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言葉の中にでも涙の中にでも

「整合性」という言葉があるが、私は片一方の話だけを聞いてジャッジをできる立場にある人間ではない。
双方の意見を聞いて、捲っていく中で「ああ、そういうことか」と新発見をすることがある。悲しいが虚偽に虚偽のような言葉を連ねて、本人の世界ではそれが「真実」になっている場合、もう私には手の打ちようがない。
あくまで、私は善意の第三者であって、できることに限界もある。
自身の人生やその他もろもろを掛けてまで「賭す」と言うことが出来るわけもない。
対話の中で私は、相手を否定することは極力無いようにしている。
それは、敢えて相手の言葉を否定するだけのメリットが一切ないからである。
私は今月22日で犯罪被害者となって11年目となる。
今でも精神的、身体的な後遺症と向き合いながらも、自殺を選んだ
加害者に対して、今では畏怖の念すら抱きそうなくらいに憎しんだ。
しかし、私は恵まれていたのだ。

「肉を切らせて骨を断つ」

ということが「法」という中で存分に出来たからだ。
どの場面であっても厭世的にかつ、斜に世の中を見下しながら
私は戦い抜くことが出来た。

しかし、失ったものはあまりにも多かった。
この特に数年は取り返すことが出来たものもある、そこの努力に関しては
自身を認めてもいいと思っている。
あるアーティストの曲のタイトルで、

「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」

という文言がある。
これは、1日が終わってから「今日が晴天だった」と振り返ることが出来るという意味であろうと私は解釈している。
何事も1日にして完成や終結するものではない。
相手の人生をめちゃくちゃに壊してしまいたい衝動に駆られても、
壮大な返しのために私は10年でも待った。
そして、どんな結果になっても私は甘んじて受け入れるというスタンスで。

人が努力できる理由として「怒り」が原動力になることが多い、
そういった、ディスアドバンテージとも思われることもポジティブに考えたらいい、何が原動力であろうが自身が願う、求める形を得るためには
誠実に何も人質とせずに誠実でなければいけないが、逆説として

「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」

これは悪人に報いるのは神だけという、新約聖書のなかの文言がある。

これは、老師の言った

「天網恢恢疎にして漏らさず」

と同義のようなものである。

人が人を裁くというようなことには様々な問題がある。
それは、時代、国、ダイバーシティなど様々なハードルで、時として悪法も法であると、犯罪被害者に強いることがある。
勝てば官軍負ければ賊軍と言わんばかりに。

こうなると臥薪嘗胆の気持ちをどうするか、

「今ある法の中で最善の策を得る」

しかないのである。
これを自身の力で法という外で果たしてやろうとした場合、
確実に穴を二つ掘っていなければいけないということになる。
私は、「法」のみで報復的には在るべきと思っている。

この世の中で自身のみに降りかかる不幸というものの多くは、
「自己責任」であると思っている。
例外的に不遇に襲われ奪われる幸福もある。
今、私は、犯罪被害者という社会的マイノリティであるが
精神的な治療(カウンセリングや服薬)と肉体的な治療
[(ブロック注射や弱オピオイドの服薬)をしている。
もうここまでくると「加害者」を恨んでもはじまらないのだ。
恨み続ける限り、能動性というものは全く生まれない。
ここで、一旦すべてを被害に結び付けるリンクを外すことで
少しずつ、能動性は生まれてきたような気がする。
私は、裁判員裁判という逆転が望める、求刑上回りが望める
ターンを得た。結果的に、求刑7年に対して当初は4,5年で終わるだろうと思ったが、意見陳述で「最低10年は」と現実的に且つ、裁判員の琴線に触れる言葉を紡ぎだすことが出来たと思っている。
そのあとの損害賠償命令制度でも、2回目の民事でも満額勝訴できた。
合計額2000万程度の債権を持てたが、加害者の自殺で請求権は消滅した。

いきなり、2000万の請求権を失ったという書面を見ても
全く動揺しなかった。
私は、加害者が自身を死刑にしたのだとしか思わないようにしている。
恨む対象がこの世の中からいなくなるということは果てしない苦しみを
私に与えていった、一種の暴力の様に。
だがしかし、それも恵まれていたのかもしれない。

加害者が収監されていた期間は、控訴、上告の間の拘置所と刑務所で
合計10年間である。
その間、私は外で会社員やフリーランスとして働いていた。
それも全て、「あいつも懲役やってるんだから、私は社会人たれ」と
その気持ちだけである。
私から怒りをとったら、もう何も残らないと。
振り返れば人生ですべてが怒りを原動力にしたものだった。
それでもどこかで、私は幸福の実現に向き合ったのだと思う。
自分は1人で生きていると思っていたけれども、人は灯り1つ1人では灯せないと心から知ったのは18歳の時だった。
それまで私は、そんな大事なことに気づかなかった。
そして、自分だけが努力をしているというような錯覚を恥じるように。

生きることに時として疑問を抱くこともある。
しかし、いまこの時代は縛られなくても生きていける。

「概念」


に縛られることなく、優しく壊れることなく生きていけば「許す」と言うことに目を向けることが出来る、きっと。
愛別離苦、四苦八苦や煩悩と執着に駆られるという人間らしさの中で、
死ぬまでに悟れば人は勝ちなのである。





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