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生きるというのは緩やかな自殺と相違ない。

私は、法的に知識がないことが時として精神、金銭共に掠め取られると思っている。
数年前、法学検定スタンダード(法学部3年程度)を受けた。
選択科目は、刑事訴訟法を選んだ。
人に対し、法はどうあるべきなのか、そしてどう活用されるべきなのかを考えていた時期である。まだ、民事訴訟の結審を迎えていなかった。
選択した刑事訴訟法のスコアはよくて、商法は異常に点数が低かった。
齢36歳になった今、

今日、資格の参考書を買ってきた。
これは、順を追ってハードルを上げていくほかにないだろうと。
本屋でさらさらと見ていた、「あーこんな問題あったな」と。

私は人生での挫折経験は人より少ないかもしれない。
挫折しないように、挫折したらどうなるかを考えながら、犯罪被害者になるまえで考えていた。堅実かつ姑息に生きるということをしてきたつもりである。
しかし、不条理に取り返しのつかない挫折と言うものを体験させられたとき、私は初めて「自分の努力でどうなるか分からないこと」を体験したのだと思う。悲しいけれど、学習性無力感の様に岡崎体育さんの曲にある

状態になる。しかし、私は生きることを選んでしまっているから
盤石な人生が真っ二つに割られるというのは、本当に非情である。
そして、何も考えたくなくなって、アルコールに逃げる様になった。
逃げたって、刹那的なものでしかないって分かっているし、
どうして、アルコールを求めてしまうのかという心理的依存、身体依存の機序を死ぬほど呆れる程、わかっている。

でも、思うんですよ。
中には「私が、あなたのような体験をしたとしたら10年耐えることなく、
自殺を選んでしまってしまうと思う」
自分でもよく、ここまで、道をすこし外れながらも生きてきたと思う。

自殺しようがしまいが、勝手に死ぬんだから、人間なんて。
周りを見渡す人たちだって、100年も経てば誰もいないんだと。

だから、もう少し追いかけようと思う。
この10年、耐え難きを耐えて生きてこれたならば、努力は出来ると思う。
私は、確かに加害者によって人生の多くを失ったと思う。
悲しいが、腰椎の圧迫骨折の後遺症の根治は難しい。
時として思うのだ、五体満足に生まれてきたとしたって、交通事故や病で
障害者になることだってある、私はそこに目を向けてこなかった。
その「不具合のある私」を含めて、私であると。

話は変わるが、昨日のカウンセリングで「怒り」について話をした。
私は、余程、その人の人生に関与や責任がない限り、
「なぜ怒っているのか」を述べることはしない。
「もうこの人と分かり合えない」と思えば、離れていけばいいだけであって、そこに「怒りの感情をむき出し」にする必要などどこにもないと思っている。
子育ても同じで在って、「なぜ注意されているのか分からない」心理状態の子どもに対して、20分以上怒り倒すのは、怒っている側の悦でしかないと思っている。何回同じ失敗をしても、諭し、寄り添うのが親であろう。
私は、利害関係のない人間にそこまでのリソースを割くだけの優しさもない。ある人は言った、「〇〇さんは、ロジカルでそして冷徹だ」と。
その人の見立てがそうであるなら、そうである。
まず、やるべきことをしないで(できないケースは何とか出来るような制度を紹介しているが)、「じゃあ、死にます」となれば、それを見ている私は、性被害を含む犯罪被害者がウェルテル効果で自殺や自傷に至るということは、分かると思うが、そこに考えが及ばない精神状態だと思っている。
なので、私はその人が「じゃあ、死にます」は勝手であると思う。
浮世に未練もなく、死ねば司法が動くと思って死ねるならそれはそれで案外幸せだろう。悲しいかな、現実は何も変わらずに、親や友人も普通に暮らしていく。しかし、関係のない人がその言葉に感化されてそれを選ぶことは絶対にあってはいけない。
私は、慢性的に死にたいと思う気持ちがあるならば入院するべきだと思う。
仮に、金銭が無ければ警察に自殺をしたいと言えば、警察が23条通報で措置入院の手続きをとる可能性が高い。措置入院は全額国費負担なので、お金がないですということであっても、警察は人の身体を自分で害する可能性がある場合にも動くので、そうするべきであると思う。SNSと自殺の親和性が高いがゆえに
書けば書く程に現実味が帯びていく。そんなことで、警察を使うなと思うかと思われるかもしれないが、少なくとも気にかけてもらえる、または然るべき機関を教えてくれたり、保健所などにつないでくれるだろう。

犯罪被害者支援についてもそうだ、今私が行っていることは本当に小さいことで、それがいつかバタフライエフェクトを起こす可能性だってあるかもしれない。だから、私は諦めないし、人が人である限り、奪われていい尊厳など存在していないが、しかし、人が複数形になった途端に諍いは起きる。
その諍いが口論なのか、暴行なのか、殺人に至るのかは別としても、
早期に回復をしなければいけない、検察の処分を待っている間に出来ることがあるだろうし、まず問題は重ね重ねだけれども、民事訴訟提起をして判決をとった人の3割しか支払われていない(一部支払いを含め)。
もしも、これが無期懲役や死刑だったら、紙の上の判決はとれるが
もう二度と就労することはないのだから、回収の術はない。
特に、介護や自宅改修が必要な状態、殺人によって主となる収入を稼ぐ人がなくなった場合、どうにもならなくなり、主を亡くした上に精神的苦痛、
そして、中には命を落とす人が出てくる。
私は、運が良かっただけである。
入院時「歩けないことも考えておいてください」と言われた時の絶望、
それでも警察や検察の調書。
この問題を解決するのは、生きている人間の責務だと思っている。

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