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【つの版】ウマと人類史:中世編・インデックス

 ドーモ、三宅つのです。新たにインデックスを作りました。

 つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。つのも参考文献一覧を作りました。

 なお主な舞台となる中央ユーラシアは大変広く、世界各地に話が飛びますので、世界地図をご用意下さい。なければGoogle Mapで充分です。

◆突厥編

01.蒼天狼祖

 突厥の祖は、高車勅勒やモンゴルと同じく狼であるとされます。

02.突厥帝国

 突厥は柔然やエフタルを滅ぼし、内陸ユーラシアを統合しました。

03.東西突厥

 582年、突厥は東西に分裂しました。

04.拓跋天子

 隋は突厥を服属させますが、隋が崩壊すると突厥が優勢になります。

05.唐天可汗

 唐は突厥の分断をはかり、ついにこれを滅ぼしました。

06.突厥碑文

 東突厥は683年に復興しますが、60年ほどで滅亡します。

◆回鶻契丹編

07.藩鎮蕃将

 唐は非漢人を軍人として多く採用し、各地に配備して国防を担わせます。

08.安史之乱

 755年に勃発した「安史の乱」により、唐は滅亡寸前に陥ります。

09.回蕃唐盟

 唐はウイグルとチベットに圧迫され、内部分裂もあり衰退していきます。

10.契丹淵源

 次代の主役、契丹の起源は4世紀まで遡ります。

11.大契丹国

 907年に唐が滅ぶと、契丹の耶律阿保機は天皇帝を号しました。

12.澶淵之盟

 チャイナをほぼ統一した宋は、契丹と盟約を結びました。

13.契丹西夏

 宋は契丹や西夏に圧迫され、カネで平和を買い取りました。

◆中世西方編

14.奴隷騎兵

 中央アジアでは、サーマーン朝とカラハン朝が対立していました。

15.塞爾柱家

 サーマーン朝を滅ぼしたガズナ朝は、セルジューク朝に蹴散らされます。

16.騎士形成

 アヴァールやマジャルとの戦いを経て、欧州に騎士が現れます。

17.契丹西遷

 1125年、遼は金に滅ぼされますが、西方で復活します。

◆蒙古興隆編

18.蒙兀室韋

 モンゴル族の先祖は、大興安嶺北部のアルグン川流域に住んでいました。

19.蒼狼白鹿

 11世紀前半、モンゴル族はバイカル湖の近くまで勢力を伸ばします。

20.祖元皇帝

 12世紀中頃、モンゴル族はカブル・カンのもとに統一されました。

21.成吉思汗

 1206年、モンゴル族の長テムジンは漠北高原の諸部族をほぼ統一し、チンギス・カンと号しました。

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22.遠征開始

 チンギス・カンは軍勢を率い、ユーラシア各地へ大遠征を行います。

23.法天啓運

 チンギス・カンが崩御した時、モンゴル帝国は日本海からカスピ海に及ぶ史上最大の帝国となっていました。

◆世界征服編

24.哈罕皇帝

 チンギスの後継者オゴデイは「カアン」を名乗り、世界征服の大戦争を続行します。

25.抜都西征

 モンゴル帝国はキプチャク草原とルーシを攻め取り、ポーランドとハンガリーを蹂躙し、ウィーン近郊・アドリア海沿岸まで及ぶ大遠征を行います。

26.上天眷命

 1241年末のオゴデイの崩御後、帝位はしばらく空位となりますが、1246年にようやくオゴデイの長男グユクが擁立されます。

27.蒙哥登極

 グユクは1248年に崩御し、1251年にトゥルイ家のモンケが即位します。

28.旭烈西征

 モンケの弟フレグは西アジアへ大遠征を行い、バグダードのアッバース朝を滅ぼします。

29.帝位争奪

 モンケが崩御した後、弟のクビライとアリクブケがともに皇帝となり、帝位を巡って争います。

30.大元皇帝

 1264年、クビライは単独のモンゴル皇帝となり、1271年に国号を「大元大蒙古国」と改めました。

◆日本遠征編

31.日本遠征01

 高麗の隣国、海の彼方の日本へ、クビライは繰り返し使者を派遣します。

32.日本遠征02

 1274年、モンゴル帝国は日本へ第一次遠征を行いました。

33.日本遠征03

 クビライは1276-79年に南宋を滅ぼし、モンゴル高原でのシリギの乱をほぼ鎮圧すると、日本へ再び遠征を行います。

34.日本遠征04

 1281年夏に派遣されたクビライの日本遠征軍は、武士団の激しい抵抗と台風により大きな被害を受けて撤退しました。

35.薛禅皇帝

 1287年、モンゴル高原東部からマンチュリアにかけての諸王がクビライに反旗を翻しました。

◆東方見聞編

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36.東方見聞01

 1271年、若きヴェネツィア人マルコ・ポーロは、父ニコロ、叔父マフェオとともにモンゴル皇帝クビライのもとへ向かうべく出発しました。

37.東方見聞02

 マルコらがクビライに謁見した頃、大都から遥か西方へ出発した景教徒の僧侶たちがいました。

38.東方見聞03

 クビライの帝国は、欧州とは比べ物にならないほど繁栄していました。

39.東方見聞04

 マルコ・ポーロは、東の海の彼方の国ジパングについて記述しています。

40.東方見聞05

 泉州から南シナ海、インド洋を結ぶ海のシルクロードを通って、マルコ・ポーロは帰国しました。

【続く】

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