夢中に走って擦りむいた傷は、愛おしい -私の楽器愛-
ライブ業界の現場職だった仕事を休職してから、いつかはやってみたかったロングネイルにチャレンジしては、その指先の煌びやかさの虜になった。
でもその沼から自らの意志で這い出すくらいには、年が明けてから、久しぶりに楽器に触れたくなった。
長い爪では、ベースもギターも鍵盤も弾けやしない。
私の専門…というか、担当パートは、中学で軽音楽部に入部してからずっと、ベース一択だ。
ギターはエレキアコギともに持っていて、弾きたいと思ったら弾くし、仕事のためにドラムだって必死に練習した。
鍵盤は習い事でピアノを習っていたから、割愛。
パート問わず、私はやっぱり、本当に楽器が好きなのだと、初めてベースに触れた瞬間から14年が経ってから改めて思わされたりした。
とはいえ、現場に戻ったら出来なくなるため、今しか出来ないロングネイルを優先しては、竿に埃を被らせていた。
それらを丁寧にメンテナンスしては、1年…まではいかないが、ほぼ1年ぶりに、ベースに触れた。
今練習している、とある曲。
運指の難解さとタッピングの鬼畜さが魅力だった。
例え1年近く竿に触れていなくても、自分の指は案外すんなりと思い通りに動く。
そんな優越感に浸りたくて、しばらくこの曲に集中することにした。
人の身体は、本当に優秀だとつくづく感心した。
昔弾いた曲、それこそ10年以上演奏していない曲のフレーズでも、ネックに手を回せば、指が勝手に動き、自然と指板をなぞらえる。
でも、所詮は人間。
身体は正直だ。
人間の細胞は、規則正しく入れ替わる。
本当にベースプレイヤーなのかと、自分でも疑いを持つほど、私の指の腹は柔らかくなっていた。
そんな脆弱な指で、スライドを多用するこの曲はかなりダメージが大きい。
でも、やっぱり楽しくて、夢中になって、6時間近く弾き続けた。
ふと、「痛い」と思って、自分の左手を見た。
皮膚が剥け、赤く腫れていた。
湯船に浸かった時も、じんわりと痛みが感じられた。
この痛みが、嬉しかった。
懐かしいと思った。
ボロボロになった指先を気にする瞬間も、この痛みも。
指先にこびりついた鉄の匂いも。
何もかもが、懐かしく、同時に愛おしかった。
文化祭の前は、寝ずに練習した日もあったっけ。
摩擦で出来た水ぶくれが破けて、絆創膏なんて意味を為さなくて、指板を血だらけにしながら、それでも構わず弾き続けたっけ。
痛かったさ、あの時も。
そして今も。
でも、ただ、楽しかった。
「痛い」よりも、楽しさが圧倒的に優っていた。
どれだけ傷だらけになっても構わない、そう思っていた。
痛む指にも、血で染まった指板にも、構うことはなかった。
なりふり構わず弾き続けた。
楽しさに心を奪われ、無我夢中で演奏している時は、その痛みさえも愛おしかった。
血だらけになった指は、見苦しくも痛々しくもなく、ただ、誇らしかった。
上達していくにつれ、比例して硬くなっていく指先が、愛おしかった。
何故なら、自分が頑張ったことの、勲章だから。
何年経ってもベースが好きだ。楽器が好きだ。
怪我をしても構わないほど、夢中になれるもの。
私にとって、それが楽器。
*
*
*
復職してから、またそうやって、今みたいに、昔みたいに、脇目も振らずに夢中になれる何かに、この先出会えるだろうか。
夢中に走って、転んで擦りむいた傷は、愛おしい。
そんな傷を、また負うことが出来るだろうか。
そんなことを思った。
P.S.
5年前に買って3年半前くらいに先輩に貸した、K5こと、フィールディーのシグネチャー5弦、永遠に返ってこない。
楽器あるある、「借りパク」。
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