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カレーから見る世界史1(インドからイギリスへ)

家庭でも外食でも人気の、というよりは定番のと言った方がいい料理「カレーライス」。
このカレーを見れば、世界の歴史が見えてくるといったら大げさだろうか。
周知のように、「カレー」はインドを発祥とする料理ですが、インドには日本の「カレーライス」のような料理はない。

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では、日本の「カレーライス」は一体どこから来たか。
それを探ると、世界の歴史が見えてくる。

インドのカレー

さて、ではその発祥の地インドのカレーを見ていこう。
とはいえインドには「カレー」と呼ばれる料理は存在しない。
ヨーロッパ人がインドにやっていた際に、「カレー」をいうものを知り、言葉を知ったというのは確かなだが、それが実際に何であったのか確実なところは分かっていない。有力だと言われているのは、タミール語の食事を意味する「カリ(kari)」を、ポルトガル人が料理の名称として「カリル(karilあるいはcaril)」と紹介し、それがヨーロッパ諸国に広がる間に「カリー」あるいは「カレー」という形で定着した、という説である。
そういう意味で言えば、スパイスを使った煮込み料理はすべて「カレー」であるとも言える。
インドにおける所謂「カレー」は、日本のカレーと異なり、基本的に「とろみ」はない。粘性があるように見える場合は、単純に水分が少ないというだけのことである。
これは、主として南インドでは粘り気の少ないインディカ米を、北インドでは小麦粉で作ったチャパティやナンを主食としていることと関係している。
そして、インドの「カレー」は日本のような「ごった煮」ではなく、基本的には1種類か2種類の材料を煮る。そして、その材料にあわせてスパイスを調合するため、「ガラムマサラ」のような基本となるミックススパイスは存在するものの、日本のような完成品としての「カレー粉」は存在しない。

そして、このインドの「カレー」が東南アジアやアフリカに広がっていった。
日本でもおなじみなった「タイカレー」もその一つで、ココナッツ・ミルクを用いるなど、独自の進化を遂げた。現地では煮込み料理を意味する「ケーン(kaeng)」あるいは「ゲーン(gaeng)」と呼ばれている。2011年、CNNインターナショナルのCNNGoが「世界で最も美味な料理」の第1位に選出したことでブームとなった「マッサマン・カレー」も、元はタイ中部のイスラム教徒の料理で「ゲーン・マッサマン」と呼ばれている。

スリランカでは、「モルディブ・フィッシュ」と呼ばれる調味料が加えられるようになった。この「モルディブ・フィッシュ」はカツオを乾燥させた調味料で、カビ付けをしない鰹節と言えるものである。

そして、「カレー」はヨーロッパにも伝わる。その最大の国がイギリスであった。それは、イギリスがインドを支配したことが大きな要因である。

イギリスのインド支配

そもそもイギリスを含めたヨーロッパ諸国がインドやアジアへと進出したのはスパイスが目的であった。その過程で、スパイスを用いたインドの「カレー」に出会ったのである。

ヨーロッパで最初の「カレー」の記録と言われるのが、ポルトガル・インド副総督の侍医を勤めたガルシア・ダ・オルタの『インド薬草・薬物対話集』(1563年)である。この本は後に『植物史』という書名でラテン語に訳され、ヨーロッパで広く読まれた。その中に次のような記載がある(以下は英訳本から)。

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They make dishes with it of birds and meat, which they call Caril.(彼らは、鳥の肉か獣肉で、彼等がカリールと呼ぶ料理を作る。)

次に知られているのが、オランダ人のヤン・ホイフェン・ヴァン・リンスホーテンの『東方案内記』(1596年)で、この中には以下のように書かれている(以下は英訳本から)。

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Most of their fish is eaten with rice, which they seeth in broth which they put upon the rice, and is somewhat sowre. as if it were sodden in gooseberries,or unripe grapes, but it tasteth well, and is called Carrill, which is theair dayly meat,the rice is in stead of bread.(魚はたいてい米飯と一緒に食べられるが、それはスープで煮込まれ、米飯にかけられる。やや酸味があって、ギースベリーか未熟な葡萄でも混ぜたようだが、なかなか美味で、カリールという。インド人の常食であり、米飯はパンの代わりである。)

あまり酸っぱいカレーというのは日本では食べる機会がないが、インドや東南アジアでは、マメ科の植物であるタマリンドの果実を料理につかうことがあり、これは酒石酸とクエン酸による強い酸味をもっている。リンスホーデンが食べたのもおそらく、タマリンドを使ったような酸っぱい「カレー」だったのであろう。

