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【ニンジャスレイヤー222】徐福伝説とニンジャ

ドーモ、三宅つのです。今日はニンジャの日であり、つのは最近徐福について調べています。なので今回は徐福とニンジャについて調べてみました。

御存知の通り、徐福は日本におけるニンジャの祖と言われています。古代ニンジャ文明は紀元前から存在したことが明らかになっていますが、徐福や始皇帝がいた紀元前3世紀には、既にニンジャ大戦が終わってから千年以上が経過していました。彼がニンジャの祖というのは大げさな話です。しかし、少なくとも彼自身がニンジャであったことは考えられます。

今日の我々が「徐福伝説 / Legends of Xu Fu」として語り継ぐ荒唐無稽なフォークロアには、時代や地域によって無数のバージョンが存在し、その根底には恐るべきニンジャ真実が隠されています。これらのバージョンの差異と共通項をUNIXディープラーニングによってふるいにかけることで、禁断のニンジャ神話が浮かび上がってくるのです。

ジョフク・ニンジャの派遣

徐氏(ジョ・ニンジャクラン)の起源は神代にさかのぼります。かつてチャイナ全土は多数の有力クランの領土に分かれていましたが、東の海辺を支配したのが徐氏でした。ニンジャ大戦では東軍(ハトリ派)につき、一部は神祖カツ・ワンソーと戦うために海を渡って日本列島へ赴いたようです。彼らは古代日本語でハタビト(秦人)、すなわちハトリの徒と呼ばれました。

チャイナでも東軍と西軍、すなわちハトリ派とワンソー派に分かれての大戦争があったことが、ニンジャ専門家の考古学的調査やチャイナのパルプ小説である『封神演義』の研究などから明らかになっています。このような戦争は世界中で行われ、古代ローマカラテ文明も滅びました

ニンジャ大戦の後、平安時代を迎えたチャイナでは、多くのニンジャクランがしのぎを削る大乱世に突入しました。ジョ・ニンジャクランはその中で次第に勢力を失い、各地の有力クランに服属してカラテやジツを磨きました。徐福(ジョフク・ニンジャ)はそうした時代に生まれました。

彼の時代、チャイナには最初のニンジャ・エンペラーである偉大なチン・ニンジャが君臨していました。彼は自らの帝国をチン(秦)と呼び、朕(チン)と称していたため、世界中でこの領域をチンと呼び習わし、訛ってチャイナとなったのです。ジョフク・ニンジャは彼に仕え、日本列島を統治するソガ・ニンジャへの使者として派遣されることになりました。

チャイナと日本の間には広い海がありましたが、ニンジャであればさしたる障害でもありません。しかしこの頃、ワンソー派と思われるカイジュウめいたニンジャ(サメ・ニンジャか)がこの海域を支配しており、日本への渡航を妨げていました。チン・ニンジャは己のカラテと帝国の総力をあげてこの恐るべきニンジャ(およびその部下たち)と戦い、激戦の末に打倒しましたが、自らも瀕死の重傷(あるいは毒や呪い)を負いました。ジョフク・ニンジャは彼の傷を癒やすニンジャピルを求め、急いで日本へ渡航しました。

ニンジャは不老不死ですが、物理肉体を現世に残しているため、重傷を負えば死ぬこともあります。死せるニンジャのソウルはキンカク・テンプルに昇って行きますが、そこから元の自我を保って復活することは困難です。

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徐福の渡航を描いた江戸時代のウキヨエ。彼は数千人の童男と童女、多数の職工を連れてきたとされます。これはニンジャの奴隷(童・工)であるモータルたちのことです。また、彼の弟子たちも同乗していたようです。

フジサンへの旅路

いくつかの島々を経て、ジョフク・ニンジャたちはヘーアンキョ・キャッスルの遥か南、クマノと呼ばれる海岸に漂着しました。この地のニンジャらはソガ・ニンジャにこれを伝え、カラス・ニンジャが彼を導いたとも言われます。ついにソガ・ニンジャに謁見したジョフク・ニンジャはチン・ニンジャからの書簡と、金銀財宝や奴隷を献上し、また事情を説明して「我が主君の傷を癒やすニンジャピルを頂きたい」と礼儀を尽くして頼みました。

ソガ・ニンジャは承諾しましたが、強大なニンジャによる負傷や呪毒を癒やすには非常に複雑な製法とそれなりの長い時間が必要です。そして協議の結果、「東の霊峰フジサンを訪れ、当地のニンジャに尋ねるとよい」と答えました。フジサンはニンジャ大戦においてバトル・オブ・ムーホンの舞台となり、またシ・ニンジャクランの聖地でした。

死を司り、オヒガンの領域に通じる彼女らであれば、チン・ニンジャの絶えかけた生命を繋ぎ止める方法を知っている可能性はあります。またフジサンの付近はオヒガンの影響が強く、貴重なニンジャピルの原料が多く産出することも知られています。感謝したジョフク・ニンジャは船をととのえて様々な贈り物を積み込み、フジサンへと船出しました。

数々の冒険を経て、ジョフク・ニンジャはシ・ニンジャに謁見し、ソガ・ニンジャからの書簡と贈り物を捧げ、礼儀を尽くしてチン・ニンジャの延命を請いました。しかしシ・ニンジャは「チン・ニンジャの命運は既に尽きている」と告げ、彼のニンジャソウルがキンカク・テンプルへ昇っていく様子を見せました。また、彼の死によってチン帝国は崩壊し、チャイナが再び大乱世に戻ったことも、ジョフク・ニンジャは知らされたのです。

悲しんだジョフク・ニンジャはシ・ニンジャの前を辞し、ソガ・ニンジャに事情を報告しました。そして祖国への思いを断ち切り、日本で暮らしたいと申し出ます。ソガ・ニンジャは既に多くの贈り物を献上されていたため断るわけにもいかず、彼にいくつかの荘園と奴隷を与え、ダイミョとしました。こうしてジョフク・ニンジャは日本にとどまり、上陸地の名をとってクマノ・ニンジャと改名したともいいます。

彼は、モータルの間では不老不死の薬を獲得した医者として、またカンポ薬の伝説的な造り手として信仰を集めました。フジサンやクマノで厳しい修行を行うヤマブシたちは、彼を神やブッダの化身として崇拝し、日本各地にジョフクを祀るテンプルやシュライン、巨大な石像を建立しています。

異説によれば、ジョフク・ニンジャはチン・ニンジャを呼び戻すためオヒガンへ赴こうとし、フジサンの地下にあるストーン・ドアの彼方へ去って戻らなかったといいます。またシ・ニンジャの弟子となり、共にオヒガンへ赴いたとも、絶海の孤島へ立ち去って隠居したとも、シ・ニンジャに滅ぼされてキンカク・テンプルへ昇ったとも伝えられます。いずれにせよ、現代ではジョフク・ニンジャの活動は確認されていません。

この故事は、偉大で強大なるニンジャといえども死の運命を免れ得ぬことを伝えます。それはニンジャの祖カツ・ワンソーさえ、まさにフジサン(不死の山)で肉体的な死を迎えたことからも明らかです。しかし、彼らが伝えた様々なミームは、一個のニンジャの死を超えて生き続けているのです。

 - ディープラーニングによって解読されし古事記暗号 『徐福伝説』

【以上です】

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