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フィナーレは見れない(キャスパー / tacica)

「君の夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ」
 
そんな歌を細美さんが歌っていて、まだ10代だった私はそれがトリビュートだと知らずに聴いていた。そして、それがきっかけでピロウズを知った。
でもたぶん、この曲はあのタイミングで出会えたのはエルレがカバーしていたからだとも思う。
 
夢が叶う、というnoteを実は以前(cinemastaffの撮影時)にも書いていたので同じような話をまた書くのもなあと思っていたけど、このnoteは収益を出しているわけでもなく、自分がいつか死ぬのならどこかに書いておかないとこの気持ちは誰にも(一部の友人には話していたけど)何処にも残らないんだな、と先日のtacicaビルボード横浜に行った夜に思ったので日記のように残しておきます。

独り言のようで、そうでもなくて。
100伝えたい言葉は200用意しないと伝わらないこの感じはもう何年も変わってないし、きっと書いた後に「こうやって書いた方がよかったかも」とか「この気持ちはきっと5年後とかに書いた方が綺麗に書けるかも」とか色々考えてしまうだろうけど、やっぱり私の言葉で残しておいた方がいいような気がしてた。
 

今日も又アナタのいない場所を手当たり次第探す
どこかへ行っても色褪せない理由
描けない夢なんてない叶わない夢なんてないって思ってたんだろう 
ひとり残り全部の命を使って
残り全部の命を使え
DAN / tacica

 
残りの命を全部使ってでも成し遂げたいことなのだろうかと、今でも自問自答してしまう。


奇跡が起きること、夢が叶う事、努力が実を結ぶこと、運命のような事を経験すること。
そのどれもが基準値なんてものはなくて、自分がそうだと思ったら全てが奇跡のように感じれるし自分の捉え方でどんな風にも思えるから良いものだけを信じるようにしてしまうのも悪い癖だけれど。
 

昨年、2022年10月に岡山の野外フェスhosioto canp2022にてtacicaの猪狩さん弾き語りと、絵描きである近藤さんの撮影をさせていただきました。
どんな経緯で、という細かな部分は割愛させてもらうけれど「夢かな」というシンプルな気持ちが強かったのを覚えているし、返答をもらったその日は地に足がついていなかったし泣きながら友人に電話したのも覚えてる。



因みに近藤さんと現場ご一緒させていただけたのはハートビートnightというイベントでした。ハポンでの空気感も相まって本当に素晴らしい夜でした。
因みに、主催の方がシンガロンの写真を見て下さった事がきっかけでお話をいただきました。とても熱量ある素敵な方で、そういったイベントや夜を残せるたびに私も胸がいっぱいになります。

そして年末、12月はRIDDLEの地元埼玉でのカラスマ撮影。彼らの地元で撮影したいという夢が叶った瞬間で親友に本当は早く言いたくてたまらなかった。
きっと彼なら飛び跳ねて喜んでくれると思うから、早く飛び跳ねて転げまわってくれるほど元気になってくれないと困るなと今でも思ってる。


あとこれは冥途の土産…となったかの有名なツイートです。(もう2021年の話だなんて信じたくないんだけど2021年らしい)
この夜も伝説でしたね。令和の時代にこの面子で見れるなんて。
もうアポロは無いけどこの写真がある限り何度でもあの夜を思い出せる。
そう思うと少しだけ心強い気がする、少しだけだけど。
9月のワンマンも撮影でお伺いします。
当たり前だけれど、大事な日を預けてもらえるという事。
もう何度もあるけれど慣れたくはないし、慣れないように気を引き締めていたい。


