落ちてきているの
江本さんの自室には、天窓がある。
「えっとねえ。俺の部屋は2階で、天窓があってすりガラスだけど空が見えるんだ」
わかるかなぁ、と図に書いてくれた。
一般的な真四角の部屋に、天井に一畳分くらいの天窓がついている。
「……それがさぁ」
一昨年の6月半ばごろ。
深夜、雨が天窓を打ち付ける音を聞きながら江本さんが眠っていた時。
……――――ドン!!!!!
鈍い音が天井を鳴らした。
「すごい音。もう、隕石か雷かって……びっくりして悲鳴あげて飛び起きて、しばらく壁に寄り添って震えちゃうくらい怖かったんだよね……でも別にそれ以降音が聞こえる、って事なくて」
何だったんだろう?と思って再び眠りについたという。
「俺、目が覚めてすぐに一階に降りて家族に“昨日すごい音しなかった!?”って聞いたんだけどさ、なんも聞こえなかったって言われて」
「お前、寝ぼけて暴れたんじゃないか……」と父に笑われたので、不貞腐れてそこで会話を打ち切った。
どうやら自分以外の家族は誰も、今日のあの轟音を聞いていないらしい。
ただ、確かにあの日は物凄い音で飛び起きたことを鮮明に覚えているから腑に落ちない。
「でも実証できるわけじゃないから諦めてたんだよ」
もう昨日の夜の事は忘れてしまおう、と思い、その日は眠りについたた。
……が。
「その日からもう、天井からすっごい足音。誰か歩いてるの」
この日を境に江本さんの部屋の真上、つまり天井……屋根から足音がするようになった。
「騒音、とかではないんだよ。ひたすら歩いてる。トントントン、トントントントン、って。もしアパートで上の階のやつが歩き回ってたら苦情いれたくなるだろう?でも、俺の部屋は一軒家の二階で上の階はないんだよ。屋根しかない」
心当たりは件のあれしかない。
あの時のあの轟音がきっかけだろうという事だけは何となく理解できた。
「ぺたぺたぺた、とんとんとん。毎日足音が聞こえてウザいなって、そういう感じ。でもそれ以上はなんにもないんだよね」
夜毎、トントンという足音が聞こえると気になってずっと天窓を見てしまうが、すりガラスで真っ暗な空の色が見えるだけで何も見えないから、気になっているうちに眠りについてしまう日が続いた。
「毎日ペタペタ聞こえるけど、別にそれ以上は何にもなくて。それで半年以上もほっといたんだよ。もう慣れ切って、意識を向けないと聞こえなくなる位になっちゃったんだけど」
年明けの1月からさらに月を経て、4月頃。
ちょうど今年の桜が満開になる頃に近所の土手に桜を見に行ったのだという。
「うちの家から歩いて5分くらい先に高台になってる土手があるんだ。登ると桜並木になっててすごく綺麗な場所なんだけど」
今年、とても綺麗な桜が咲いたそうである。
なのでふと登ってみたくなった、と。
「桜を見に、休みの日の真っ昼間チューハイ片手にフラッと登りにいって」
見事な桜に感動しながらのんびりチューハイを煽った。
そして、桜並木の向こうの街並みを見下ろした。田舎の住宅街、綺麗に屋根が向こうまで立ち並んでいる。
そのうちの1つに、見えたものがあった。
「ぐるーっと見回した時、高台だから街並みがどーんと見えるんだよね。うちは田舎だから遮蔽物もないし、たくさんの家の屋根がずらーっと。もちろんうちの家の屋根も見えてるんだけど、うちの屋根の上に」
ぽつーん。と。
「人が立ってたの。女の人……だと思う、シルエットがスカートっぽくて、それがもう雲みたいに真っ白で……」
遠目からでよく見えないが、なんとなくスカートの広がりを感じる、白抜きに見えるシルエットが江本さんの家の屋根の上にぽつんと“いた”という。
(なんだあれ……!)
江本さんは面食らったが、去年からのあの出来事がまず頭をよぎったという。
ああ、あれが“落ちてきて、そのままそこにいる”のだと理解した。
流石に肝が冷えて、花見どころではなくなったから早々に帰宅する事にした。
「あんなの見たら天窓が気になっちゃって……」
不幸にも、気になっていたが気にならなくなっていたあの足音のような音が急に気になってしまった。
「日常になってたんです、あの一回きりのドォン!って凄い音、それから毎日聞こえる足音。不気味だったけど、家鳴りだとか家そのものかが立ててる音かも、だとか……そういうふうに思って聞き流してたものが、あれを見てから怖くなって」
それで、とある時の夜中。
「……消しゴム投げたんだよ、天窓に」
本を読んでいると、やはり屋根上の足音が気になってしまった。
今までなら知らぬ顔でやり過ごせていたのに、一度気になってしまうと今までのように“まあいいか”とはいかない。
少し腹が立った。
「なんなんだよ、どっかいけよ!って気持ちで手元にあった消しゴムを天窓に向けて投げたら、こつんって」
“こつん!”
“ゴン!”
消しゴムがこつんと当たる音に合わせるように天窓が鳴った。
何かが打ちつけられたような音。
思わず上を見たが、天窓の向こうには何も見えなかった。
「……もう、怖くて、なんの音かなんてわからないけど、絶対にあの“白いのだ”って思ったら……怖くなってそのまま布団かぶって寝たんだ」
その日から、足音ではなく“ごつん!”と天窓に何かがぶつかる音が時たま響くようになった。
「踏みつけてるんだ……って思ったんだよね。天窓を思い切り、ドン!って踵で踏みつけて鳴らしてるんだ……って。でも、見えないから」
これもまた喉元過ぎればなんとやら、と、そういう風に考えた。
たまに“ごつん!”という音がする。
それだけの事だ。
「それで、もう何日か前。これは本当にごく最近」
江本さんが夜中眠っていると“どすん!”という音で目が覚めた。
「……ベッドの隣、ちょうど天窓の真下の床に何かが落ちてきた音がしたんだよ。どすん!って」
人が落ちてきたような音。
江本さんにはそう聞こえた。
そしてそれ以降、天井から聞こえていた足音や“ごつん”という音は聞こえなくなった。
「天窓踏み抜いて、落ちてきて、いる、んじゃないかな。その白いやつ、俺の部屋に」
見えないから、わかんないけど……とため息をついて締め括った彼には「部屋を歩き回ったり動きがあったらまた教えてほしい」と念を押しておいた。
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