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山羊座の新月で思ったこと

※誰が悪いとかそういう話ではありません。宗教やスピ系の話もちょっと出てくるので苦手な人は飛ばして読んでおくれ。

年末からどんどん人間関係が変化している。
それはSNSだけではない。

仮に自分に同意してくれたのだとしても、
その相手(第三者)を貶めるような発言は
自分を擁護してくれたことにはならない。

というのがその人の主張のようだが、私には無言でブロックしてきた人…としか残念ながらうつっていない。ブロックする旨は伝えた…と主張されているが、本人(翠)が読んだことを確認してからブロックしてもらわないと読めなくなってしまう。結果、その方がただ単に急にブロックしてきたヒドイ人としか私にはうつらないのだ。
↑のことを何故知っているかというと、別アカで見にいったからである。私としてはブロックされるようなことはしていないという認識だったからだ。

私は仲良くする気はあったけど、出会った時から私に対するレスなどの反応がイマイチなのが気になっていた。ネットにある・ないに関わらずイヤだと思うなら無理に関わらなくてもいいのだが、それがサークルやグループなど組織的なことになると話は別である。

その方は割りと主要な人物なので、イヤでも視界に入ってくるのだ。私はその方ご自身については別に嫌ではないんだけど。ニホンゴムズカシイ。

私は基本的に嫌いな人間はいない。それは子供の頃からそうであり、学問として数秘術や西洋占星術を知ってから余計に嫌いな人がいなくなった。寧ろ、ありのままで各々が素晴らしいのだと再認識できた。それ故、私はそのグループに所属し続けることは、主催者さんやその他メンバーさんにとっては良くないのでは…と思っていた最中、また別の人にブロックされた。ますます居づらくなってしまった。

ヒトは人と接することでしか学ぶことが出来ないが、それを避けてしまうのは勿体ない気もする。
でも、自分を守ることが先決だから“ブロック”という手法が間違いだとは思わない。そして、第一に他人は変えられない。占いでも宗教でもそうだが、相手が全てが自分の思い通りに動いてくれるとしたら、それは洗脳以外のナニモノでもない。

年が明けて親族から年賀状が届いた。
私は祖父母の代から信仰しているモノがあり、教えを守ってきた。理解するためのその為に書籍も沢山読んだ。それは“仏法”というらしい。

他の宗教はオンナと畜生(動物)は成仏出来ない。成仏するには来世オトコに生まれ変わり修行を積まなくてはならない。それを“改転の成仏”という。
しかし、仏法の中の“法華経”では性別も関係ないし、動物だろうが、はたまた罪人だろうが、全てのモノがありのままの姿で成仏すると説かれている。

私はずっと何者かになろうとしていたが、どんな自分であっても素晴らしいし、さんまさんじゃないけど『生きてるだけで丸儲け』である。

そんな親族から目を疑うような年賀状が届いたのだ。

ウチの家族は父以外、病気がちである。
私は在職中にメンタル病になり、サタリタを経て、5年前から働けなくなった。昨年は経過観察していた甲状腺の病気が急に悪化したり、肝臓の数値が通常の10倍になってしまい死にかけた。
そこから死について度々考えるようになった。両親が先に旅立つのは明らかだが、残された自分はこんな状態で生きていけるのだろうか…と急に怖くなり、1年半ぶりにメンタル病院に行ったりした。体調不良の原因も未だハッキリと“コレです!”とは言われておらず、年末には胃カメラをしたりして、一つずつ可能性を潰している最中である。結局、逆流性食道炎は大丈夫だけど胃が少し荒れている…と言われただけで特に食事や生活指導などもなかった。言わなければ薬すらくれないところだった。もしかしたら、自分が思っているより軽症なのかも知れない。
しかし、捉え方はそれぞれである。知り合いに『翠ちゃんの比じゃないぐらいスゴイ体験をしている人が世の中にはたくさんいるよ。』と言われたことがあった。括弧書きで、だから大丈夫と続き、相手としては励ましのつもりであっただろう。しかし、私は逆にとても傷ついた。私の痛みや苦しみは私のものであって他の人のことは知らん。そして、誰かと比べるものでは到底ない。

そんな我が家に、某寺の地蔵を年賀状で送ってくる親族は新年早々頭がお目出度くてビックリした。調べたが、そこはその地域の観光スポットらしい。
その地域にお住まいの方や信仰している人には悪いが私たちは法華経の行者である。“無病息災”と言われても邪宗の寺の地蔵に何のご利益もないし、寧ろ迷惑だ。きっと私たちを思ってしてくれたことなのだろうと想像はつく。カードでもカップのペイジが出で、悪気はなく無邪気に送ってきたのだろう。
しかし、私の心はザワザワした。亡くなった祖父母が泣いているに違いない。

親族に祈る時には順番がある。まず、師匠の健康と長寿…と母が言ったところ『何であったこともないヤツの健康長寿を祈んないといけないんだよ!まずは自分でしょ!?』と言ってきたそうだ。

…残念ながらこの人はわかっていない。確かに自分の幸福を祈るのは間違いではない。しかし、それはエゴである。自分が幸福になったことで他人や社会にどう好影響を及ぼすか…そっちの方が大事なのである。それと、占いも宗教もどちらもだが、行動を伴わない願いは叶いません。

私はよく、素敵な恋人がほしいと思った時に願ったら行動しないと、男性なら突然〈ラピュタみたいに石原さとみさんは降ってきたりしません!〉女性なら待ってても〈石油王が迎えに来たりしません!〉とお伝えしています。

私は占いを始めたのは法華経がいうところの色々が本当であるのか知る為でした。自分のことも知りたかったけど、宇宙理論的なヤツとか量子力学的やヤツとか法華経では言い方は違うけどコレに近いなぁっていうのがいっぱいあって、私の信仰してきたモノに今のところ間違いはなさそうだと確信しました。師匠曰く、全てのことが仏法に通じているので当たり前なんだけど。私も人間なので目に見えた確証が欲しかったのだ。

で。ふと忘れかけていたけど『風の時代』のことを思い出しました。その中でも水瓶座は個(個人、個性)を大切にするから、家族とか会社とか日本人とかそういうラベル分けみたいなのが無くなって、獅子座的な“私”が沢山集まって水瓶座的な“私たち”になっていく。これからはそういう時代であること。

だとしたら、まず自分だ!と思っている親族とは意見が合いません。その他の親族たちとも実際どんどん疎遠になっていて、固定電話がなくなってしまい電話が通じなくなり、手紙を書いても返事は来ず…去年からそういうの徐々に始まっていたのです。

私は祖父母と師匠が教えてくれた仏法を根本に生涯そこから離れず生きようと思っています。
他人は変えられないのでそれを違うと思う人を無理矢理同じ方に行くように仕向けようとは思いません。

だけど。

私は、私の家族や親族、そして私の人生に関わってくれた全ての人々と“光”の方へ一緒に行きたい。
勿論、これから出会える人とも“光”の方へ一緒に行きたい。一緒に生きていきたい。

私は森羅万象は救えないけど、私とちょっとでも関わった人だけでも救われてほしいし、救っていきたいと思ってるよ。何が出来るかはわからないけど。