見出し画像

マガジン 第2号

さて、マガジン第2号発行でございます!

今回ご紹介するのはローリング・ストーンズから「Sticky Fingers」でございます。

 
 1971年4月にリリースされたザ・ローリング・ストーンズの『Sticky Fingers』はバンドとって20枚目のアルバムでございます。

この情報を正確に記憶している人がいるとしたら、おそらくその人は58歳かそれ以上、もしくは、リリースされたこのアルバムを買った年嵩の方から何度も聞かされて教え込まれたかのどちらかではないでしょうか。

しかしながら30代にも達しない人たちを含む無数のストーンズのファンが、このアルバムはとびきりの名作だと認めておられます。

このアルバムの収録曲は、過去48年以上に亘ってライヴで演奏され、多くのファンに愛されてきた、まさに世代を超えた聴き手に訴える1枚と言っていいのではないでしょうか?

『Sticky Fingers』のレコーディングからリリースまでに要した日数は500日、当時では驚くほど長い日程がかかっているんです。

この間には、ロンドンの伝説的なクラブ、マーキーでの模様の撮影や、ザ・ローリング・ストーンズがイギリスを離れてフランスへ移住するという発表もありました。それらのあとに、ファン待望となっていた新作アルバムとして本作は登場したワケです。

新作はメディアとファンの双方から好評をもって迎えられ、ローリング・ストーン誌は「今なお続く世界最高のロック・グループの物語の、すばらしい新たな1ページ」と称賛しています。

1971年5月22日にクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのライヴ・アルバム『4 Way Street』を全米アルバム・チャート1位の座から引きずり下ろし、その後1ヶ月間に渡って首位の座を独占しました。

素晴らしい音楽、象徴的なアルバム・カヴァー、そしてこのアルバムを伝説的な作品にした一連のエピソード。『Sticky Fingers』はまったくもって非の打ち所のない名アルバムなんです。

ザ・ローリング・ストーンズの名盤の大半はアメリカ産であり、レコーディングはハリウッドのRCAスタジオとシカゴのチェス・スタジオで行われています。

しかし、この『Sticky Fingers』はそれらのスタジオに比較すればぐっと地味なマッスル・ショールズ・サウンドで制作されているんです。

当時は音楽業界の関係者にしか知られていなかったようなアメリカ南部、アラバマ州シェフィールドのスタジオなんです。

1969年12月にUSツアーを終えた後にザ・ローリング・ストーンズはマッスル・ショールズに赴き、アルバムの核となる「Brown Sugar」「Wild Horses」、そして「You Gotta Move」の3曲をレコーディング。

バンドはその後12月5日にマッスル・ショールズからサン・フランシスコへ向かいますが、その24時間後に行われたのが、あの悪名高きオルタモントでのフリー・コンサートでした(演奏中に観客が殺害されるという事件が起こりました)。

そしてその翌年、バンドはロンドンのオリンピック・スタジオとミックが所有するカントリー・ハウス、スターグローヴスに持ち込んだストーンズ・モービルを使い、残りのアルバム収録用の楽曲のさらなるレコーディングに取り組みます。

だからといって1970年は、レコーディングだけに専念していたということではありません。アルバム制作の傍らヨーロッパ・ツアーを行なっただけでなく、舞台裏では実に様々なことが起こっていたのです。

デッカ・レコードとの契約期間の終了を前に、別のレコード会社から出資を受け、自分たちのレーベルの発足に乗り出したこともそのひとつでした。

幾多の交渉の末、ザ・ローリング・ストーンズがビジネス・パートナーに選んだのはアーメット・ハーティガンのアトランティック・レコードだったのです。

自身のレーベルを立ち上げるからには、その名称と独自性が必要でしたが、前者はシンプルに”ローリング・ストーンズ・レコード”に決まりました。しかし、レーベル・カラーやロゴの決定には若干時間が掛かりました。

かくして選ばれたのが、今や知らない者はないであろう、あの”ベロと唇”のロゴだったのです。

過去にレコード・ジャケットに関して幾度も納得しかねる経験を強いられていた彼らは、このとき、今度こそ自分たちが望む通りのヴィジュアルに仕上げたいと考えていました。

そして、バンドが求めるコンセプトを実現するためにミック・ジャがーとチャーリー・ワッツが選んだ相手がアンディ・ウォーホルでした。

オリジナル・リリースの、本物のジッパーを使用したアルバム・カヴァーは、この分野において、おそらく世界で最も有名なもののひとつではないでしょうか。

音楽雑誌のNMEは、このジャケットに関して「リップ(唇)からジップ(ジッパー)まで絶好調のミック・ジャガー」と韻を踏んで面白おかしくコメントしましたが、それもまた、自分たちの理想に違わないアルバムに仕上げたいというバンドの強い意志の表れだったのです。

アルバムのミックス・ダウンが終了した1971年初頭、バンドは短い国内ツアーを行い、その後、フランスに移住するという計画を固めていました。

長年に亘って彼らを苦しめていた税制や契約上の問題によって、彼らは破産しかねない状況に置かれていたのです。

海外への移住はそれを避けるための苦肉の策であり、イギリス・ツアーは故国のファンに別れを告げるためのものでした。

そして1971年4月16日、バンドのニュー・シングル「Brown Sugar」がリリースされ、その1週間後には世界各国でアルバム『Sticky Fingers』がリリースされたのでした。

これこそがロックンロール、ローリング・ストーンズ、そう言えるんじゃないかと思う一枚です。

☕️今日のカフェ🍰

BERRY'S TEA ROOM

東京都杉並区にあります、英国紅茶店の『BERRY'S TEA ROOM』さんでは、本格的な紅茶やクランペットが味わえます。

クランペットとは英国式パンケーキのことで、見た目は今川焼きみたいなんです!

ちなみBERRY'S TEA ROOMではイングランドタイプのクランペットがいただけます。

ぜひ、一度伺ってみて下さい。


東京都杉並区浜田山3丁目30-9-2階

営業時間 11:00 - 18:00

毎週火曜・水曜 定休

URL: https://www.berrystearoom.com/


#ローリングストーンズ #TheRollingStones #カフェ #洋楽 #洋画 #邦楽 #邦画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?