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【つの版】度量衡比較・貨幣100

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。ついに100です。

 1607年5月、英国バージニア会社による植民団は北米大陸東岸に入植し、ジェームズタウンを建設しました。これを皮切りとして英国による北米植民地が少しずつ形成されていくことになるのです。

◆Colors of◆

◆the Wind◆


波哈坦人

 1607年にジェームズタウンを建設したのは、英国の探検家ニューポートです。彼は若い頃から長年私掠船に乗って活躍した海賊で、ロンドンのバージニア会社に雇われ、100人あまりの入植団を率いて到来しました。ここは川に突き出た半島にあり、河川交通にも外敵からの防衛にも有利で、先住民が住んでいないなどの事前調査に基づいたものでした。

 しかし、先住民が住んでいないのには理由がありました。ここは汽水域の湿地帯でマラリアを媒介する蚊が大量発生するうえ、土も水も塩分を含んでいて定住に適さなかったのです。彼らは自給自足するための準備もなく、たちまち飢渇と疫病に苦しめられ、1608年には38人にまで減少します。

 喜望峰・インド洋経由で「東インド」へ向かう航路は香料などによる確実な利益が見込めましたが、「西インド」では金銀の鉱山や主要な農地がすでにスペインに抑えられており、手っ取り早く利益を得るにはスペインの船や街を襲うしかありません。そのため入植団は若い貧乏な男やあらくれ者ばかりでした。「東インド」へ向かう航路や金銀の鉱山も探されたものの見つからず、銅や黄鉄鉱(黄金色に輝く鉄鉱石)が見つかった程度でした。

 英国人がジェームズタウンを建設した頃、その付近にはポウハタンあるいはテナコマカ(人の多い地)と呼ばれる先住民の部族連合が存在しました。ポウハタンとはジェームズタウンの北西、現リッチモンド東端にあった地名で「水流(pow)の中の滝の岩場(hatan)」を意味し、台地から川が滝となって流れ落ちる「滝線」にあり、ジェームズ川(先住民はポウハタン川と呼びます)を河口から船で遡上できるのはここまででした。ここを拠点とした部族が流域の諸部族と和平調停を結んで部族連合を形成したのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Jamesrivermap.png

 この部族連合には、17世紀初頭にはおよそ30部族・1万人以上が加わり、リッチモンドからチェサピーク湾に至る2万km2ほどの範囲に及びました。部族連合の揉め事や活動方針は酋長たちによる合議制で決められ、国王や皇帝は存在しませんでしたが、ワフンスナコックという老人を調停者としていたため、英国人は彼を「ポウハタン国の王」とみなしました。

 ニューポートは1607年にジェームズタウン砦を建設した後、ジェームズ川を遡ってポウハタン部族連合と接触し、ワフンスナコックに多くの贈り物をして友好関係を結んでいました。また彼に王冠を被せて「英国王に従属するポウハタン国の王」とし、英国の支配権を確立しようともしています。その後、ニューポートは英国との間を往復してジェームズタウンに物資や追加の入植団を届けたものの、慢性的な飢餓と疫病は解決できませんでした。

年季奉公

 この頃、入植者ジョン・スミスがポウハタン部族連合と接触します。彼は1580年に英国の小作農の家に生まれ、16歳で家を出て船乗りとなり、傭兵・海賊として各地を転々とし、スペインやオスマン帝国の軍隊とも戦ったといいます。バージニア会社に雇われて入植団に加わった彼は、航海中に問題を起こして投獄されたりしていましたが、ニューポートが補給のために本国へ戻ると入植団の指導者の一人となります。スミスたちは先住民の集落を襲撃し、脅迫して食糧を供出させました。怒った先住民はジェームズタウンの入植者と敵対状態となり、スミスは火薬の爆発事故に巻き込まれて重傷を負った末、1609年10月に入植地を去りました。

 同年、バージニア会社は英国王から新たな勅許状を獲得し、会社の権限が及ぶ地域の範囲を拡大しました。また植民地経営と当地に関する決定権は会社の評議会に委ねられると定められ、渡航費を自分で払える者には会社の株式を与えて株主とすることも決定されます。そして渡航費がない場合は「会社の年季奉公人として植民地で7年間働けば自由の身となり、株式・土地・農具・衣料が支給される」としました。株主は会社から利益の配当金と、少なくとも100エーカー(40ha余)の土地を受け取れるというので、英国や諸外国から貧乏人や小金持ちが殺到したのです。

 この頃の入植者に必要な物品は、食糧・衣類・炊事用具等を合わせて26ポンド(260万円)余りとされます。武器や船賃を加えればこの倍にはなったでしょう。庶民の最低年収が15ポンド(150万円)としても、渡航費の代わりに7年間働けば40haの土地と財産が貰えるのですから、貧乏人には魅力的でした。それまで生き延びていればですが、当時の入植者の1年間の生存率は25%ほど、4人のうち3人は1年以内に死ぬ苛酷な環境でした。7年間も生き延びた年季奉公人はほとんどいなかったでしょう。

