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ADHDの僕が経験した工場勤務(働き始めエピソード)

米粒です!

以前はスーパーで働いていた記事をいくつかに分けて書きました

しかしスーパーは皆さんなんとなく仕事が想像できると思います

今回からは自分が工場で働いていたときのことを書いていきたいと思います!

工場勤務をするきっかけ

きっと皆さんも求人誌やネットを見ていると一度は

「高収入で寮費無料!入社祝金〇〇円!〇〇の製造業務!」

と言ったような求人を見たことがあると思います

自分は22歳のとき、前回書いていたスーパーで全く稼げず1人暮らしで毎日がギリギリで生きていて余裕がありませんでした

そのときに元友達が自動車工場で働いており

「今の暮らしを抜け出すのはこれがいい」

という話をされて面接を受けに行きました

遅刻

詳しく話すと長くなるのでこの記事ではしませんが

自分はADHDの特性がフルに発揮されて

説明会に遅刻してしまいました

一応面接はしてもらえたものの

4日後くらいに不採用通知が届きました

27歳、ターニングポイント

そこからは工場は応募せず、やりたいことも特になかった自分はピザ屋のアルバイトに変わり

実家暮らしにも戻ったので

余裕こそなかったもののそこそこ生活はできていました

そして22歳から5年間、ピザ屋で働き続けました

そんな生活を続けているうちに自分は27歳になり、

「自分はこのままでいいのだろうか?」

と思う気持ちが強くなりました

同時に25歳から自分はボイトレスクールやカラオケに通い詰めて歌がかなり得意になっていて

27歳の8月には歌のオーディションにも受かりました

しかし音楽活動をしていくにはお金がかかります

そのときに5年前工場を勧めてくれた友達から再び工場を受けてみて貯金しないかと言われました

たしかに工場勤務だと実家を出ることも自立することもお金を貯めて音楽活動や自分のしたいことができる

と思っていた自分は派遣会社経由で工場を応募しました

不採用

派遣会社から面接のコツなどを教わり、しっかりと面接には臨めたと思います

しかし自分はその工場も不採用になりました

不採用通知は派遣会社を通して連絡がありましたが、理由は詳しくは伝えられていないけど

「学歴の中退と、職を転々としているのが響いていたのではないかと思います」

これには何も言い返せなかったものの

違う派遣会社から違う工場に応募しないかという案があり

そこは入社祝金は出ないけど給料は高いし、バイク通勤もできるというメリットがありました

ちなみに不採用になったところはバイク通勤ができずそこがネックになっていました

そして自分がずっと受けていた会社とは別の工場に決定しました

両親の大反対!

まず母親からは22歳のときに工場に行くという時点から反対されていました

母親いわく、かなり昔からずーっと募集がかかっていて離職率も高いし

借金とかでよほど追い込まれている人がいくところだよと言われていました

27歳で行くことにしたときも何時間もかけて母親を説得させました

あとは父親なのですが

父親はもう基本的に自分のやることなすこと全て否定するので

案の定大反対してきました

自分が仕事の話をするときもテレビを見ながら自分のことは一切見ずに(またなんか言ってるよコイツ)

といったような態度でした

話にならなかったので父には許可を取らず、何も言わずに工場に決めましたが、

出発の2日前に父親に知られて

リビングでお互いに人格否定の怒号を響かせました

「こんな家嫌だ」

「父親なんて早く〇んでしまえ」

「絶対戻ってこないからな!」

という気持ちを胸にしました

そして2018年10月15日、長く住んだ福岡を一旦離れ

自分は愛知に向かいました

続きます!



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