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相続放棄された、損害賠償と権利。

今日、弁護士に依頼していた相続人への財産放棄に関する手続きの結果が届いた。

結果、全員が令和3年の加害者死亡後1か月ほどで、加害者の息子から親と順繰りに、祖父母までが全員、昨年中に相続放棄をスムーズに終わらせていたという結果である。

殊更、驚くべき内容でもないけれども、これで私のできる法的な手続きはすべて終わったということになる。

添付書類に、「出所してしばらく父親のもとで生活していたそうですが、心臓発作で急死したようで、死亡時財産は何もなかったとのことでした。」と記載があるが、謎として残るのは、「ではなぜ、出所時の住民票が父親の元ではなく、母親のもとにあったのか。心臓発作による急死であったのなら、なぜ死亡通知までが10日も空いているのか」と言うところだ。住民票が住いの実態がないところに置かれていたら、職権で抹消されることもあるうえに、意図して母親のもとに住民票を置く必要性も全く分からない。正直に、この事件の不可解さを言うと、親による他殺だったとしてもおかしくないくらいに思っているが、私がその部分に対して考えたところで何もないので考えることはない。

なので、私が相続人に対して内容証明を届けてもらう以前に、全員が10年間、縁のなかった子どもに即座に知らされ、相続放棄していたというだけのはなしなのだ。健康的な暮らしをしている、30代受刑者が急死する、死亡通知までのラグ10日は不思議だけれども、迅速な手続きをしてくれていたので、こちらが順繰りの内容証明を送る手間は省けた。

しかし、

これって、いったい何だったんだろう。

法律と言うものは利用する立場から見たときに、良法ともなれば悪法でもある。私は、悪法も法であると思っているので、その法律がある以上は甘んじて受け入れるが、そもそもが10年間も被害者を救済せずに放っておくということ自体に問題があり、初動の段階でまずは「被害者の生活の以前との差」を極力、狭小にしておくべきだと思っている。

犯罪被害が発生した時点で、まともな思考回路が失われたと言っても過言はない。どれだけ、ロジカルに生きてきた人も生命や尊厳が危機に晒され、奪われた時には「どうしたらいいのか、この状況がわからない」と、自分が今どこにいるのかすらが分からないという現実が一方的に押し付けられる。   
あなたは明日、犯罪被害者になりますという通告など当然ない、知っているのは犯罪行為に手を染める人自身が、決意した時でその人間しか知る由もない。そういった、一方的な暴力にさらされた人間が「大丈夫です、まずはこうした手続きと、これとこれをします。そして、これをやればいいです。」と正しい相談機関と手段を知っているのかということだ。日本の教育の中で「あなたたちが犯罪被害に巻き込まれたとき」という授業は一切ない。それは、そこにリソースをさくだけのものではない故に。戦争であるとか、国民全員が被害者になるかもしれない、加害者になるかもしれない場合でも、教育として教えない時点で、そういった忘れ去られていくけれども、個人的視点で見たときには「非常に大きいイベント」に対して、誰も教えてくれない。誰も助けてくれないということ。私は、性犯罪の被害者であるが、全ての犯罪被害者の権利拡充が進むべきであると思っている。今日、私はすべての法的な権利と言うものを失ったということを受けて、改めて考えるのは、あまりにも年数が掛かりすぎているということである。犯罪被害に遭った時点では想定や算出できていない、確定的な被害というものが後に生まれることは往々にあるにしても、確定的にかかってくる一時的な部分くらいは、状況から判断して、サポートは必要になると思う。

「困っていることが言えること」が条件になったような、救済では取り残されてしまう人が必ず生まれる。その困っていることを事実状況から判断する第三者がいてもよいと思う。

私が戦ってきた10年と言う時間は、生産的な時間ではなかった。加害者が死亡したというところで、「怒りをぶつける人間」や「法的に求める人間」がこの世から消え去り、自身の内面とこれからはずっと闘争していかなければいけない。カウンセリングで語るたびに、私は白黒の線だけの被害の絵に色を少しずつ付けていく。不完全なその絵を見るたびに私は「間違っていた」と思うことや「後悔」と言うものを反芻する。その切りつけられるような痛みも、抱えさせられたような義務感もすべて自分で持っていかなければいけない。紙切れかもしれないけれど、私にとってはあまりに重みが過ぎる、紙切れなのだ。

生きている間に答えと呼べるような世界にたどり着かないかもしれない、私が「これを求めていたんだ」と言う法整備になることはないかもしれない。けれど、ここで「私が生きているうちに見れないなら意味がない」とあきらめて、新たな被害者にその法整備を担わせるのは違うのではないかと思う。

