先の見えない日々がいい

想像できないから、好奇心がうずく

「ポーランドに留学していた」というと、ほぼ必ずといって良いほどに「何でポーランド!?」と驚きを持ってその訳を聞かれる。

私の所属していた神戸大学国際文化学部は、約20ヶ国から交換留学先を選択することができた。「さて、どこに留学しようか…」と悩んでいた際に掲げていた軸は3つ。

1) 地続きの隣国があること
2) 英語圏ではないこと
3) その国での生活が予測できないこと


1に関しては、日本が島国であることから物理的に多様な文化が混じり合っているであろう地域で生活してみたいという思いがあった。2・3については、正直なところ特別な理由はない。きっと、英語が公用語の地域だと、ハードな面はありながらも、生活していけることが何となく想像できていたのだろう。今の自分が予想できる未来をあえて辿りたくはなかったのだ。

そして、ポーランドの「旧共産圏」・「公用語がポーランド語」という点が当時の私の好奇心をそそった。

時差を感じてみたかった


何かを選択するとき、その先を予想することができないものを選ぶ癖がある。(すべて今思えば、なんだけど)

ワルシャワで過ごす1年間に終わりが見え始めた頃、ふと「飛行機で日本に帰国するのは面白くないな」と感じた。8時間の時差をひとっ飛びで越えてしまうことが、とてつもなく呆気ないように思えたのである。ユーラシア大陸の、想像を絶するほどの広さを噛み締めながら、日本まで移動したかった。

21歳の私にとって、それを達成する方法は「全ての行程を電車・バス・船で移動すること」だった。陸路と海路を走る乗り物は、飛行機と比べれば、まだ時差を体感できるスピードなのではないかというのが理由だ。

2010年は、まだ今のようにスマホ1つで情報を得られる環境ではなかった。同時期やそれ以前にバックパッカーだった人なら分かるだろうが、ワルシャワから日本までの旅程を組むのはそれなりの労力がいる。今のように、オンライン予約サービスが各国で整備されている時代ではなかったからだ。それに加えて、途中のベラルーシとロシアを通過するためにはビザが必要だった。それでも、「シベリア鉄道でモンゴルまで行き、中国を南下して、上海から大阪行きのフェリーに乗る」という、未知に溢れた世界を知ってしまったので、準備を進めるしか道は残されていなかった。


そうして、おおかたの寮の荷物を船便で日本まで送り、バックパックを背負って鉄道・バス・フェリーを利用しての約3週間にわたる旅路へと向かったのだった。

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