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#H なぜ「恋の病」と言うのか

人に恋するとはいったい何なのか、様々な分野で議論をされてきた。
生物学的な視点で言えば、子孫を残したい、反映させたいという本能的な反応。
心理的な視点で言えば、自分を他の人に対して優れていることを表現したり、自分に対する評価を上下させるような心理的な反応。
文学的に言えば、人に恋するというとりとめもないようなものに対して様々な語彙や例えを使って表現をするもの。
宗教で言えば、人に恋した時にどうするべきなのか、どういうものなのかの答えを出してくれるものとして機能してきた。

ここで今日題材にしたいのは恋の病の話である。人に恋した時のこころの気持ちというのは振れ幅としても、頻度としてもとても大きいもので、私も今のところ人生で最も影響のあったものだと思う。

恋の病というのは千差万別。恋をする人の性格、考え方、特性、遺伝的特徴、友人関係まで様々な要因が重なって起きる病理である。今回は、私が考えている恋の病をできるだけ言語化することで、どのようなものなのかについての理解を深めていただきたい。

なぜ恋の「病」?

ここまで言って変な話にもなるが、なぜ恋を病理的なものとして捉えるのだろうか。本来は人に対して恋をするということはとても嬉しいもの、前向きに捉えるものとして捉えるべきである。しかし、この表現としては恋をすることは負のイメージを付けてしまう。果たしてなぜだろうか。

恋愛だとか、抽象的なことは一体どこで考えるのだろうか。恋って何だ、愛するってことは何だ、など。
私は、こういうことは失ってから考えるものだと思う。「失ってから、大切だったものが分かる」と言われるゆえんがここにもあるのかな、と考える。逆に、恋愛をする最中というのは恋愛とか抽象的なものについて考えることは難しい。なぜなら、その恋した人に対して対象が向くので、恋愛とは何なんだろう、だとか考えるリソースを振り分けることができない。
あと別の視点から言うと、失恋の悲しみを誰かに共有したいが故に恋愛について考え、発表をするということもあるだろうか。いわゆるメンヘラの昇華というやつだ。恋についてなんだかあきらめきれず、ずっと恋について反芻し続けているという未練たらたらな人間のことである。実際、私はそういう目的で書いている。(と思う)

あと、病理について言いたい点としては「心理的な病」として捉えられることである。病気は、いつ起きるかわからない。一目ぼれと言われるような、一瞬で発病することもある。
しかし、ここで注目したいのはじわじわと心理的に、しかも着実に心に蝕んでくるという点である。はじめは周りから見たらどうなるのだろう、恋しちゃったんだけど私どうすればいいんだろ~と様々な事に対して関心が向くが、恋をしてしまうと、想い人のことについて興味が向いてしまうので、様々な事を考えることが難しくなる。あたかも私と想い人しかいないような世界に迷い込んでしまうこともある。
しかも、自覚症状がないということもある。特に若年層に当てはまる。漫画にもある「えっ!?これって恋なの?」みたいに恋の感情に気づかずに、言葉にならない感情が悶々と累積する形で心に作用する。これが新しく生まれる感情の発芽なのかと個人的には感心してしまうが、本人はその感情を持ちながら眠れない夜を過ごしたり、枕を濡らしたり夢で苦しんだり様々な葛藤の日々を送ると思う。また、そうでなくても自然に想い人のことを庇ったり、「いやその人好きではないんだけど…」とその人のことを”友達以下、恋人未満”というどっちつかずな感情として意識することがなく、気づかないうちに刷り込まれてしまって考えるより先に体が意識してしまっているということもあると思う。

それって麻薬?

このように私は恋のことを病気だと考えている。しかし、これにはもう1つ重要なポイントがある。それは後の人生にかなり影響を及ぼすという話だ。病気で言う後遺症というものである。例えば、想い人のことを忘れられないということはもちろん、様々な過去をフラッシュバックのごとく思い出してしまう。また、自分の考え方が自分志向であったものが他人指向になったり、他の人の目が一層気になったりと行動が変わることもある。
このように考えると、恋って麻薬に形容されるものなのかなと思う。反復性があるし、恋をしている時はうれしい代わりに喪失した時の感覚はなかなか受けいられ難いものである。

恋って無駄なのかな

このように、恋に対してずいぶん否定的な意見をしたが果たして無駄なものなのか。今やこの恋のデメリットが強く、それを回避しようとしている人がとても多いことは事実である。人間関係でめんどくさいことに巻き込まれたくない、恋をして失敗したのでもうそのような目に遭いたくないから自分を守る、など様々な理由がある。
ではもう恋は無駄なものなのか、というとそうではないと思う。恋をする感情というのは人間として貴重な感情であると思うし、他人を意識して行動するというのは社会に出たときに役に立たないことはない。また、個人的な感情としても一度恋の感情を知ってしまった以上、またあの感情を手に入れられるのかもしれないと考えるとやはりあきらめ難い。こういう感情が恋を麻薬と形容される理由の1つなのかもしれない。槇原敬之の「もう恋なんかしない」とかそういうことだと思う。

最後に、私の恋に関する考え方としては、様々な事を知って”しまった”今、本当に後悔している。あんな人間なぜ好きになったのだろう、なんでその恋の感情に気づいて状態が早いうちに自分の感情をコントロールできなかったのだろう、など様々な反省点がある。そして、客観的に考えれば恋の感情に対して憎しみを覚えている。
しかし、私の本能的な面で言えば「いやあの人好きだしなぁ」とか「諦められないんだよなぁ」という恋に対して前向きな自分がいる。これを呪いというのか、純粋な気持ちを貫いているのかもう私の感情をコントロールできたものではない。

この感情を、どうにかできないのかな、と思ってはや数年の話である。

では、その症状というのは具体的に、私の場合はどうなのかという話を書こうと考えたが、筆が乗ってしまい2500字くらいまで行ってしまったので続きはまた来週、ということでお願いしたい。

お読みいただきありがとうございました。また来週。