見出し画像

【つの版】度量衡比較・貨幣05

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。

 私兵化したローマ軍団を率いて独裁を行ったマリウスとスッラの死後は、ポンペイウスやクラッススが台頭し、ユリウス・カエサルが登場します。彼らとカネについて見てみましょう。

 当時の基軸通貨は、ギリシアのドラクマとほぼ同じ重量と価値を持つデナリウス銀貨です。この頃には3.9gほどに縮んでおり、1g3000円として、現代日本円で1.2万円ぐらいに相当します。1セステルティウスは1/4デナリウス=3000円、1アス銅貨は1/4セステルティウス=1/16デナリウス=750円です。1ミナは100デナリウス=120万円、1タラントンは60ミナ=6000デナリウス=7200万円となります。

◆黄金◆

◆旋風◆

借金大王

 三人の中で一番年長でカネモチだったのはクラッススです。もともと富裕層の騎士階級でしたが、マリウス派に父や兄弟を殺され、スッラに仕えて力戦し復讐を遂げます。彼はスッラが粛清・没収した元老院議員や騎士階級の財産が競売に出されると買い漁り、ローマ第一のカネモチとなりました。ローマ市内で火事が起こると手下を派遣し、住民が逃げ出した周辺の家屋を破壊させて買い叩いたというひどい話も伝わっています。彼の総資産はローマ共和国の歳入に匹敵する2億セステルティウス=5000万デナリウス(1デナリウス1.2万円として6000億円)にも達しましたが、人気はいまいちでした。

 彼ほどでなくても、当時のローマの支配階層は銭ゲバでした。シチリア属州総督ウェレスがレオンティニ市の徴税をアプロニウスに請け負わせた時、小麦21.6万モディウス(1モディウス=3セステルティウスとして64.8万セステルティウス=16.2万デナリウス)を徴収するよう命じましたが、アプロニウスはノルマの2倍以上の54万モディウスを支払わせ、リベートとして差額分の32.4万モディウスと、6.24万モディウスに相当するカネを受け取りました。つまり38.64万モディウス(115.92万セステルティウス=28.98万デナリウス、約35億円)をゲットしたわけです。属州民はこれを弁護士キケロに訴え、前70年にキケロはウェレスらを告発して敗訴させました。さほど大きくもない地方都市一つでこれですから、属州全体では言わずもがなです。

 当時のローマ人の人気第一は、若くして戦功を積み重ねたポンペイウスでした。彼も裕福な騎士階級の出身で、軍事的才能に満ち溢れ、シチリア・アフリカ・ヌミディア・ヒスパニアのマリウス派残党を討伐し、南イタリアで発生したスパルタクスの反乱をクラッススとともに鎮圧しています。彼は元老院に軍事的圧力をかけて35歳の若さで執政官(43歳以上に資格あり)への立候補を要求、元老院はやむなくこれを受諾し、ポンペイウスをライバル視するクラッススとともに前70年に執政官となりました。

 次いでポンペイウスは地中海にはびこる海賊の掃討作戦を行い、ポントス王ミトリダテス6世を討伐し、セレウコス朝シリアを滅ぼし、ユダヤ王国を服属させて、エジプトを除くオリエント諸国を征服しました。前67年から前61年に及んだこの大遠征により国庫には黄金2万タラントンがもたらされ、歳入は5000万デナリウスから8500万デナリウス(1兆円余)に増加したといいます。クラッススはますます嫉妬し、カエサルと手を組みました。

 カエサルは名門貴族パトリキ出身ですが、さほど裕福ではなく、ローマ市内で生まれ育ちました。紀元前100年生まれで、クラッススより15歳、ポンペイウスより6歳年下です。平民出身のマリウスは家系に箔をつけるべく、カエサルの叔母ユリアと結婚していました。しかしマリウスが逝去してスッラが政権を握ると、カエサル家もマリウス派として粛清されかけます。周囲の説得でスッラは思いとどまりますが、ほとぼりが冷めるまで若きカエサルは小アジアへ逃亡し、スッラが死ぬとローマへ戻りました。

