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住所不定無職日記6日目 だから私は旅に出た

 昨晩はよく眠れなかった。
 新しい宿泊者が4人増えて今までで一番他人がいるからかもしれないし、取材の興奮やフリーライターについて考えていたからかもしれない。数日前に登録した語学学習のためのパートナーを見つけるアプリを開くと、50件くらいのメッセージが来ていて見ているだけで疲れる。古本屋で買った小説を開いて、弱めの睡眠導入剤を飲み、眠くなるまで少しだけ読んだ。

 パウロ・コエーリョというブラジル人作家の「星の巡礼」という本だった。昼間に古本市で見かけて買った。この本を初めて読んだのは中学1年生の時で、場所はこのホステルから歩いて15分の場所にある中学校の図書室だった。
 読書が好きで、休み時間や放課後に本を借りるのが楽しみな子供だった。小学校の図書館と違ってラインナップの豊富な文庫の小説にのめり込んだ。最初は読みやすいミステリーばかり読んでいたけれど「三毛猫ホームズシリーズ」を読み終えると、自然と新潮社の海外翻訳小説に手が伸び、今でも好きな現代英米文学に傾倒していった。図書館の本は表紙が弱るのを防ぐために文庫も単行本もカバーが外されてビニールで包まれていて、「星の巡礼」はカバー下の装丁がシンプルで気に入って選んだのだった。

 「星の巡礼」は魔法使いになるための本だった。キリスト教やオカルトにまつわる秘密団体の一員の主人公が、実在するカトリックの巡礼路を歩きながら修行を積み、心身ともに神秘的な経験を通じて一人前の魔法使いになる。ただ魔法使いと言ってもハリーポッターみたいな超能力ではなく、呼吸や瞑想、イメージングを極めることに近くて、仏教で言うところの解脱者のような一人前の宗教者のような存在を意味していた。
 今でこそ伝えたかった内容を解釈できるが、「カードキャプターさくら」なんかにハマっていた多感な時期の私には衝撃の一冊だった。修行の内容が枠付きの別ページで具体的にまとめられていたり、調べてみたら巡礼路はスペインに実在したりで、「もしかして魔法はフィクションではない?私はすごいことを知ってしまったのでは?」とドキドキしながら読んだ。

 当時通っていた中学では、担任の先生にその日の自習内容と一言日記を書いて翌朝提出し、毎夕返事を書いて返してもらえるという今思えば過重労働の代表のような恐ろしい制度があった。自習内容は自由だったので、私はもっぱら読んでいる本の話を書いていた。普段は厳しいことで結構有名な中年の女性の担任が大人びた選書を誉めてくれて、「気になっているから感想を教えてほしい」と書いてくれたのがとても嬉しかったのを覚えている。
 結局、本を最後まで読み切ることはなく、感想は伝えられなかった。だけどこの本との出会いをきっかけに巡礼に興味を持ち、十数年後に仕事を辞めてスペインまで飛び、小説と同じの巡礼路を私が歩くことになるとはまさか先生も思いもしなかったろう。




 8時ごろに目が覚めてシャワーを浴びて朝食を食べる。アゴにニキビがポツポツできるから野菜不足かとコンビニで買っておいたカットキャベツをサラダがわりに食べる。一緒に混じっていた玉ねぎスライスが辛くて食べれたものじゃなかった。
 10時前に宿を出て市街地へ。面接を受ける企業が商業施設の中にあり、早めに行ってファーストフード店で準備しようと思っていたら、まさかの11時開店でやっていない。世界的チェーンのくせに観光地をなめすぎている。他の店を探すには時間もなく、施設内で立ったまま求人内容を見る。

 面接は約25分で終わった。次回の最終でおそらく意思確認となり提示条件にこちらが合意するかで決まるだろう。条件はそんなに良くはないけれど、求人内容より少し良くしてくれそうだ。
 面接になるとスイッチが入って躁状態になり、応募企業の多くは通過できた。特に企画・広報・営業・制作系は通過率が高い。全て未経験転職なので大企業はあまり受けられなかったが、逆に求人よりも好条件でのオファーを受けることも何度かあった。そうやってこの半年で、本当に本当に失礼なことにいくつもの企業の内定を辞退してきた。同情の余地が少しもない自業自得の無職金なしだった。

 面接後に取材の予定が入っていた。経営者のインタビューだった。取材場所の地下にある喫茶店でランチセットを頼む。どうしても面接や取材の前は、切り替えるために喫茶店に入りたかった。今時珍しく全く分煙されていない古き良き喫茶店はすぐに満席になった。心なしか高齢のお客さんが多い。ミートソーススパゲティを注文し、取材のためにインタビューの要点をまとめる。経営者へのインタビュー自体とても久しぶりなのに、しかも普段身近ではない業界だ。インターネットを駆使して個人情報を拾い集め(経営者は大体どこかで一度はインタビューを受けていて、経歴も晒してあることが多い)、質問のポイントを絞っていく。

