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新鮮な感想を濾過しないで使う

たしか、サバイバルクイズシティのラジオを聴いていたときに、コラボで小学館の編集者の方がゲストに来ていた。

そこへ質問メールで「編集者になるにはどうしたらいいですか?」と来てて。「昨日あった楽しい出来事をその感動のままに伝えられること」と。たしかに。

情報を受けたその時から、「どのようにSNSに投稿するか」と編集を始めちゃうし、それこそ寝てしまったら整った情報だけになってしまう。そして、新鮮な感動から伝わる個人の背景が文章に個性を与える。


わからない。わかりそう。だから興味深い

新作ボードゲームのルールを考えていて、テキサスホールデムに行き当たった。ポーカーの派生と捉えていたのだが、今ポーカーというとテキサスホールデムを指すことが多いらしい。
ルール参考として、プロのルール解説を探していて、その中でオンライン大会の配信?に。言っている戦略がなんだか難しくてわからない。

ポーカーはある局面に賭けるべきか賭けないべきかの判断が肝だと想定しながら観たが、その基準がまだ理解できない。所持金やブラフ、他プレイヤーとのコミュニケーションのために変化するよう。

しかし、わからないものを見ている時が一番楽しい。真剣に見て、考えることで何かが分かりそうだから。

「このゲームのどこで盛り上がって欲しい?」

この問いの答えを求めて、テストプレイを重ねている。ボードゲームのテストプレイ会は主にボードゲームカフェで定期的に行われていて、今まさに開発をしているのでガンガン参加してて。そこで常に問われる。
今週参加したのは↓。結構人が集まるので、単純な開発者だけでなくめちゃくちゃボードゲームに詳しい人も来る。

世界観とそれに嵌るシステムからゲームを発想する流れだと必ず壁にぶち当たる。なので、テストプレイの反応や、感想から演繹するしかない。慣れてくればイメージの世界でも発想できるのだろうか。今は新鮮な感想を新鮮な記憶のうちに解釈を通さずそのまま書き並べている。

これはハリーポッターの「みぞのかがみ」と似てるな、と。いいゲームを目指すなら心の中で本当に望むのは「楽しんでいるプレイヤーの姿」なのだ。どこかで「ゲムマで完売する自分」のイメージが先にたってないか?

今週のコンテンツ

JUSANT

やっていると、実際に壁を登っている姿をイメージする。壁と私の一対一。ホールドを持ち続ける手は自分のものではなくなっていって。離して楽になってしまいたい、けど離すと落ちてってしまう。

登りきっても周りに叫んで回りたいようなわけではなく、自分にだけ見える小さなガッツポーズ。
ボルダリングは短距離走のルート設計パズルと捉えている。ゲームの中でも、壁との戦いはそうなる。

これを遊んで楽しいのは、壁登りを追体験できる経験者だけなのかな?知らなくても経験したことのない壁登りを疑似体験できるのだろうか

崩壊スターレイル、ver.2.0、ピノコニー

更新直後からストーリーを一通り進めて、あとちょっとで泣けそうな気がした。
きっと、今の段階で解放されているシナリオだからこそある体感があると思ってて。先のシナリオを読んでから得る感情は今とは違ってしまうから、今はこの感情をもう少し舌の上で転がしていたい。

ピノコニーは、また天井が高い世界だが、屋内が多いので結構嬉しい。ジャンプがないゲームなので狭いフィールドの方が自由度と制約のバランスがよくなる。

写真を集めてヘッダーを作ろうとしたら、テストプレイ会と食事、スターレイルのスクショしかなかった。別におかしいことでは無いが寂しさはあって。
まだ当分はルールを定めずテストプレイ会を繰り返すのでこんな日々が続く。

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