さて、1600年にイギリスは東インド会社を設立し、本格的にインドからアジアに手を伸ばし始める。オランダも1602年、フランスも1604年に東インド会社を設立し競い合する。
17世紀後半にはオランダが衰退し、18世紀後半にはカーナティック戦争でフランスを破り、イギリスはインドの権益を独占する。
そしてカーナティック戦争の末期に、城塞化したカルカッタを、フランスと結んだベンガル太守が占領したことから、イギリスはベンガル太守と戦うことになる。そして、これを破り、ベンガルを実質的に支配する。

1773年に、ウォーレン・ヘイスティングズが初代ベンガル総督となる。このヘイスティングズは1750年に東インド会社に書記として入社し、1764年に一時帰国するものの1769年から再びインドに渡り、マドラス管区参事会参事、総督就任前年にはベンガル知事となっている。ベンガル総督も1786年までと長く務めており、まさにイギリスによるインド支配の基礎を作り上げていった人物と言えるだろう。
そのイギリスによるインド支配の過程で、多くのイギリス人がインドとの間を往復することになり、それによって「カレー」がイギリスにもたらされ、家庭料理の中に入っていく。

イギリスのカレー

イギリスがインド支配を強化していく中、イギリス本国でハンナ・グラッセ(Hannah Glasse)という女性が書いた『Art of Cookery Made Plain and Easy』という料理本が出版される。その中に「To make a Currey the India way(インド風カレーの作り方)」として初めてカレーのレシピが掲載された。1747年、ちょうどカーナティック戦争初期のことである。

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To make a Currey the Indian Way.
TAKE two Fowls or Rabbits, cut them into small Pieces, and three or four small Onions, peeled and cut very small, thirty Pepper Corns, and large Spoonful of Rice, brown some Coriander Seeds over the Fire in a clean Shovel, and beat them to Powder, take a Tea Spoonful of Solt, and mix all well together with the Meat, put all together into a Sauce-pan or Stew-pan, with a Pint of Water, let it stew softly till the Meat is enough, then put in in a Piece of Fresh Butter, about as big as a large Walnut, shake it well together, and when it is smooth and of a fine Thickness dish it up, and send it to Table. If the Sauce be too thick, add a little more Water before it is done, and more Salt if it wants it. You are to observe the Sauce must be pretty thick.
(鳥かウサギ2羽を用意し、小さな塊に切る。3から4個の小さなたまねぎを、皮を向いて細かく刻む。コショウ30粒と、大匙1杯のコメ、茶色のコリアンダー・シード適量をきれいなヘラに乗せて火であぶり、粉に引く。ティー・スプーン1杯分の塩とそれらを肉と混ぜる。全部をいっしょしてソース鍋かシチュー鍋に1パインの水と共に入れ、肉が十分に柔らかくなるまで煮る。それからウォールナッツ大の新鮮なバターひとかけを入れよく混ぜる。滑らかになったら、立派な厚手の皿に盛り付けて、テーブルに置く。もしソースがどろっとしすぎていたら、仕上げる前に少量の水を加える。塩気が足りないときは塩をもう少々加える。ソースが丁度いいとろみになるようによく注意すること。)

この時のレシピは、コショウとコリアンダーで味付けした鶏肉かウサギのシチューといった感じの料理で、あまりカレーっぽくはなかった。しばらく後の版になると、レシピが変わって、ターメリック、ショウガ、コショウなどを使ったチキン・カレーっぽいものになっている。

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To make a Carrey the Indian way.
Take two small chickens, skin them and cut them as for a fricasey, wash them clean, and stew them in about a quart of water. for about five minutes, then strain off the liquor and put the chickens in a clean dish ; take three large onions, chop them small and fry them in about two ounces of butter, then put in the chickens and fry them together till they are brown, take a quarter of an ounce of Turmerick, a large spoonful of ginger and beaten pepper together, and a little salt to your palate ; strew all these ingredients over the chickens whilst it is frying, then pour in the liquor, and let it stew about half an hour, then put in a quarter of a pint of cream, and the juice, of two lemons, and serve it up. The ginger, pepper and turmerick must be beat very fine.(インド風カレーの作り方:2つの小さな鶏を用意し、皮を剥ぎ、そしてフリカッセのようにそれらを切り、きれいに洗い流し、そして約1クォートの水でそれらを煮込むこと、約5分間。それから煮汁を漉し、鶏肉をきれいな皿に置く。 大きな玉ねぎを3個用意し、小さく刻んで約2オンスのバターで炒め、次に鶏肉を入れて茶色になるまで一緒に炒めます。ターメリックの1/4オンス、大匙1杯のしょうがと砕いたコショウ、少しの塩をお好みで用意する。それらの材料を鶏肉を炒めているところにふりかける。それから煮汁注ぎ、約30分煮込み、次にクリームの1/4パイントと2個分のレモン汁を入れる。そしてそれを盛り付ける 。 しょうが、コショウ、ターメリックは非常に細かく刻んでおく必要があります。)