 彼は旧マリウス派(民衆派)の支持をある程度集めたものの、スッラ派(閥族派・元老院派)が多数を占める政界ではなかなか出世できず、女好きの放蕩者だったこともあってあまり危険視はされませんでした。彼は政治資金を求めてカネモチのクラッススにカネをたかり、32歳の時点で780万デナリウス(936億円)もの借金を抱えていましたが、あまりに莫大な債務ゆえ逆に取り立てることもできなかったといいます。こんな有様ですから、当時のカエサルはクラッススの子分のようなものでした。

三頭政治

 ポンペイウスは凱旋後、自分が率いる兵士らに土地を与える約束をしていましたが、元老院の反対に遭ってうまくいきませんでした。政治が苦手なポンペイウスにカエサルが近づき、クラッススとの仲立ちをするから自分を執政官にしてほしい、と申し出ます。ポンペイウスはこれを受諾し、三人の実力者による政治、すなわち「三頭政治」が非公式に成立しました。カエサルは娘ユリアをポンペイウスに嫁がせ、姻族となります。

 ポンペイウスの軍事力、クラッススの経済力、カエサルの民衆派からの支持によって国政が牛耳られ、元老院派は力を失います。カエサルは執政官の任期中にグラックス兄弟以来の懸念であった農地改革法案を成立させ、公職にある者が受け取れる賄賂を2500デナリウス(3000万円)以内にすることなどを定めました。賄賂を全面禁止にするのは非人間的で逆効果です。

 1年間の執政官(コンスル)の任期を勤め上げた者は、前執政官(プロコンスル)として属州総督に赴任することが定められています。カエサルはアルプスのイタリア側のガリア・キサルピナ(北イタリア)、アルプスの彼方のガリア・トランサルピナ(フランス南部)の総督に任命され、ローマ国外の部族抗争を利用して現在のスイス・フランス・ベルギー・オランダなどを征服し、ガリア属州を北へ拡大しました。またライン川を防衛線としてゲルマン人の侵攻を防ぎ、海を越えてブリタニア(イングランド)南部にまで遠征します。各地の有力部族は統治のために温存されますが、カエサルは大いに軍事的名声と戦利品を獲得しました。

 ただ当時のガリアは南部以外は辺境の地で、大した税収は見込めません。ガリア属州全土で1000万デナリウス(1200億円)程度です。ガリアの人口を1200万人とすれば1人頭1万円程度です。借金返済にもあてられたものの大部分は軍事費でした。これ以前に総督を勤めていたヒスパニアでは、それなりの税収と利益が得られたので、借金は減ってはいたようですが。

 前56年に「三頭」は北イタリアで会談し、カエサルの総督任期の延長と、次の執政官にポンペイウスとクラッススがつくこと、両者の総督任地をヒスパニアとシリアにすることが定められます。元老院を差し置いて、三頭は自分たちとその派閥の利益のために国政を左右できたのです。またポンペイウスは部下をエジプト王国に派遣して内紛を鎮めさせ、エジプトを自らのクリエンテス(子分)にしてしまいました。

 嫉妬したクラッススは、シリア属州総督に就任すると、隣国パルティアへ遠征を行います。肥沃なシリアでは充分なカネが手に入りましたが、戦場で手柄を立てねばポンペイウスやカエサルにナメられます。しかし戦が下手なクラッススは前53年に大敗を喫し、殺されてしまいます。戦場で戦死したのではなく、交渉の場でだまし討ちに遭ったのですが、カネモチで有名だったため口の中に熔けた黄金を注ぎ込まれて殺されたとも伝えられます。前54年にはポンペイウスに嫁いだカエサルの娘ユリアも亡くなり、ポンペイウスはカエサルに対抗すべく元老院派と手を組み、三頭政治は崩壊します。