また、今年2023年の年始に吉祥寺WARPにて行われた明日、照らすのライブのサポートメンバーはベースtacicaの小西さん、ドラムにLOST IN TIMEの大岡さんという布陣でした。
この撮影も、昨年末に明日、照らすの村上さんの弾き語りをロックに見に行った際に、村上さんとtacicaの話をしたのが事の発端でした。
まさか東京で地元の敬愛するバンドを撮影するなんてという所も勿論あるのだけど、続けてtacicaのメンバーを撮影する、という事実は個人的にも大きな出来事でした。
村上さんが言葉を尽くして伝えてくれたこと、きちんと向き合って考えてくれたこと、生涯忘れたくないしずっと覚えていられるようにしていたい。
10代のころ、たった1人で聴いていた明日、照らすをみんなで大声だして一緒に歌った夜がある。
この記憶はこの先私を強くしてくれる事の1つでもあるし、お酒飲み過ぎて右も左もわからない酩酊状態のカウントダウンのロックでの出来事。エンドロールには必ず映像で流してほしい。

 

そしてこの事を私以上に喜んでくれた人たちが居てくれるという事実は、この上ない宝物のような存在だと何度も何度も再確認しながら私は生きていたい。
才能もないしセンスもないけど、周りの人に恵まれてるのでほんとうにそこだけは自慢できる。
 


自分で自分の性格はとても面倒な性格でとても嫌な人間だと思ってるから、できるだけ優しい人間で在れるように気を付けてはいるつもりだけど、中々そうもいかないから嫌気が差す日々なのも事実で。
それでも周りで支えてくれている人たちのおかげで何とかやれているのだと度々思う。
「あのね、自分を卑下する事と謙虚でいることは似ているようで全然違うから。だからもっと自信をもって、価値をつけてほしい」
そう言葉を貰ってからは出来るだけ自信をもって過ごしていけるように、自分自身の作品や撮影の事にも価値を見出せるようにしていた。
(そもそも、自分自身が価値をつけてあげないと何も始まらなくてという所でもある)
 
話が逸れてきてしまった。
冒頭に戻ると「君の夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ」つまり、自分自身の努力とか、その他諸々含めてって意味なんだと当時は思っていた。
そもそも、自分自身で叶えられる夢や目標と、自分自身ではどうにも出来ない夢や目標もあったりする。
この機材が欲しいから、頑張って働いてお金貯めて買うぞ!みたいな目標は自分自身でなんとかなるもの。頑張って働くしかない。そして今現在将来の夢は大きな窓がある広い家で、でっかい猫とでっかい犬と生活したい、といったところです。これは今の所目標というより夢に近いかも。
でも、宝くじ3億円当てたい!は運もないと叶わないことだったりする。あと倍率高いチケットの争奪戦とかね、毎回チケット祈願行くけどこれもまた神頼み…。
 

「夢」で調べるといろんな定義がでてくるけど、将来の夢は将来の目標にも当てはまるのだろか、とか考えてたら日が暮れたって事も少なくはないのでそれぞれの定義に関してはここには書かないけれど、実際私は自分の力だけで叶えられた事ではないものばかりだなと思ってます。
先述した、自分を卑下しているわけでは決してなくて。
ここまでたどり着くまでには、本当に本当にたくさんの人たちの縁でしかないものばかりだから。
ただの音楽が好きで、高校時代はライブ行くためにバイト漬けの毎日で、あと門限が厳しい家だったのでアンコール聞けずにライブハウスを泣く泣く後にするような生活だった。
そこからどうなってこうなった、というのは2万字インタビューくらいないと書ききれないけど(別にそんな事もない)本当にたくさんの人のおかげで叶えられた夢ばかりです。
カメラも独学で学校に行っていたわけでもないし、誰かの下について下積みしたとか代理店で働いていたとかもないので本当に周りの人たちの力だなってのはつくづく思います。
だからこそ余計にその恩や縁をくれた人たちに恥じないようにしていたい。情けない話だけど今の私は1人ではてんで駄目人間なのでもっとしっかりしたいし、泣かないようにしていたい。本当に。
その話を友人にしたら、さとみんは昔から泣いてるから今更無理だと思うし存分に泣きながらやればいいよ、と言われた。
涙腺どうこうの話でもないのかもしれない、仕方ないので泣くのは諦めるしかないのかも。
 



この出来事があったから、ここが繋がり、その写真を見てくれた人が名前を憶えててくれて声をかけてくれた、とかそんな事ばかりの縁だからその想いや恩は生涯忘れたくないな。
そんな事ばかり考えてる。言葉にしたらたったそれだけの事なんだけど「それだけ」では全然ないから忘れたくはないし、忘れてはいけないし、心の中で大事にしていたい。

