鬱歴10年目、アスペルガー症候群発覚。私は、発達障がい者だった。
高校2年の12月に鬱を発症してから、9年が経った。
大学に通えなくなった私の姿を見た家族に、無理矢理連れて行かれるような形で病院に通い始め、抗うつ剤と精神安定剤を常用するようになってから、6年が経った。
今回、あえて紹介状を持たずに、6年通った病院を離れ、新しい病院に足を運んだ。
6年間お世話になった病院には、何も非は無い。
ただ、ここに通い始めて6年が経ち、6年間服薬を続けて、自分なりに必死に闘病してきたつもりではいたけれど、私の人生から鬱という病が姿を消す気配が、一向に無いことが気掛かりだった。
無論、症状が大方寛解し、良くなったこともあった。
けれど現状は、最悪だ。
今年の目標の1つでもあった、「今よりいい病院や薬に出会うこと」。
そしていずれ、薬を何も飲まずにいられる、昔同様の生活に戻れること。
新しい病院の門扉を叩いたのは、そのための一歩だった。
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今回から通うことにした新しい病院は、都内の心療内科からGoogleの口コミの良さを頼りに絞った。
星4.0以上が絶対条件、そして通える距離圏内であることが条件だった。
紹介状をあえて持っていかなかったのは、
「今までしてきた治療は本当に正しかったのか」、ということを客観的に判断してもらうため
私に対する、印象や偏見や思い込みは、全てクリアにして、私という患者について何も知らない状態の医師に、“今の私”が、“これまでの私”について、自分の口で説明したかったから
6年間で確立された、今受けている治療の、良し悪しを知りたかった。
紹介状という、他人の言葉で作られた書類ではなく、自分の言葉で説明したかった。
それが理由だ。
(でも本当は、紹介状無しでの転院は良くないことなので、あんまり真似はしないでください。病院や医師的には割と迷惑だと思います。私は一応おくすり手帳は持って行った。)
新しい病院では、予約完了後に、
鬱病重症度テスト
ASD検査
ADHD・ADD検査
認知機能発達検査
発達指数検査
の5つの検査を、ネット上で行なった。
そして来院後、受付を済ませたところで、バウムテストという簡易的な心理検査を受けた。
バウムテストとは…
内容は、A4の白紙と鉛筆を1本を渡され、「木を描け」というものだった。
画伯の私は、「一体何の罰ゲームですか…?」と思ったけれど、仕方ないから描くしかない。
以下の絵は、実際に病院で書いたものではなく、家で再現したものだが、私はこのような木を描いた。
自分の画力の皆無さに改めて絶望しながら、恥ずかしさ100%な面持ちで、受付のお姉さんに、描いた紙を提出した。
私はバウムテストの存在を知らなかったため、診察待ちの間に、バウムテストについて調べた。
私のバウムテストの結果は以下の通り。
たかが木の絵を描くだけで、人の心情とその人間の特徴と傾向を容易く拾い上げるのだから、心理学は伊達じゃないのだと知った。
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診察の番になった。
担当して下さったのは、運良く、口コミでも評価の高い院長先生だった。
先生は非常に物腰柔らかく、診察も、質問内容が順序よく整頓されていて、受け答えしやすいことこの上なかった。
これまでの経緯、これまでに受けていた治療、そして今の状況を一通りお話しした。
そして、事前に受けた心理検査の結果について説明を受けた。
先生は、私がどの障害に当てはまるのか、検査結果に基づきもうすでに把握していらっしゃったため、先生からされた質問に答えると、「あー、うんうん、そうですよね(意訳)」という反応を受けた(雑な反応だったってことではなくて、納得してたって意味ね)。
その瞬間、いや、心理検査をネットで受けていた段階から、いや、本当はもっと前から、ずっと前から、薄々そうではないかと思ったいたことが、現実になりつつあった。
私は社会人になってからずっと、
「自分は、発達障害なのではないか」
という疑問と不安を抱えて生きてきた。
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初診の診断結果は、以下の通り。
「鬱なのは間違ない。
ただ、事前の心理検査結果と、今聞いた話を踏まえて、恐らくASD、その中のアスペルガー症候群も同様に、間違いなく当てはまるだろう」とのことだった。
あくまで今回は初診のため、また具合が優れない最中の診断であるため、「アスペルガーである」という断定までは先生はなさらなかったが、「ほぼ確定である、という覚悟を持っていただいいて、これからの治療を一緒に考えていただいた方が良い」とのお言葉を下さった。
