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【つの版】日本建国08・日本誕生

ドーモ、三宅つのです。前回の続きです。

記紀編纂に至る歴史を長々と見てきました。ここからは、天地開闢から神武東征に至る神話伝説をざっくり見ていきましょう。歴史的な事実ではなくても、なんらかの意図をもってそう書かれたには違いないからです。超古代文明のなんかとかニンジャ真実を見出そうという人はパルプでやって下さい。

◆創◆

◆聖◆

テキスト

テキストは下のものを用います。一応の成立年代を考慮して、古事記を先にして日本書紀を後にしますが、公的には日本書紀の方が正史です。

古事記 上卷-2 別天神五柱~神世七代
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_02.html
日本書紀巻第一 神代上
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_01.html

日本最初の国史は天界や外国からやってきた英雄による建国神話ではなく、天地開闢と神々の出現から始まっています。これは日本の国土と人民が、チャイナやコリアやマンチュリア等の諸国とは無関係に、天地開闢の初めから独立して存在しており、海外とは後からちょっと関わったに過ぎないと主張するためです。日本は海上の島国ですから、一つの小世界・小天下だと主張しても内外に受け入れられやすいでしょう。現実には大陸や半島から人間がやってきて、最終的に倭国・日本という国家に纏められたのですが。

神世七代

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神、次天之常立神。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。上件五柱神者、別天神。

まず『古事記』からです。いきなり天地が分かれ、神々が次々と出現します。天之御中主(あめのみなかぬし)神、高御産巣日(たかみむすび)神、神産巣日(かみむすび)神という三位一体めいた三柱の神々が高天原に現れ、姿を隠します。『古事記』序文に「乾坤(天地)初分、参神作造化之首」とあることから、この三柱の神々を「造化三神」とも呼びます。特に創造行為をしたわけではないのですが、根源的な創造神とみなされています。

次に、水の上に浮かぶ油脂やクラゲめいて漂う出来たての大地(稚国)から、二柱の神々が葦の芽のように萌え出て飛び出します。これら五柱の神は「別天神」として別格扱いとなります。このうち高御産巣日神(高木神)と神産巣日神は後から出てきますし、子孫とされる神々や氏族もいますが、他はこの場面しか出てきません。皆独身(神)で、性別もなく、配偶者はいません。子孫はなんか適当に生じたのでしょう。

次成神名、國之常立神、次豐雲野神。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。次成神名、宇比地邇神、次妹須比智邇神、次角杙神、次妹活杙神、次意富斗能地神、次妹大斗乃辨神、次於母陀流神、次妹阿夜訶志古泥神、次伊邪那岐神、次妹伊邪那美神。上件、自國之常立神以下伊邪那美神以前、幷稱神世七代。

続いて「国が永遠に立つ」「豊かな雲海」という二柱の神々が現れますが、独身のまま身を隠します。次に「泥(ひぢ)」「勃起する(くい)」「門()」「姿かたちが完成する(おもだる)」「ああ素晴らしい(あや・かしこね)」といった属性を持つ神々が、男女一対で出現します。妹(いも)は妹であり女性の配偶者です。ついに性別が出現したのですが、まぐわって産まれたとは書かれていません。各々の名は生殖に至る段階を表すのでしょうか。国之常立神を第一世代、豊雲野神を第二世代として、これら七世代(神世七代)の最後に、イザナギイザナミが出現しました。

一方、日本書紀ではこうです。

古、天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其淸陽者薄靡而爲天、重濁者淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故、天先成而地後定。然後、神聖、生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物、狀如葦牙。便化爲神、號國常立尊。次國狹槌尊、次豐斟渟尊、凡三神矣。乾道獨化、所以、成此純男

天地開闢までの流れが付け加わっています。原初に渾沌たる宇宙卵があり、その中の清らかな(陽の)要素は上昇して天となり、重く濁った(陰の)要素は下降して地となったため、天が先、地が後に形成されました。これはチャイナの陰陽思想で、前漢の思想書淮南子』俶真訓の写しです。

「故曰」以後は日本側の伝承ですが、葦牙(芽)が云々も『淮南子』に「所謂有始者、繁憤未發、萌兆牙櫱」云々とあります。最初の三神は国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊で、古事記の造化三神とは異なります。また陽・天・父・男が先に発生する、という考えから、最初の神々は男とされています。

