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週報。サービス精神が身を助ける

いわゆる中華の名店で小籠包を食べてみたのだがなんだか淡白。炒飯はパラパラしててしつこくなく、ジャスミン茶を席毎にサーブしてもらえて、ガブガブ飲んじゃった。価格帯含めてふさわしいタイミングに使えるお店。でも小籠包を食べに行くことはないかも。

噛みどころをあやまると大量の肉汁が噴出して食べづらく、油がキツクて大量には食べられない。「小籠包が食べたいな」と思った時は、そんな大味な体感を求めている。それは中華街で事足りる。

とはいえ魅力品質が高いから「もう一度行きたいな」と爪痕を残す。


受け手のために作る

何冊かのモノづくりのやり方を指南する本で創作は自己表現ではないと言われている。どうやら物書きは文章を書くサービス業らしい。

具体的な反応を想定できる特定の相手を楽しませるために書く読者を想定することと、読者のために書くこと、ができやすいのだとか。

文章に限らず、様々な媒体で同じように取り組める。
ボードゲームは文章のように一晩寝かしても読み手の気持ちになることができない。そういうわけでテストプレイ会をひたすらに重ねる。

また、「インプットの時は辞書を引け、アウトプットの時は辞書は引くな」という訓示がある。手に馴染んでいない言葉で書いても身の丈に合った文章にならないのだとか。文中の例えにもあるが、戦場の最前線で真新しい銃を撃とうとし始めるのはバカだわなと。

そう考えると毎度真新しいことをやりたがり過ぎだな、と。ワーカープレイスメントを作ってみたい、ステータス設計をしてみたい、印刷業者を通さずに目新しいパッケージのゲームを作りたい、と自己満足が先に立ち過ぎていた。今わたしは一個も売れなかった自作ボードゲームの話をしています。

そういうわけで今回はプレイ経験を積んだカードゲームベースのルールで、ちゃんと印刷業者を通すことにします。新しい試みをやるのは一個くらいまで。

今週のコンテンツ

ジョジョミュージカル

律儀に一部からやるなー、と思ってたけどミュージカル適正がある感じ。原作の大仰なセリフがミュージカルの大仰さにマッチする。

作品目当てにキャストを見ないで来た分、宮野真守がいてにっこりしたり。
めっちゃはっちゃける役者だと思ってたが宮野真守のディオは前半はおさえて、後半はたっぷりと弾けていてメリハリが強かった。「人間をやめるぞ」は思いの外静か。後半で吸血鬼になったディオは煽り満点で3部ディオの慢心が出ている。

スピードワゴンの謎のカッター帽子、迫真のseのズキュウウン、立像とキャストで作中のスケールと殺陣の両方で表現するタルカスとブラフォード。原作再現のサービス満点。

舞台での表現として電動のステージ稼働は勿論かっこいいが、ボクシングのリングが人力だったシーンの迫力が好みだった。リングの形が不安定で動き続けるが、その歪みは漫画的な構図の自由度を表現している。

総じて、ミュージカルという媒体には一部を選んだことが正しかった。以降もやるべきかというとわからない。でもジョジョの大仰なセリフ回しや物語の派手さは決して外れてはいないね、と。

アトミックブロンド

ブロンドの美女スパイが暴れ回る!と聞いて観た。単純な趣味嗜好です。そしてその通りのものが出てきたのだから文句などあるはずもない。

主演の衣装が毎シーン変わっていて、徹底的に主演を美しく映そうとしている。画面がずっと華やか。しかも結構にアクションが派手。健康的なエロスだ。じとっとしていないからりとしたすけべ。

音響に拘りを感じた。音楽が流れるには劇中で音楽をかけてるし、室内で戦う時は基本無音の中で破壊音が響く。

殺陣が泥臭くて本当に良い。かなり物理的にがっつり殴り合ってるし、室内戦が多いから家具がめっちゃ壊れる。リアルに痛そう。

脳が疲れている日になんも考えずに気持ち良くなりたい時に観ると良さそう。

『チー付与』のコミカライズ

無料だから、というのはあるが以前から信用できる有識者が変だと言ってたから気になっていた。すごく変。多分ファンタジーとしては成立してなくてそこが歪な感じ。

ファンタジー世界なのにファンタジー設定とか、ファンタジーを書きたい人が張りたい見栄が欠片もなくてキャラクターは現代人的な感性で動いてる。唐突にキッチンカーが出て来たりリアリティラインが容易に崩壊する。真面目にファンタジーをやってればそこで激萎えするところが絵のタッチ含めてギャグ展開をしているお陰で笑いに昇華されている。

期待しかたを誤るとミスマッチが容易に起こるところを巧みにコンセンサスをとっていて、妙に刺さる笑いのセンスで満足させてくれる。あんまり知らない味がする。

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