言葉の中にでも涙の中にでも
「整合性」という言葉があるが、私は片一方の話だけを聞いてジャッジをできる立場にある人間ではない。
双方の意見を聞いて、捲っていく中で「ああ、そういうことか」と新発見をすることがある。悲しいが虚偽に虚偽のような言葉を連ねて、本人の世界ではそれが「真実」になっている場合、もう私には手の打ちようがない。
あくまで、私は善意の第三者であって、できることに限界もある。
自身の人生やその他もろもろを掛けてまで「賭す」と言うことが出来るわけもない。
対話の中で私は、相手を否定することは極力