羅馬内戦

 カエサルは属州総督の任期が切れる前50年が過ぎても軍隊を解散せず、ガリア側にとどまって元老院とポンペイウスを牽制します。元老院はこれに対してカエサルを「国家の敵」とみなす最終宣告を行いますが、カエサルはガリアとローマ本土の境をなすルビコン川を越えて進軍、内戦が始まります。ポンペイウスと元老院はローマを離れてギリシアへ渡り、決戦を挑むも大敗を喫し、エジプトへ逃れたポンペイウスは前48年に殺されます。各地の残党はカエサル派に次々と鎮圧され、ローマはカエサルの天下となりました。

 前44年2月、カエサルはスッラと同じく終身独裁官に就任します。しかし同年3月15日、元老院議員らによって暗殺され、カエサル派と元老院派による内戦が再発します。カエサル派は将軍アントニウスとレピドゥス、カエサルの養子オクタヴィウス(オクタヴィアヌス)による第二回三頭政治を行い、前40年にアントニウスはギリシアとオリエント、レピドゥスはアフリカ、オクタヴィアヌスは首都ローマを含む西欧を統治すると決まりました。

 このうちアントニウスが最も有力でしたが、オクタヴィウスは前36年にレピドゥスを失脚させてアフリカ側を支配下におさめ、アントニウスと対立します。彼は反アントニウスのプロパガンダを打ち出し、アントニウスの愛人となった女王クレオパトラが治めるエジプトへ宣戦を布告、前30年にアントニウスもろともこれを滅ぼしました。ここに地中海世界はローマによって統一されたのです。

元首政治

 前29年、オクタヴィアヌスは元老院のプリンケプス(筆頭議員)となりますが、王や皇帝は名乗りませんでした。彼は前27年に「共和政復帰」を宣言し、三頭政治で持っていた権限をある程度手放したのち、3日後に「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を元老院議員から贈られます。彼はカエサルの養子としてカエサルと呼ばれており、ローマ軍団の総司令官としてインペラトル(指揮官)と呼ばれていましたから、これより彼はインペラトル・カエサル・アウグストゥスと呼ばれることになります。

 これらはあくまで称号に過ぎず、王や皇帝や終身独裁官になったわけではありませんが、実態としてはローマ最大の軍事力と最高の権威を持った最高権力者のままです。カエサルのように暗殺されては困るため、名目上でも共和政を保ったのです。彼はまた最高神祇官や「国家の父」の称号、エジプトのファラオなど様々な権威・称号・特権を合法的に付与させ、事実上の帝位につきます。この体制を後世では元首政プリンキパトゥスと呼びます。

 前30年にプトレマイオス朝エジプト王国が滅亡すると、アウグストゥスはエジプトのファラオを兼任し、エジプトを自らの私有地とします。カエサルは神格化されて神になっていたため、彼は神の子たる現人神としてエジプトに君臨し、代官を派遣して租税を徴収させました。莫大な穀物を産出し、黄金や香料の交易路を持つエジプトを個人的に所有したのですから、アウグストゥスの財産は当然ローマ最大となりました。

 そして、権力の源泉はカネと軍事力でした。カエサルは前45年にローマ軍団兵の年給を70デナリウスから140デナリウスに倍増しており、アウグストゥスは225デナリウス(270万円)に増額しています。また兵役は20年満期とし、退職金は3000デナリウス(3600万円)とします。20歳で入隊しても退役時は40歳で、3000デナリウスだと年に300ずつでも10年ほどの生活費にしかならず、豊かな第二の人生を送るには、これを元手として働くことが必要です。退役後も健全なローマ市民として社会で働けるようにしたのです。

 ただし年給と年金を保障したぶん、内戦で増えすぎた兵士らは削減しており、しかるべきカネを受け取らせ一般市民に戻しています。また元老院議員はスッラが300人から600人に増やしたのち、カエサルが900人に増やしましたが、これも600人に戻しました。これよりローマは事実上の帝国となり、「ローマの平和パクス・ロマーナ」を迎えることとなります。

◆Treasure◆

◆in Your Hands◆

【続く】

つのにサポートすると、あなたには非常な幸福が舞い込みます。数種類のリアクションコメントも表示されます。