釈だが)

無論、レヴィストロースが批判するように、
私たちの人生が平等なスタートラインに立っていないため、
制約や格差を運命と捉えることもできるが、

人生をいかに全うするかでは、
考えれば考えるほど共感できるのではないだろうか。

不思議だ。私は
「運命的」だと考えるのも好きだが、
「実存主義」にも惹かれてしまうものだ。

とにかく、星野富弘さんの「いのちよりも大切なもの」は、「実存主義」に類似しているところがあるから共有したかった。

実存主義を踏まえた上で「いのちよりも大切なもの」を象徴している話がある。それは、私が好きな「ロミオとジュリエット」だ。

モンタギュー家ロミオとキャピュレット家ジュリエット。
敵対関係にあったモンタギュー家とキャピュレット家だが、

ロミオとジュリエットはその制約と自分たちが背負うリスクを十分に理解した上でお互いを愛していくことを決めた。

中学生の頃の私は、
決められた運命を越えるほどの愛に魅了された。

最後は、お互いのいのちまでを犠牲にするという
何とも残酷な終わり方をするが、

二人の死は、生きてる時よりも生き生きしているきがした。

ロミオとジュリエットを読んでから、8年が経った。
大学3年生になった私だが、
「いのちよりも大切なもの」がまだいまいちわからない。

だけど、
少しずつかもしれないが、

人生の悲しみや楽しみなどが蓄積していく中で、
私は自分の選択に"Live"を感じている。



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