創造主が天地を創造したわけではなく、天地が自然に(道[タオ]の法則によって)生成した後、神々がその中に自然発生したのです。道教でも仏教でも唯一の創造主を立てず(梵天や大自在天はいますが)、そのようにして世界や神々は発生したものと考えられています。

次有神、埿土煑尊・沙土煑尊。次有神、大戸之道尊・大苫邊尊。次有神、面足尊・惶根尊。次有神、伊弉諾尊・伊弉冉尊。凡八神矣、乾坤之道相參而化、所以成此男女。自國常立尊迄伊弉諾尊・伊弉冉尊、是謂神世七代者矣。

後の神々は古事記と同じで、男女陰陽の道が備わった四対八柱の神々です。この七世代を神世七代とし、古事記の造化三神・別天神五柱を省いて整理しスッキリとしました。「一書曰」として可美葦牙彦舅神や天御中主尊を原初の神とする異説も記載しており、議論があったようです。

三・五・七は奇数であり、チャイナでは陽(天)の数ですから、それに合わせて作り出されたのでしょう。二・四・八は偶数であり、チャイナでは陰(地)の数ですが、日本では「相手がいて縁起がいい」とされ、八咫鏡・八咫烏・八岐大蛇・八百万の神々のように八を聖なる数とみなします。四を不吉とするのは漢字の発音(死と四)によるものに過ぎません。

天地開闢の神話はチャイナにもあり、3世紀の呉の『三五歴紀』では盤古という巨人が行ったとします。4世紀後半の『述異記』では、盤古の屍体のうち両眼が日月、息声が風雷、五体が五岳、脂肪が江海、体毛が草木になったとしますが、これはインドの神話が伝わったものともいいます。原初の巨人や神の肉体が万物となるのは、アッカド神話のティアマト、北欧神話のユミルなど多くの神話に見られます。

また、渾沌の泥中から複数の神々が出現する神話、天地開闢の神話も、エジプトやギリシア、ポリネシアなど世界各地にあります。日本神話が全部なんかのパクリとか、逆に世界中の神話は日本が起源だとかは言いませんが、唐代までのチャイナの影響や、仏教などの影響が皆無だとは言い切れません。

国産み

さて、イザナギとイザナミは神々の世界である高天原を離れ、地上へ降り立つことになります。そこは未だ渾沌とした泥の海でした。

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神々は両神に天沼矛(あめのぬぼこ)を授け、漂流する国土を修理固成せよと命じました。両神が天浮橋(あめのうきはし)の上に立ち、下界へ矛を指し下ろすと、青海原に突き刺さります。そしてコオロコオロとかき回し、矛を引き上げると、塩が滴って海の上に積み重なり、一つの島となりました。これがオノゴロ島(自ずから凝り固まった島)です。

あたかもヒンドゥー教の乳海撹拌、ポリネシア神話の島釣りを思わせます。また北ユーラシアや北米には「潜水型神話」があり、動物や神が水底から泥を持ってきて海の上に広げ大地を造ります。渾沌の海に矛を下ろして云々というのは秩序を創造する行為であり、交合でもあり、また揚浜式の製塩作業から思いついたようでもあります。銅矛と関係があるのでしょうか。

天からその島に降り立った両神は、夫婦となって国を産もうと欲しました。そこで島の中央に巨大な柱を立て、男神は左に、女神は右に回り、出会った時に声を掛け合い、陰陽を交合させることにします。しかし女神が先に「ああ、いい男」と声をかけたので、産まれたのは蛭めいた軟体生物の水蛭子(ひるこ)でした。イザナギとイザナミは、これを葦船に載せて海の彼方へ流し去りました。続いて産まれた淡島も子の数に入りませんでした。

大洪水によって前の世界が滅び、生き残った男女が兄妹で、やむなく近親婚を行ったが最初の子は不具や肉塊、軟体生物であった、という伝説はチャイナ南部、台湾、沖縄諸島、東南アジア、ポリネシア等にあります(洪水型兄弟始祖神話)。遡ればチャイナ南部の諸族に伝わる創造神・伏羲女媧がそれです。この両神は三皇にも数えられ、イザナギ・イザナミのモデルのひとつであろうと思われます。中世日本の神話では、ヒルコは後に海の彼方から戻ってきて恵比寿神になったとされます。

悩んだ両神は一度天に戻り、天神たちに伺いをたてます。そこで太占(ふとまに、鹿の肩甲骨を灼いて神託を得る卜占)を行うと、「女が先に声をかけたせいだ」と言われました。陰陽のバランスが崩れ、陰が強かったのです。そこで男から声をかけてまぐわうと、淡路島が産まれました。

