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マインドコントロール

腰痛がひどい。痛くて、足がしびれる。
事件時に負った、第二腰椎圧迫骨折の後遺症で
骨折した部分が脊柱管に触ってしまっているからなのだが。
当時、年末で整形の専門医がおらず
いたら、セメントなどの対応ができたかもしれない。
コルセット作成も時間が掛かり、かなり回復に時間が掛かった。
症状固定の診断書を見ても、

「完治の見通しなし」

と所見欄に記載があった。

会社員をしていた時は、時差出勤にしてもらい毎日2本注射を打ってから
出勤をしていた。今は、在宅だがよく会社員なんてやってられたなと思う。
正直に言えば、どうでもよかった。
したくない業種の仕事を生きるためだけにするという惰性。
極力、幼いころから感情を動かすことが嫌いでしかたがなかった。
感情が存在する意味もわからないし、本当に笑わない子だった。
生きていることに疑問すら抱く幼稚園児がまともに大人になれるわけがなかった。

世間から、「笑う浮かれた私」というおかしな期待というトラップを仕掛けられて実家を出てから気づいたとき、私は本当に笑ったと思う。

「別に生きてるだけでいいんだ、学歴や職業、年収で測られない」

そう感じたときに初めて「生」ということに能動的になった。
それまでの私というのは、単なる世間体のために存在しただけであって、
基本的に実家の親族に対して希薄な意識しかない。
人に死ぬほど依存して生きていくという人の気持ちはわからない。
人にそこまで関心がないのだから。

人に期待もしていない。

だって、私じゃないから。

だがしかし、期待も何もしていないのに悪い形で近寄って搾取するだけする人がこの世の中に存在してしまう。

私は、11年前に加害者に人生で1番悪い形で接触されてしまった。
それがなければ、疼痛に苦しむこともない。
今、疼痛ラダーを見ているがモルヒネ換算をして切り替えるか、
どうすればいいか、考えあぐねいている。

数日前、あまりにひどい疼痛にただ吐くだけだった。
「もう殺してくれ」「死なせてくれ」と言葉に出していった。
痛いから、死ぬしかないという思考回路に行きつくのだが。
入院させてくれとも。
これも、一つのパラドクスである。

今日、主人に「〇〇ちゃん(子供)と一緒に勉強したら?」と言われた。
今の私にそのような集中力がない。
去年、新たな勉強をしようと参考書を買ったが
だらだら長い虚構の話と思われるようなものに時間を奪われていき、
1日1時間もできなかった。
人は簡単にマインドコントロールされるし、できてしまう。
私に「誰それをマインドコントロールしろ」と言われたら、できてしまうだろう。

過去にサイコパスと反社会性パーソナリティ障害の文献と論文を読み漁っていた時、簡単にサイコパスがサイコパスでない人をサイコパス化させることができる仕組み化、脳構造に気づいた。矮小な意味ではなく広義的に言えば、誰しもが、何かにマインドコントロールされているのだ。
それが個人対個人なのか、はたまた集団対個人なのかの違いであって。
人の心に共感するという作業をすると人はマインドコントロールされやすくなる。単純接触が増えれば増えるほどにだ。
権威性が必要になるが、その人物に権威などなくていいのだ。
ただ「誰もが知っている偉人」の名前を要所要所で出すだけで。
そして、「私だけがあなたの理解者である」と示し続けること、
話したくないことを話させる、一番効果的なのは

「馬鹿みたいに眠りなどの生理現象を邪魔する」

人間は考えることが基本的に嫌いな生き物である。
そこに、生理現象の阻害が加わると適切な判断能力が低下し、
相手の言葉に隷属するという現象が起きてくる。
そこに「ループ」が加われば、ほぼ完了できる。
人は同じ話を聞きたくはない、ループに対する無意識の恐怖というものが存在している。それは時の流れの概念すらを狂わせるからだ。
おそらく、私が今直面している問題には、帰属バイアスが大きく関係しているのだろうと思う。
私がミスをしたとしたら、根本的な帰属の誤り である。
基本的に「〇〇さんって、冷徹」と言われることの方が多い私が
一転して、マインドコントロール状態になったのは
上記に記載した根本的な帰属の誤りであろうと思う。

ある人物による行動で私の時間が数時間奪われたということや
「これ、私に聞く必要あるのか」
ということに応える労力を考えてほしい。

人は、法を破らないように規範意識をもって生きている。
明らかに深夜に運転をしていて、取り締まりもないだろうと思っても
赤信号なら止まるのだ。
それよりもはるかにハードルの高い犯罪に手を染められる人間というのは、
一体何を考えているのかわからない。
犯罪に手を染めて自身の欲求を満たし、殺しかけても構いません。という
一定数いるロジック崩壊をした人間のために関係もない平穏に生きている人間が失うものが多いというのは、あまりにもひどすぎやしないだろうか。
自殺したからなんだというんだ。
お前だけ楽になって何がおしまいなのだろうか。
こちらは刑事事件から民事2回まで手間と時間と金をかけて制裁を加えたのに、懲役が終わったら「はい!死にます!」というようなスピード感で死ぬ意味が分からない。そもそも、頭脳が不自由なのだから、不自由なりに努力して人の踏み台にでもなっていればよかったのだ。馬鹿でも生きてろと。
私は犯罪者を敵視しているし、見下している。
そんな衝動性と無計画さの頭が残念だと。
こう過激なことを書けば「なんだこいつ」と思われるかもしれない。
しかし、私にとっては「狂い人」でしかない。

なぜ私が、あなたの頭の具合までを配慮して生きなきゃいけない。
あなたの成育歴を裁判の情状で聞かされた時、

「じゃあ、私に殺されても文句言うなよ」

という程度の成育歴だった。

でも、私はあなたを殺さなかった。
殺せないのではない、殺してはいけないからだ。
衝動性が高くて犯罪を犯すなら、なおのこと無罪を主張するのはおかしい。なおのこと、社会から隔絶されて生きるべきである。
おかしなところでアグレッシブになるのは何なのか。
とにかく腰が痛い。
もう、頭がおかしくなりそうに痛い。


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