弁当奔走曲__我が自炊実録(2021年2月10日)


 転居して初回のバイトで、普段入らない時間にシフトを入れてしまい、なおかつ慣れない路線に飛び入るという無茶をやってのけるため、正午からのバイトなのに朝早く起きて弁当作りに格闘を挑んだ。生姜焼きと茹でたブロッコリー、それから卵焼きで勝負をしかけた。前日に某地元大手スーパーで買った弁当に、一体どれだけ詰めれるかわかってやしない。豚ロースを3枚取り出して半分に切り、ボウルへ入れ、生姜のすりおろし、醤油、みりんをくわえ、混ぜ合わせる。一昨日にあたるカレーとカレースープはまだあった(謎の分担行動をしているカレー氏…)が、カレースープが鍋から空かないことには仕事が進まない、小さな片手鍋で見繕ったスープを飲みながら卵を溶き、野菜を茹でる用意をする。フライパンではほうれん草のアク抜き半分炒めものをしてから次に卵焼き、そして生姜焼きの順にしたが、もうすでに余熱でジンジンのフライパンは卵を茶色く少し焦がしてしまう。まあ砂糖の入れすぎなんだろうが構わない、むしろ火が通っているようで弁当にするならありがたいものだ。メインの生姜焼きは初日(つまり2月8日の自炊実録一発目)よりは生姜焼きらしく鍋に広がり、いい焼き色をつけながら自身の名に恥じぬ姿で仕上がり、さますための平皿へ転げた。空いたフライパンにつく油やたれをキャベツともやしを炒めることによって絡めとっていく。生姜焼きと一緒に入れれば、良い副菜になると考えた。
弁当箱にいざ入れる段になって初めのうちに解凍しておいた冷やご飯を敷き詰めるとおやおや卵焼きは入らぬは、ほうれん草は入らぬは、生姜焼きは入らぬは、ゆでブロッコリーは入らぬは、おやおやどうしたものか、と三次元テトリスの罠にハマってしまった。料理本などの写真を参考にどう盛り付けるか、弁当を二次元的な実態として捉えていたことは間違いない。これっくらいのべんとうばこに、おにぎりおにぎりちょいと詰めてなぞというが私の買った安物の弁当箱はおにぎりになっていない冷やご飯ひとつでどうやら他のものを敷き詰められない、狭い了見しか残さないのである。これはよかないと米の上に生姜焼きを載せた某大手弁当チェーンの生姜焼き弁当のデザインが去来し、それに倣って米の上に生姜焼きを並べたが、これはこれで生姜焼きの一枚当たりの幅が広く(市販の豚ロースがどのくらいの幅か決まりがあるかわからないが、半分に切ろうと焼こうとスマホを少し太らせたほどの弁当箱はやや窮屈らしい。それから残りのわずかなスペースへ卵焼きを2個ほど並べてみたけれどこれもどうやら収まりが悪い。弁当の深さと卵焼きの厚さが合わず、重ねてみてもはみ出すし、横に斜めにしてみても浅く空いてしまい、横幅にスペースを取ってしまい茹で野菜たちを並べることができない。なんなら生姜焼きのタレを絡めたキャベツともやしくん達は「わしら調理されたけど乗れるとこなくないか?」と早くも難民状態である。私はあれこれと思い描いた形を振り落とし、米をラップに戻し、あらしおをふりかけ三角に握り弁当箱の外へ追放したのである。
 するとどうだ。あらまと弁当箱の中に生姜焼きと彼の手下の野菜たちは寝そべるスペースを確保し、その隣に寄り添うように茹で野菜と卵焼きがするすると収まりきったではないか。

 私は安堵して箸と共に手提げに入れ、早々に出かけたのである。
 弁当三次元テトリスゲームのさなかにすでに料理たちは一定にさますことができていて、弁当臭を滲み出させることはなかったが、休憩時間が16時からということで私は12時から4時間も昼食がお預けになった。どうってことはない話に聞こえるが普段から12時、遅れても1時過ぎに昼食を摂る習慣が抜けきらぬインドア男子が突如夕方に摂らねばならぬということが、私にとってはいかに不慣れだったかを思い知らされた。弁当を食らうのに精一杯で、休み時間にちょろちょろ〜っと近くの薬局でニベアでも買おうかしらんねなんて呑気なことを考えていたが切羽詰まることになった。
ぎっしり絞られるように忙しい仕事を終え、さらにはちゃっかり作った定期券が、出勤回数の勘定を合わせるとICを買うよりもたかつくことが判明し、それの払い戻しをすることになり、帰りが21時半になってしまい、いい加減今夜は湯船に浸かろうと、一人暮らしして早5日目にして湯を張った。湯が沸くまで3日目のカレーを炒めて少しの醤油と料理酒で香ばしくしたネギを入れて食べた。ちょっとの絶望感を噛み締めてゆっくり寝たのである。

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