続いて四国(伊豫之二名嶋)が産まれました。伊予・讃岐・阿波・土佐の四面があり、各々に名があります。讃岐と土佐は男、伊予と阿波は女で、伊予国を愛媛県というのはこの時に愛比売(可愛い姫)と呼ばれたからです。

次に隠岐筑紫(九州)、壱岐対馬佐渡と続き、最後に大豊秋津島(おおやまと・とよあきつしま)、すなわち本州が産まれました。この八つの島々を合わせて「大八島(おおやしま)」といいます。筑紫島は筑紫・豊国・肥国・熊曾国(南九州)の四面に分けられています。

さらに「還り坐す時」、吉備の児島小豆島、大島(周防国の屋代島)、女島(国東半島北沖の姫島)、知訶島(五島列島)、両児島(五島列島の南西の男女群島、無人島)を産みました。瀬戸内の島々と五島列島、西の果ての無人島までも数えたてられています。これは(小豆島と児島が逆ですが)遣唐使船のルート上にあり、目印となる島々を並べたものです。大三島や伯方島、種子島や屋久島は数えられていません。「還り坐す」としながら唐土へ向かっていますが、別に両神が唐から来たわけではありません。

『日本書紀』本文ではヒルコや淡島が省略され、「出産の時に胞衣(胎盤)が出たが、不快だったので『淡路(あ恥)』と呼んだ」としています。これに続いて大日本豊秋津洲(おおやまと・とよあきつしま)すなわち本州がまず産まれ、次に伊予二名洲(四国)、筑紫洲(九州)、隠岐佐渡(これは双子とされます)、越洲(越国、本州と地続きですが別扱い)、大洲(屋代島)、吉備子洲(児島)で「大八洲(おおやしま)國」とします。そして「対馬や壱岐、その他の小島は、みな潮の泡沫が凝って成った」とします。淡路島やオノゴロ島は大八洲のうちに数えられていません。

八という数は「多数」という程度の意味で、本州・四国・九州の他の島々のどれをあてるかは数合わせに過ぎません。順番も諸説が併記されています。古事記で本州が最後だったのを日本書紀が最初にしたのは、長幼の序とかそういうアレでしょう。しかし、記紀でも紀の一書でもみな最初の島を淡路島としています。「あ恥」というのは俗説で、むしろ畿内から見て「阿波への道」として、最も重要な島だったのです。

オノゴロ島は神話上の島ですが、『古事記』仁徳記には天皇が吉備へ行こうとして難波の崎から淡路島に来た時、「出で立ちて我が国見れば、淡島、オノゴロ島、アジマサの島も見ゆ、先つ島も見ゆ」と歌っています。このオノゴロ島は紀淡海峡の友ヶ島とも、淡路島の南の沼島ともされます。紀淡海峡を渡って淡路島を通り、阿波・讃岐を経て吉備へ赴いたのでしょう。

吉備と淡路は縁が深い土地でした。卑彌呼かとも推測される倭迹迹日百襲姫命の母は蝿伊呂泥(はえ・いろね)といい、その父・和知都美(わちつみ)命は「淡道の御井宮」にいたといいます。彼女は百襲姫の他に大吉備津彦命らを産んでおり、妹の蝿伊呂杼(はえ・いろと)も吉備や播磨の豪族の祖を産んでいます。政治的にも淡路が吉備と畿内を繋ぎ、「大八島国」倭国を誕生させたのですから、国産みの舞台や「胞衣」としてふさわしいでしょう。

そして、両神が産んだのは日本列島だけです。朝鮮半島やチャイナ、天竺などは知ったことではありません。「海の潮が凝って成った」か、それぞれの土地の神々が創造したということにしたのでしょう。天地開闢の初めから、日本は独立した天下として誕生したのだ、と記紀は主張しています。

また日本の国土は、神々が創造したのではなく産んだものであり、神々の子孫たる日本人(天皇や貴族)は国土と血縁関係にあることになりますが、一般人民の発生については何も語られていません。

◆槍◆

ヤシマ

こうして「大八島国」、日本列島が地上に出現しました。地質学的にはともあれ、神話的にはこのように誕生したとされます。日本列島を出産するほどですから、神々は雲突くような巨大さでイメージされていたのでしょうか。島々を神々が産んだという神話もポリネシアにありますから、南方海洋民的なイメージはありますね。次回は国産みに続く「神産み」です。

【続く】

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