煙草栽培

 状況が変わり始めたのは、1611年にジョン・ロルフがタバコの栽培を開始してからです。彼は英国出身の若い商人で、スペイン人が西インド諸島で栽培していた上等なタバコの種子をバージニア植民地に持ち込み、農園を開拓して栽培に着手しました。このタバコを英国へ輸出することにより、バージニア会社は僅かながら初めて利益を出すことに成功したのです。

 入植時に妻子を亡くしていたロルフは、1614年に先住民の女性ポカホンタス(「お転婆」というほどのあだ名で、本名はマトアカ)と結婚しました。彼女はポウハタン部族連合の調停者ワフンスナコックの娘で、1612年に英国人たちにより誘拐され、交渉のための人質とされたのです。英国人は彼女をマリンチェめいた通訳として役立てようとし、キリスト教の洗礼を授けてレベッカと名付け、英語を教えました。

 彼女とロルフの結婚により、英国人とポウハタン部族連合との間には一時的ながら和平が結ばれました。1616年に彼女は夫とともに英国へ渡り、「ポウハタンの絶対君主にしてバージニア皇帝の娘」と喧伝されましたが、1617年に病気に罹って23歳ほどで死去しています。翌年に彼女の父ワフンスナコックも逝去し、彼の弟オペチャンカナウが調停者となりました。

 ジョン・スミスは英国に戻った後、1614年にアメリカ北東部を探索して「ニューイングランド」と名付けていますが、1615年にフランスの海賊に捕まり、英国へ逃げ戻りました。ポカホンタスが英国で有名になると、スミスはアン王妃に手紙を送り「私はかつてポウハタン族に捕まって処刑されそうになった時、彼女に命を救われたことがありますから丁重に扱って下さい」と書き記しています。しかし、これ以前に彼がそうした報告をした記録はなく、有名人にあやかって有名になろうと法螺を吹いたのではないかと推測されています。その後もスミスは自分の著書で「ポカホンタスに救われた」と書き記し、彼女は「白人に友好的な『善良な』先住民」として神話化されていきました。

 ともあれバージニアでのタバコ栽培は軌道に乗り、入植者たちは競ってタバコ農園を開拓します。1614年には4樽ほどだった輸出量は、6年後には27トンに増え、倒産しかけていたバージニア会社は株主に配当を出せるようになりました。本国から続々と送り込まれる入植団により、1618年4月には400人ほどだったバージニアの人口は同年末に1000人を超え、翌1619年にはジェームズタウンで自由市民の代表による議会が開催されます。

 同年の改革により、バージニアには4つの行政区(シティ)が設置され、土地の共同経営は廃止され、人頭権制による土地の私有が認められます。これ以後、自費による渡航者には1人につき50エーカーの土地が与えられ、奉公人1人につきさらに50エーカーが与えられるとされました。もとの資金が大きく、多くの奉公人を連れて来た者ほど、多くの土地=富を得られる仕組みです。同年には初めて黒人の労働者(奴隷は1640年頃から)がバージニアのタバコ農園に送られ、大土地所有者による奴隷制プランテーション(大規模農場)を形成する基盤となりました。

 しかし入植者の増大は、当然ながら先住民との軋轢の増加に繋がります。暴力による食糧・土地・人間の掠奪や殺戮が横行し、入植者が持ち込んだ疫病によって大量の死が引き起こされ、耐えかねた先住民は武装蜂起します。1622年3月、彼らはジェームズ川沿いの31の入植地を一斉に奇襲し、347人もの入植者を殺害、20人の女性を略取します。ジェームズタウンは防御を固めて奇襲を防いだものの、周辺の農地は破壊され壊滅しました。

 これに対し、入植者たちはポウハタン側の土地を報復のために激しく襲撃したのち、主だった人々を招いて「和平会議」を行おうと申し出ます。彼らが会議のために現れると、入植者たちは酒に毒を入れて騙し討ちを行い、多数の先住民を殺戮します。オペチャンカナウらは命からがら逃げ延び、その後も20年あまりに渡って抵抗を続けることになります。

 1624年、財政難に悩む英国王ジェームズ1世はバージニア会社に与えた勅許を破棄して解散させ、バージニア植民地を王室の直轄領とします。ジェームズは翌年崩御しますが、これ以後150年に渡りバージニアは英国王室直属の植民地として存続します。またこの頃、バージニアの北にはオランダが入植地「ニューネーデルラント」を形成し、その北には新たな英国人の植民地「ニューイングランド」が形成されつつありました。

◆Cry for◆

◆the Indians◆

【続く】

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