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【歳時記と落語】二百十日

2020年8月31日は雑節の一つ、二百十日です。その名前の通り、立春から数えて210日目に当たります。
時季としましては、稲が実をつける頃ですが、それと同時に台風の多い時でもあります。その目安として、暦に記されるようになった。実際に昔から伊勢の船乗りたちは、この日を凶日としてたんやそうで、言うてみたら生活の知恵ですな。

そんなわけですから、台風の害から農作物を守る為の風鎮めの祭りが行なわれきました。それが今でも日本各地に残っております。富山県富山市八尾町の「おわら風の盆」なんかが有名です。

そんな二百十日の落語というと、これは直接の関係はなかなか難しいんですが、落語が二百十日に影響したという話はあります。

なんのこっちゃ、と思われるかも分かりませんが、夏目漱石の『二百十日』のことです。 

そもそも明治の文言一致、話し言葉で文章を書くという流れには三遊亭圓朝の速記本が大きな影響を与えたとも言われておりますんで、落語と文学というのは縁が深いんですが、漱石が落語好きやったというのは有名な話で、『三四郎』の中にこんな一節があります。

小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。――圓遊も旨い。然し小さんとは趣が違つてゐる。圓遊の扮した太鼓持は、太鼓持になつた圓遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。圓遊の演ずる人物から圓遊を隠せば、人物が丸で消滅して仕舞ふ、小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したつて、人物は活溌溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。

作中の人物の言葉とはいえ、漱石自身がよほど落語好きで聴いておらんと出てこない言葉ですな。

さて、『二百十日』ですが、その冒頭はこんな感じです。

ぶらりと両手を垂げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。
「どこへ行ったね」
「ちょっと、町を歩行いて来た」
「何か観みるものがあるかい」
「寺が一軒あった」
「それから」
「銀杏の樹が一本、門前にあった」
「それから」
「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」
「這入って見たかい」
「やめて来た」
「そのほかに何もないかね」
「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」

これが漱石の小説か、と思うほどにセリフばっかりなんですな。しかもその会話が微妙にかみおうてません。これはまさに喜六と清八、江戸ですと熊と八のやり取りです。その他にも「浮世床」や「愛宕山」を思わせるような場面もあります。(これについては、水川隆夫『漱石と落語』に詳しい)

また、翌9月1日は暦の関係で二百十日に当たることもありますが、1923年に「関東大震災」が起こったことから、昔からの厄日の考えとあわせて、災害について考える「防災の日」に定められております。

地震の落語というのも、ないんですが、まあ小咄はないことはない。

新婚夫婦の初夜の話や──。二人で枕を並べて寝てたところ、食べたもんの都合が嫁さんの方は、なんやお腹の方がはってしようがない。嫁いできたばっかりで、こんな粗相しでかしたら愛想付かされてしまうと我慢をしておりますが、出物腫れ物ところまわず、ついに一発おならをしてしもた。慌てて横を見ると、旦那は寝息を立ててる様子ですが、もしも聴かれてたら、明日の朝どんな顔してええやわからん、心配になって、旦那の肩を叩いて、
「ちょっと、ちょっと起きて、あんた」
「ん、なんや」
「今のん、気ぃついた?」
「何が?」
「何がて、今の…地震」
「えっ、地震あったんか。ちょっとも知らなんだがな。屁の前か後か?」

それから、こんな話もあります。

ある日、年頃の男が親に黙って、家の二階へ恋人を連れ込んだんですな。朝早う起きて、親が寝ている内に帰したええと思うてたんですが、よほど疲れたのか、起きてみますとお陽さんもすっかり昇って、下は朝餉の気配です。
ええい、しょうがない、と覚悟を決めてなんでもない風に装って下へ降りてご飯を食べ始めます。
すると父親が、
「昨日の夜中な、なんや天井がガタガタギシギシいうとったが、なんやったんろな?」
息子は一瞬うろたえますが、それを隠して、
「はァ、地震があったみたいですよ」
「そうか、地震か」
そのまま話は終わり、食事を終えて息子が二階へ戻ろうとすると、父親が一言。
「おい、二階の地震にも朝飯食わしてやれ」

まあ、なかなか粋な親父さんがあったもんで。

まあ、直接「二百十日」が関わらないということであれば、「狸の化寺」の中に言葉だけは出てきます。

黒鍬組、今の言葉でいうと土建屋さんですな、火の玉の竜五郎に率いられた一行がある村へやってきます。庄屋さんに呼ばれたんですな。

村の横を流れております「きつね川」の堤が、大雨で崩れた。とりあえず村の門が治したんやが、もうまもなく二百十日もやっくる。今度崩れたら村全体が水浸しになってしまうやもしれん、ということで修繕を頼んだんですな。

ところが、一行30人が泊まれるような宿は村にはないんで、分かれて泊まってもらわなならん。
そう言いますと、纏まっている方が仕事にも早くかかれるし、行儀の悪いもんもいて村人に迷惑をかけてもいかんので、一つ所に泊まりたいと竜五郎。
そこで、村外れの化けモンが出るという荒れ寺に泊まることにします。
寺を片付けてしまい、翌日からの仕事の備えて寝ることにいたしますが、竜五郎は眠気を堪えて、寝たフリを続けます。
夜更け頃、年の頃18ばかりと見える娘が現れ、竜五郎のそばまで寄ると、カッと目をむいて「噛もかぁ」
竜五郎が道中差しで切りつけますと、何やら黒いもんが、阿弥陀さんの陰へ。
すると、3体やった阿弥陀さんが4体になっております。
起きてきた手下と松葉の煙で燻し出しますと、1体が正体を表します。
大狸でございます。
今度は天井に駆け上がって欄間の天女に化けてしまいます。
しかし、よぉく見てみますと、天人の中に一人だけ横目つこてるやつがある。
「あいつや!」というので、六尺棒やらで突きかかりますと、彫りつけてある天人全員が一斉に欄間から抜け出した。
一同の頭上でゆらゆらと天人が舞います。
呆然と見ておりますと、中の一人が舞いながらつぶやいております。
「ああ、金がすれる、金がすれる」

この噺は、やるものがいなくなっていたのを、三遊亭百生師から教わった桂米朝師が復活させたものです。
米朝師の『上方落語ノート第四集』(岩波現代文庫)によると、

百生師の演出では、はじめに山門の入り口のところで、「昔は立派な寺であったと見えて、山門に金の箔が置いてあって、そのあとがすれてところどころに金が残っております。この金のすれたというのはまことに見にくいもので……」という筋ふりがありまして、(後略)

とあります。

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