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読書感想文 〈 黒猫 | Edgar Allan Poe 〉
作者は「死」をキーワードに物語を作り上げていくことが多く、病、腐敗、埋葬などといったテーマが作品の数々は超絶主義から起こったロマン主義に分類される。
この作品の主人公は、作者のエドガー・アラン・ポー自身と重なるところがあると感じた。黒猫の主人公に自分の性格・生き様を投影したのではないだろうか。
作者は作中で主人公を「天邪鬼」だと記し、さらに両者とも酒癖が悪いのが特徴である。作者はその酒癖がトラブルの引き金となることが多々あり、出版社を転々としていた。
作品は「私がこれから書こうとしている極めて奇怪な、また極めて素朴な物語については、―」という書き出しで始まる。私はこの「素朴」という言葉に注目して考察を行った。ポーは何故この書き出しの文中に「素朴」という言葉を使ったのだろうか。
「素朴」とは
自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと。単純で発達していないこと。人の性質・言動などが、素直で飾り気がないこと。
だという。(コトバンクより引用)
「自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと」と聞くと、私は綺麗な穢れのない状態というような意味を思い浮かべたのだが、主人公、そしてその人生はどういった所が素朴なのだろうか。
両親に与えられた動物たちと穏やかに暮らし、愛撫する愉快さを楽しんでいた幼少期は、素朴だったと言えると思う。なぜなら、それは誰かに指示されたものではなく、酒に影響されたわけでもなく、あまり手の加えられていない幼い主人公に、生まれながらにして持っていた優しい気性があったからである。
しかし、成長後は酒癖の悪さから性格や気質が一気に荒くなった。猫の目を抉り取り、首を吊るし、妻を殴り殺し、それを壁に塗り込むといった行為は素朴なのだろうか。
ある意味、素朴さは持ち続けていたと思う。というのも、白は何色にも染まると言うように、素朴だからこそ自らの悪い酒癖が作り出した気性と状況のどちらにも飲み込まれやすく、そこから抜け出せなかったのではないか、と捉えたからである。
動物に暴力を振るっても誰からも咎められなかった主人公は、心の向くままに行動している。
妻が主人公を咎める描写は殺される直前の行動まで無かったため推測になるが、妻が自らの身の危険を恐れて主人公の行動を止めなかったのだとしたら、その行為も、主人公の素朴な心に拍車をかける要因の一つだったのではないかと思う。
最終的に主人公は捕まり手元には何も残らない。
結果的に大切にしていたものを自らの手で失ってしまうのなら、素朴でないほうがまだ良いのではないだろうかと思う。
私はこの作品を読み終えて、人の性格、気持ちの変化について「素朴」という観点から考えたが、記憶や経験の中にある恐怖や危機感が、かろうじて人を安全な状態で存在させているのかもしれないと思った。
そして、誰もが黒猫の主人公になる可能性を持っているのではないだろうか。
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