さて、それからしばらくすると、イギリスではカレーが一般化したためか、「カレー粉」が作られるようになる。
現在確認されている最も古い資料は、1777年のシャーロット・メイソン(Charlotte Mason)の料理書「The Lady's Assistant for Regulating and Supplying Her Table」である。

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Curree of Chickens.
CUT two chickens as for fricassee, wash them in two or three waters; put them into a stew-pan with as much water as will cover them ; sprinkle over them a large spoonful of sait, let them boil till tenderish, covered close, scum them well when they first begin to boil; take up the chickens, put the liquor into a bason ; put half a pound of butter into a pan, brown it a little, put to it two cloves of garlic, a large onion sliced, let these fry till brown, shaking the pan ; put in the chickens, strew over them two large spoonfuls of curree-powder ; cover the pan close, let the chickens do till brown, often shaking the pan ; put in the liquor the chickens were boiled in, let all stew till they are tender : if acid is agreeable, when the chickens are taken off the fire, squeeze in the juice of an orange or a lemon. Put half a pound of rice picked, and washed in sait and water, into two quarts of boiling water; boil it briskly for twenty minutes, strain it through a cullender, shake it into a plate, but do not touch it with the hands, nor a spoon; serve it, with the curree in a separate dish. (フリカッセと同様に2匹の鶏を切って、2~3回水を替えて洗う。それらをシチュー鍋に入れて、隠れるくらいの水を入れる。大匙一杯の塩をふりかけ、柔らかくなるまで、しっかりと蓋をして茹でる。最初に沸騰し始めたときにあくを取る。鶏を取り出し、茹で汁を浅いボウルに入れる。バター半ポンドを鍋に入れ、それを少し褐色にして、ニンニク2片、大きめのスライスしたタマネギを入れ、鍋をゆすりながら、茶色になるまで炒める。鶏肉を入れ、大匙2杯のカレー粉を振り、鍋に蓋をして、鶏肉が褐色になるまで、鍋を時々揺すりながら炒める。鶏肉の茹で汁を入れ、すべての材料が柔らかくなるまで煮る。酸っぱいのが好みなら、鶏肉を火から降ろしたときに、オレンジやレモンの汁を絞ります。米半ポンドを塩と水で洗い、2ポンドの沸騰したお湯に入れる。それを20分間活発に煮て、漉す器で漉し、それを手やスプーンで触れないで皿の上に散す。別の皿に盛ったカレーと一緒に食卓にならべる。)

この本にも「チキン・カレー(Curree of Chickens)」が掲載されており、ほぼグラッセのレシピと同じであるが、コメの炊き方が載っており、煮込み料理ではなく「カレーライス」の体裁になっていること、それから「two large spoonfuls of curree-powder」と記されており、カレー粉を使っている点が大きく異る。グラッセの頃には無かったであろうカレー粉が、この時代には販売されていたのである。

カレー粉が販売されていたことが確実に分かる資料としては、メイソンの料理書よりやや遅れた1784年に「Morning Post」(後に「Daily Telegraph」に吸収)に掲載された新聞広告がある。広告主は不明であるが、「West and Wyatt」社のものではないかとされている(画像は大英図書館より)。

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「West and Wyatt」は、1830年に従業員だったエドモンド・クロスとトーマス・ブラックウェルによって買収され、「Crosse and Blackwell(クロス・アンド・ブラックウェル:C&B)」となる。「C&B」は現在、創業を1706年としているが、これは正確には「West and Wyatt」の創業年である。
そして、このC&Bのカレー粉が日本に伝わってくることになる。

1861年に出版されたイザベラ・ビートン( Isabella Beeton)の「Mrs Beeton's Book of Household Management」になると、カレー粉の作り方とともに、小麦粉を使ってとろみをつけたカレーのレシピがいくつも載せられるようになる。

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どうやら、最初にカレー粉が発明され、その後でとろみをつけたカレーが誕生したらしいことが伺える。

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