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自他関係なく人生は描ける

朝からとてつもないスケールの話が飛び込んできた。最近時々チェックしている森岡氏の話だ。沖縄にテーマパークを作る裏側にはどんな意図があるのか。後半まで見てみるとわかるが、森岡氏の脳内には色々な社会的課題…たとえば沖縄北部の観光率の向上と交通渋滞の改善、鉄道の開始だとか、インバウンドを囲い込む地域創生だとか、それにまつわる人材育成だとか、観光業のキャリアデザインの刷新だとかを解消する未来が組み込まれている。この事業が誰から見ても感謝されるようなものに作り直さなければならないという気迫を感じた。これほどのことができるのも、氏がマーケティングのプロだからだろう。僕もかじっているのである程度共感して話を聞けた。

たしかにこれほど考えてくれるならそんなところで僕も働きたいよと思ってしまったのだが、ここで僕はふと恩師である教授のことを思い出した。課題や夢や未来を語る口調が、氏はどこか似ているのである。

そして気づいた。実は将来の夢とか理想の人生とかいうのは、そもそも誰かがデザインしてくれたものだったのではないか。人を育てるということはそもそも、その人がゆるやかに成長できるモデルを代わりにデザインすることではないか。自分の人生は自分のもの、自分で描き、開拓するものと今でこそ当たり前のように思っているが、なんだかんだ言ってもここまで育ててくれたおかげで今がある。今も自分は何者なんだろうとか思っているが、多くの人間は誰かが途中までそんなものは描いてくれるのが当たり前と思いながら、そんなに悩まず、時に文句を言い、時に自分の本当にやりたいことは保守的に隠し、あるいはずっと見つけられず適当に済ましているのだ。そしてなんだかんだ恩義や気力があるので、毎日出社できているのかもしれない。

僕は自分の欲しいものがわからない。そして、分かったとしてもそれを言うことができない。それは程度の差こそあれど皆と同じかもしれないが。仕事を辞めるときは必ず「何かが無理」になる。その「何か」の正体のひとつが、未来、つまり人にデザインされた僕の欲しくないもの(=キャリア)だったのである。

「多くの人生の先輩に出会えば、共感し、憧れる人に出会う確率も高まる…(中略)…将来の働き方を、そのような先輩を見ることによって、リアリティをもって描くことが可能になる。すべての芸事が模倣から始まるように、憧れの先輩を模倣することからキャリアデザインは始まり、実際に働くことを通して、『自分らしさ』=自分だけのキャリアデザインは描かれていく」

自分が出会った大人たちのなかから、自らのキャリアモデルを選択し、それを模倣しながらキャリアデザインを行う機会の存在が、若者の仕事上の充実感につながっているのだろう。子どもは、親や学校の教員がたとえキャリアモデルにならないとしても(実際はそのほうが多い)、大人になる他の方法を知るために、それ以外のモデルを必要としている。とりわけ学校文化(価値観)と親和性をもたない文化(価値観)をもっている子ども層にとっては切実である。なぜならモデルが見いだせない場合は、大人になること自体を拒絶する可能性があるからだ。

しかしながら、キャリアモデルを複数提供するだけでは不十分であろう。単なる「憧れ」では、現実の職業選択にあたってイメージとのギャップに戸惑うことが容易に予想される。キャリアモデルとの出会いにはその内容の充実度も要求される。

結局のところ研究室も1カ月だけ働いたバーも、エンジニアになれるように、経営者になれるように、店舗が出せるように育ててあげると言ってくれた。途中で辞めたものの見返してみるとあの場所は「育成のプロ」がいた。つまり、僕の要求に完全に答えることなど当たり前ながら不可能だったのだが、それに近似したロールモデルは提供する気で先人たちが僕にぶつかってきてくれたのだ。そしてそれは卒業した部活などにおいても同様である。そこまで責任を持ってくれる強い人はそんなに多くないが、時々いる。

人はこうして育っていくのだ、と、振り返って思った。そして僕の必要なものの為に僕はまたどこかに出稼ぎに行くのだ。逆に言うと、必要ないもののために出稼ぎに行く必要などないと本能的にわかっているのは、こういうことだったのだ。あまり仕事が続かないのも頷ける。自分の欲しいものはそこにはないからである。が、最初はそこにあると思っているから、なんとなく初見で話は通ったりする。スキルは望む自己像と金を持ってきてくれる。

金のためにだんだんと望んでいない未来に妥協して迎合していくことを勤続というのかもしれないし、本当にその先に幸せを作る場合もあるのだろう。

僕は自己像を欲しているのか、金を欲しているのかでいえばおそらく圧倒的に前者である。とはいえ生活苦も半自動的にやってくるので、両方の側面から見た整理をしなくてはならない。原理として、僕の売り出す商品がその人に見合ったものであれば売れる。対価を頂く場合には個人間取引になるだろうし、企業が「それらしいもの」を求めていれば企業にコンテンツを売りに行くこともあるだろう。受注しようと思ったら、まずサービス内容を大人数の目に触れるところに設置したり、履歴書を採用担当に持って行ったりしなければならない。そう考えると就職活動ははじめての営業行為であるということがわかる。有料noteや路上ライブなんかもあるが、これは先に商品を多数の目に触れてもらって、価値を感じたら対価を頂くというモデルになるのだろう。おそらくこういうのをBtoB,BtoC,1対1,1対多などというのだ。

世の中にはあらゆるビジネスモデルがあることを実感できる。こういうのを集め、理解していきたい。そしてそれは人に教えられる価値である。多様な生き方が可能な現代ともし称するのなら、誰しもが「ここが価値なんですよ」と自分で自信をもって言えるような、そんな状態を作らねばならない。それが1からできた人間からとりあえずは飯を食っていけるのだから。


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