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2024年2月の、残酷なまでに青く澄み渡る晴天の平日の昼間。
この日のことは、死ぬまで忘れることはないだろう。
この日、私は、自分が発達障がい者であるという診断を下された。
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まず、「ASDとは、アスペルガー症候群とは、どのような障害であるか」ということについて。
ASD = 自閉スペクトラム症と呼ばれる障害には、3つの種類が存在する。
私の場合、
言葉の遅れ・知的障害が無い
場面によりコミュニケーションを苦手とし避けようとする傾向がある
こだわりの強さや異様な執念等がある
事前心理検査による数値がASD判定の規定値を越えていた
これらの要因から、アスペルガー症候群と診断された。
上述したように、社会人になってから、「もしかしたら自分はアスペルガーなのでは」と思ったことが、実を言うと何度もあった。
故に、アスペルガー症候群がどういう障害かということについて、これまで何度も調べたことがあったため、私の中には、アスペルガー症候群に関する事前知識が、十分すぎるほどあった。
自分が失礼な発言に値しないつもりで発した言葉で、相手を怒らせたり不快にさせてしまうことが多々あった(失言)
騒音や他人が立てる音に対して、異常なまでに過敏である
集団から省かれることを全く厭わず1人を選ぶ
他者への共感の希薄さ
興味を示す範囲や嗜好があまりに偏っている
自分なりのルーティンを他人に阻害されると、気が狂いそうになる
など、「自分は少しおかしい、他人とは何かが違っている」ということは、社会人になって、幼小中高大時代よりも遥かに多様な種類の人間と関わることによって、着実に確信へと近づいていった。
「変わってるよね」と昔から言われてきた。
学生の頃までは、自分が人とは違うことが、誇りであったのに。
「自分はどこか特別だ」という自覚は、自惚れるには、十分な材料だったのに。
でも今思えば、「変わっている」という、その他者からの評価は、「特異な性格である」という意味とともに、「障がい者だから、人とは違うよね」という意味が潜在的に含まれていたということに、26年半生きてきて、ようやく気づいたりした。
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自分が発達障がい者だとわかった。
死ぬほど絶望してもいいはずなのに、どこかほっとしている自分が居る。
今まで無神経に人を不快にしてきたのは全て、障害のせいにしていいのだ。
自分の話をするのが大の苦手で、いつも聞き役に回るそんな自分に抱いていたもどかしさは、捨てていい。
空気が読めないと言われてきた過去は、私の性格のせいだけではない。
そう、認めてもらえた気がした。
これからは、きっと、生きていくのが楽になる。
病気も障害も、
弱さも欠点も、
失敗も後悔も挫折も過去も、
認めてしまえば、全て受け入れてしまえば、
楽になる。
人生は、そういうものだと知った。
喜怒哀楽、起こる全てを、認めてしまえ。
そうすれば、人は、いくらか楽に生きられる。
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15mgまで減らしていたミルタザピンは30mgに、メイラックスは1mgから2mgに、薬は増量した。
新しい病院では、薬は上限まで増やして、それで効き目を見て、減量したり、薬を変えたりすることが大切だと教えてもらった。
同じ抗うつ剤にこだわる必要は無い、と。
また、一時期無理矢理減薬したメイラックスは、「これから次第に、別の安定剤に変えていきましょう」ということになった。
1ヶ月ごとの通院だったのが、2週間後にまた来ることになった。
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26年半、何も特異の無い人間だと思って、そんな平凡な世界で生きてきた。
それがたった1日にして、自分は発達障がい者であると定義された世界にぶち込まれた。
でも不思議と、ショックはさほど無い。
ショックの代わりに芽生えた感情は、全く正反対の、実に頼もしいものだった。
この障害と、この病気と、真に向き合って、生きていく覚悟。
全てを認めて、受け入れて、覚悟をして。
そうして迎えるこの春が、これまでの人生の中で最も、心晴れやかに過ごせる春であるように。
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