たった数千文字で表せるならもう言葉なんていくら尽くしても同じかもしれないけれど、話が逸れようが長くなろうが、足を使い、目を見て言葉を尽くして話したいし、それが叶わないならこうして文字を書いていたい。
歌は歌えないけど、その歌を受けとって形に残していけるという事は何にも代えがたい事だから、悔しい思いもするし情けなくもなるし、生活をしていく上でどうしようもない事も多い。けれど100の中で99辛い思いをしていたとしても、残りの1がその99をひっくり返すという事を私は知っているので、まだ手放したくもないからここに居るのかもしれない。
 


 
日本語は美しいものをただ美しいと表現するだけではなく、それらを表す言葉は本当にたくさんあって、だからこそ難しくて素敵だと思う。
ストレートな表現だからこその威力や力も発揮されて、遠回りする表現で受け取り側の選択肢を無限にも広げてくれる物事も多い。

音楽は好きだけど詳しくなくて、メロディと歌詞の事くらいしか解らない。
だけど、多感な時期にそれらは私の世界をぐっと広げてくれた。一冊の本を読み進めるよりもはるかに多くの言葉たちが目の前に広がって、それを掬い取って眺めたり飲み込んでみたり、何年後かにその意味が分かったり。
意味合いが変化して届く事もあれば、当時その曲たちを聴きながら歩いた場所はその曲を聴けば情景がありありと浮かんでくることもある。
名曲に思い出を重ねるなというのはよく言ったことだけれども、重ねずともその曲自体が様々な感情を引き起こしてくれるのも事実。

tacicaの歌詞は難解な部分が多かったけれども、またそれが私には何度も何度も聴き、読み、歌詞カードをなぞりながら過ごす大事な時間でもあって、よく高校の図書室で辞書と図鑑を広げながら聴いていた。
そして、キャスパーを聴くたびに柔らかな、例えるならガーゼのような肌触りの良い布に包まれる錯覚に陥る。変拍子みたいな鼓動が上手く鳴らない夜を経験しているから、この歌詞の言葉を聞いたときにふいに全てのものが包まれた感覚になった。
生まれつき死ぬほどではない不整脈があって、きちんとした病名はあるのだけどそれを聞くたび真夜中の不整脈は「生命の危機ではない」のだなと言い聞かせてた。
だから、この曲に出会ってからは「変拍子みたいに鼓動が上手く鳴らない夜は良く解らない音楽の海に身を投げる」ようにしている。それがこの夜を乗り超えるための正解をもらったような気持ちだから。
 


ナニユエを初めて聴いたとき時と今聴いた時の感覚が今少し違って見えてきて、「誰の涙でも傷は塞げない」が今の感覚にすごく寄り添ってくれているから、何とか立てているようにも近い。
この悲しみは、私の悲しみで、誰のものでもないから私がしっかり悲しんでいかないといけない、といった感覚に近い。
だけど、どうにも縋りたくなるのも事実だから「心の水が空になりそうなんですが電話してもいいですか」と素直に言えていたのならもう少し違った未来があったのかもしれないな、と思ってる。
だから出来るだけ心の水が無くなる前に会いにいきたい、会えなかったのはきっとずっとこの先何度思い出しても涙する事だから。
 
中学生のころに出会って、名古屋初ライブからこうしてずっと半生ともにしてきた音楽が傍で今でも新曲聴けているというのは本当に奇跡なので、これからも変わらず足を使って会いに行きます。8月の横浜も当選して一安心。
リクエストの3曲はまだ悩んでる、端的に言って選べない。



自分のフィナーレは見れないけれど、エンドロールで名前が出たという経験はそれこそがもはやフィナーレに近いから。
(先日の出来事)

 
 
生きてるうちに会いたかった、なんてもう二度と言いたくはないなあ
 
 
 

宇宙みたいな、無数の星がきらめいている様な市バスの床。ここの場所に行かなければ知らなかったこと。


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