加害者を恨むという感情論は一生私の中に存在し続けると思う。それは、私が人としての尊厳や感情を持っている限りは、仕方がないことだと思う。しかし、感情論ばかりで世の中に「こんなに辛いんだ、こんなに不条理なんだ、だから法律を変えてくれ」と言うのはとても簡単なことだろう、だって、感情論で叫ぶ行為はすでに私もやっているから。声の大小に関わらず、ある程度のロジックと根拠を持たせた主張であるべきだと思う。

ちょっぴり、欲を言わせてほしい。私のこの10年を一方的に死と言う、不可解な終わり方で終わらせるのはあまりに乱暴ではないかな。先週のカウンセリングで「加害者はこの世に何をしに来たんだと思う」と話した。私自身、この世に何しに来たかなんてわからない。この世に生まれたかったかと言えば、殊更生まれたいと思うこともない。けれど、生まれてきてしまった。「生と言う暴力」と「死と言う暴力」の間の一瞬だけでも、人として自由であり、意味を持たせるものが出来なくとも温みのあるものに出来るのではないだろうか。人を傷つけ、責任を取ることもなく死ぬというのは、とてもインスタントで暴力なのだ。その暴力を私は受け止めていく努力をしなければいけない、ひとりきりで。むなしすぎる作業に没頭することを私になぜ、与えて消えていったのか。生きなおすという努力は選択肢の一つとして浮かぶことはなかったのか、どういった最期かはわからないけれど、いつか私もたどり着く「最期」を生き急いだならば、とても愚かだし弱い。     
見たくなかった暴力的な現実の被害、死と言う暴力も同じくらいに私にとっては、辛いものだ。返してほしいと思うことは毎日ある、きっと、加害者の両親よりも毎日、加害者であるあなたのことを悪い意味で思っていた。私をこれ以上、絶望させないでくれと祈り1日、1日を生きてきた。

結局、こうやって残虐を尽くして死ぬならば、初めの罪に手を染める前になぜ死を選ばなかったのか、私の知らないところで知らない間に死んでくれなかったのか。そういう風にも思う。けれど、私はもう、加害者のあなたと出会ってしまったから、残虐に次ぐ残虐を「甘んじて」受け入れるほかない。四面楚歌の状態で、両手を挙げている。

私の中に浮かぶ、新しい「憎しみ」の気持ちをこれ以上引っ張り出さないでほしい。今、私は頭に浮かんだことをそのまま打ち込んでいる。だから、文法も滅茶苦茶かもしれない。ここでロジカルに書くことだってできるかもしれない、それは違うのではないかと思う。

どうして、当事者である被害者が蚊帳の外に押し出され、何も真実を知ることなく馬鹿みたいに紙切れを大事にして生きていたのか。私は、性善説を捨て去りきれなかった人間だと思った。人は対話で解決できる、人は変われると思っている。しかし、無理だったということを自分自身が受け入れるのはとても滑稽である。

形容のしようもないこの感情にも、名前をつけたい。いまはそんな風に思う。世の中が、非情にも過去のものにしていくこの被害は、私の中では常に先頭に在り、消え去りはしない。

であれば、私はこの日本の中で埋もれ切っていく、統計に成り下がっていく犯罪被害者の権利拡充のことを思う。私たち被害者を無視した法案ではなく、たくさんの被害者の声が反映された法案であるべきで、世の中が移ろいゆくたびに法は形を柔軟に変えるべきだと思う。今、血の気が引くような感覚に陥った。あまりに果てしなさ過ぎて、この100年の平和も守り切れないような今なのに、どうやってそれを形にすればいいのかと。       主張するなら、感情論だけでは唱えられない。けれど、感情論が先行してしまう。そのダブルバインドをロジカルに説明していくことしかできない。私と言う、不完全な人間が唱える正義と言うものは幼すぎて、主張ともならないかもしれないが、人は常に失ったらそれを回復する機会を有していて、そのためにであれば人生をかける人もいるということ。歴史の中のリレーションシップを繰り返す中で、その都度の修正を入れてもらえさえすればいい。

犯罪被害者になった時点で勝つ人はいない。法的に勝利と言うことは存在しても、その勝利が真の人生の勝利と成り得ることは絶対にない。被害回復の機会を完全に損失し、立ち尽くすだけのこの状況で自分に言える言葉は、もう「自分のためだけに生きることは不毛」だということだ。私は、十分に恵まれている。愛する人がそばにいて、砂糖の様に甘い世界で生きている。本当の悲しさなんて知らないで生きている。絶望するにはあまりに早すぎるし、自分の世界全てを玉砕させてまで瀕死の侍の様に生きることも違う。あまりに、私が思ったよりも非常な「今日の現実」に今日と言う日を、与えて再度生きていくために何をしたらいいのかを考えるほかない。それ以外に、今の私に浮かぶことはない。

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