 ランチを終えて、カメラマンと合流する。媒体の営業さんもやってくる。インタビュー相手はそもそも営業さんの知り合いなので、私だけが部外者だ。名刺も持っていない謎の女。まさか経営者も面接帰りの無職が一人紛れ込んで、しかも今後の展望なんてインタビューしているとは思うまい。

 インタビューに集中ができなかった。聞かなければいけいないことをどう聞くかの流れを重視しすぎてメモが取れない。それもこれも人数が多いせいだ。この後に及んで「そんな馬鹿な質問をするというのは、お前まさか何もわかっちゃいないのに頷いていたな」とバレるのが怖くて、会話に集中できずに相槌を打ってしまう。ボイスレコーダーに全てを託す。
 言葉を先回りして補って、言ってほしいキーワードを紛れ込ませて会話に乗せる。昨日も今日も取材相手から「うまいですね、さすがですね」と言われる。その後少し経つとそのキーワードを使って相手がコメントしてくれる。そうすると私じゃなくて相手の言葉になって記事に載せることができる。こういう小手先だけのやり方でずっとやってきた。なんとか乗り切って気まずさを残したまま解散する。職持ちの人々はみんなそれぞれの会社へ。


 帰りがけに、カメラマンさんに「メモ取らないんですか?」と聞かれる。
 それはそうだ。今時、ボイスレコーダー頼りなんてするのならアルバイトにだって書けるだろう。痛いところを指摘されてお茶を濁す。歩きながら、言葉を反芻する。

 5年近く似たような仕事をしてきたが、私はきっとこの仕事が得意ではない。だけど協調性ゼロの自分が、他人と距離を置きながら自分のペースでなんとかやれる仕事がこれだけだった。書くのも聞くのも大好きだったけれど、新卒の頃から技術が伸びていない実感があった。

 インタビューの仕方なんてそういえば教わったこともなかった。入社2週間目にコラムのために初めてインタビューした時も上司は隣で座っているだけだった。徹夜でまとめた記事もデスクに直されることはほぼなかった。「大丈夫そうだね」と言って、それからは全て一人でやってきた。だけど放任されていたというより、他人を頼る努力をしなかっただけともいえた。辛辣で親切な先輩が効率が悪すぎると指摘してくれたこともあったが、やり方を変えられなかった。
 それでも最初はメモを取っていたはずだ。ボイスレコーダーなしでも取材していた。取材ノートは何冊にもなっていた。ある時確実にメモを取らなくなった。

 覚えられなくなった。正確に言えば、覚えている記憶に自信がなくなった。何かきっかけがあったはずだ。
 多分、大きな企業を担当していた時だ。テレビのニュースで流れるような大きなニュースを担当していた。プレッシャーに負けた。早朝に眠れなくてうなされる日々が続いた。誤解して何か間違ったことを書いていたらと心配で動悸が止まなかった。今日こそ事実に反することを書いたとクレームが来るかもしれないと本気で朝が怖くて泣いていた(だけどそれも自分で必死にニュースについて勉強したり、他の人を頼るような回避方法があったはずなのにそんな努力もできなかった)。

 記憶したこと、メモしたことが間違っていたら。そう怖くなって確実に残る音声だけに変えたのだ。記憶をレコーダーに頼めば、少しだけ会話が楽になるから。メモすら音声に頼るようになった。これは本当に非効率だった。いいお話が聞けたな、と思って文字起こしすると大体1時間は4-5時間になる。それから編集をしていては締め切りに間に合わない。みんなボイスレコーダーを回すのは、聞けなかったところを念の為聞き直すためだ。文字起こしがどんどん溜まっていって仕事が追いつかなくなる。このやり方でいいなら、きっと他の人にだってできるのだ。だからしばらくしてこのやり方でしっかり潰れた。

 そうして疲弊していく中、誰かの話しを聞いて、記事にしてはいつも「いいなぁ」と思ってきた。文字起こしで何度も聞くからこそ思いは強くなっていった。私は心の底からどんな時でもどんな場合でも取材相手をすごいと思う。だから「すごいですね」「他の人にはできないことです」と本当に心から称賛する。だけど思えば思うほど、私はいつも見ているだけ、聞いているだけだと感じて苦しかった。

 いつもすごいのは取材相手だけで、いつも私は傍観しているだけ。事実を間違わずに書くだけ。どれだけ相手の口から出た想いのこもった言葉を載せようとしても、私の言葉は全く必要とされない。必要とされるだけの言葉を持っていない。

 だから、そんな気持ちが募って、ある時私は旅に出た。
 私だけの言葉を書きたかったから。


家計簿

■喫茶店 ランチ(800円、今思い出したけどスープ出すの忘れられた!)
■コンビニ チョコレート(120円)、印刷(200円)

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