見出し画像

#29 選挙の意味(前編)

衆議院議員とかのもろもろの選挙が気づけばもう明後日になりました。最近は選挙カーがあちらこちらで聞こえたり、街頭に立候補者が立っていたり、選挙ポスターがどこにでも貼ってあったり選挙の日特有の感じが出ています。

さて、ここでちょっと思ったのは「最近の選挙って意味あるのかなぁ」ということです。いや、意味というか本来の意味からなんか外れてない…?という疑念でも生まれたというか。選挙前でちょっとセンシティブな季節なのは知っていますがあえてちょっと喋ったりします。あ、もちろん特定の政党や候補者を誉めたりけなしたりする表現は書かないつもりです。そこはちゃんと気を付けます。

最近の選挙って変だよな

20代が何を言っているんだ、という気がしますが私が思い描いていた選挙とはちょっと違うよなという話。選挙って、国を変えたい!って思う人が自由に思い思いに前向きなまなざしをもっていろんな人が立候補するやつなんだろうなぁと思ってたのですが、今はどうやらなんか違うっぽいのです。

①政党の枠組みが強かったり弱かったりする

今回の衆院選とかだとすごく政党の枠組みの色が強い選挙だよなぁって思います。だって、自民vs立憲・共産もろもろって対立構造があるらしいじゃないですか。確かに候補を立てすぎると票が分散して当選しにくいという気持ちはすごくわかるんですけど、「思い思いに立候補して、その熱を伝えあう」とか「有権者にとっての選択肢が多い」方が、なんか民主主義みがありませんか?と思うのです。だから、もっと様々な政党から立候補して様々な選択肢を吟味して「これだ!」と思う人を選びたかったなぁって思います。ちなみに、私の選挙区の立候補者は3人です。5人くらいほしかったなー(?)

という反面、国政選挙の中でも政党をあえて隠して活動している人がいて、「あれ、所属政党はどこにいったの?」という人がたまにいるともやもやすするんですよね。所属じゃないだとか、推薦じゃなくて応援していますとか、なんでそんな形にするんだろうみたいなことを思うんですよね。無所属だと思ったらとある政党が応援しているとか何をしたいんだよ、みたいな気がします。

②対立構造が「強すぎる」

私は様々なメディアの見すぎかもしれませんが、野党の人々ってどうしても「批判をしている図」というのが一番最初に思うイメージなんですよね。いや、もちろんそれに対して「ちゃんとやってるよ!」っていいっている人も一定数いると思うのですが、テレビとか新聞を見るとどうも野党が与党を批判している(もちろん批判されるだけの与党にも問題があると思いますが)印象しかないので、なんか私たちのためになることをやってきたのかなぁ…という印象が強いのです。だから、すごく机上の空論じゃないのかとかすごく思うことがあるのです。

③あまりよさそうな人がいない

これは「選んでやっているんだぞ」というおごりなのかもしれませんが、本当に魅力的な候補や政党がいない。内閣支持率が落ちたって他の政党の支持率がぐんと上がるわけではないし、「支持政党がほんとうにない」のです。どう選べばいいんですか。もちろん「減点法で選ぼう」だとか「今不安だったら与党に入れなければいい」、「白紙で入れよう」とか様々な言論がありますが私はしっくりくるものがまじでない。どうしようってずっと思います。

そんなことを言っていますが…

そんな負の感情を若干抱いていますが、「じゃあ今回の衆院選は行かないのかよ!」というと、個人的にはちょっとわくわくしながら投票に行こうと思っています。なので、次はこんかいの選挙で面白そうなポイントをちょっとだけしゃべろうと思います。長そうなのでこれはまた明日。


補遺 やっぱソフィストが勝つんだなぁ

これは選挙がどうだとか、あまり関係ない話なのですが、せっかくなのでちょっとだけしゃべらせてください。昔、ソフィストという民衆を統率するしゃべり方を会得した、政治を引っ張っていくような職業的な人たちがアテネとかの民主国家を引っ張っていきました。ただ、それに対して哲学者(と一概にいうのは問題が起きそうだけど)であるソクラテスはソフィストに対して「しっかり物事を語れよ!」みたいな感じで対立をしていました。さて、ここで今考えると、今も「ソフィスト」の人たちが統治をしているんだろうなぁという気がします。私たちに対するスピーチの心の引き方だとか、様々な圧力団体の扱い方だとか、なんなら不祥事に関する回避の仕方だとか。よく相棒とか国家権力系のドラマだと「きれいごとだけじゃやっていけねぇんだよ!」と聞くとやっぱりソフィストが政治に向いているんだろうなぁとい う諦めがありますが、私はそうではなくしっかり物事を考えているソクラテスみたいな人に入れようかなぁとちょっと思いました。