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【歳時記と落語】七夕

「七夕」も旧暦ですと、いまの8月半ば頃、2020年は8月25日になります。

仙台の「七夕祭り」は、旧暦になるべく近いように、且つ毎年同じ日になるようにというんで8月7日にやってます。

この七夕、もともとは中国の乞巧奠というお祭りでした。織女にあやかって、機織りや裁縫の上達を祈ったんですな。当然、織女と牽牛の伝説も中国から伝わったもんです。南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日は牽牛織女の出会う日であり、乞巧奠と書かれていますんで、よっほど昔かこの風習があったことが分かります。また、この中にはかささぎが天の川に橋を架けて二人を会わせるということが記されております。

一方、「たなばた」というのは元々「棚機」と書いて、日本の古い禊ぎ行事でした。女性が着物を織って神棚に供え、神様に豊作を祈ったんですな。

機織の女性という共通の要素があったんで、この三つが結びついて、今の「七夕」の形になったと言うわけです。

牽牛織女というと離れ離れの恋人や夫婦のたとえとしてよう使われます。
戦国武将の直江兼続も「織女惜別」という漢詩を詠んでいます。

二星何恨隔年逢 (二星 何ぞ恨まん 隔年に逢うを)
今夜連床散鬱胸 (今夜 連床 欝胸を散ず)
私語未終先洒涙 (私語 未だ終わらずして 先ず涙を洒ぐ)
合歓枕下五更鐘 (合歓枕下 五更の鐘)

なかなか熱烈な詩ですな。

しかし、こんな風に使われる織女が浮気もんやったとしたらどうします?
「天衣無縫」の出典でもある『霊怪録』所収「郭翰」という話にこんな風にあるんです。

唐の時代、郭翰という青年が、夏に庭に出ていると、天から一人の女性が舞い降りて来た。それは織女だった。やがて毎夜郭翰の元を訪れるようになった。あるとき郭翰が戯れに尋ねた。
「牽牛様はどこにおいでなんですか?なぜこのようなことをなさるのですか」
「男女の間のことは、あの人とは関わりのないこと。天の川に隔てられ知れるはずもありません。知られたとしても心配するにはおよびません」
と答えた。

全く夢のなくなるような話ですな。

さて、「七夕」の落語というと、これはなかなかないんです。そこで今日はちょっと小咄をご紹介いたします。

今は字も画数が少なくなりましたが、昔は難しい字体をつこてました。「体」なんて「體」と書いたんですな。

これを「ハモ」と読んだ人がありました。なるほどハモは骨が豊かな魚には違おませんな。せやけど、あれは魚偏に豊と書くんです。

昔は字を知らん、書けんという人がままおりました。無筆というたんですな。知らんというても全然書けんのやのうて、簡単な字は知ってるんですな。せやから、「ハモ」みたいな間違いもおこる。まあ、ちょっと難しい字ぃ知ってたら「学者やな」てな事を言われたもんです。

「ちょっと教せてもらいたいんやが。《つかさ》ちゅ字が分からんねん」
「わしにそんなこと聞いても分るかいな。魚屋の大将に聞いてみ。あれはなかなか学者やで」
そこで、魚屋に聞きに行きます。
「魚屋の親っさん。ちょっと《つかさ》っちゅう字を教えて貰いたいんやが」
「つかさ……、あぁ《司》かい。あらお前、同じくっちゅう字を二枚に下ろした骨付きの方や」

まことに魚屋らしい教え方があったもんですな。
まあ、そんな読み書きへんもんも珍しくなかった時代のお話です。

さて、ある男が家へ帰ってきますと、友だちが置手紙をしていったというんですな。
「あいつこの頃、手習に行てるらしいな。ちょっと字が書けるようになったら、生意気に置き手紙やなんて、何をすんねやいな。見てみい、これ。ミミズののたくったような字書きやがって。何々、かりたはおりは七(ひち)においた? 借りた羽織は質に置いたやて。何をさらすねん。三日だけいう約束で貸したったんやで。それを黙って質になんか置きやがって、なんちゅうことさらすねん」
言うてると友達がやってきます。
「おうっ、手紙読んでくれたか?」
「お前はえげつない男やなぁ。え、何がて、そやないかい。三日だけて頼むさかいにあの羽織貸したったんや。それを何でわしに黙って質に置いたりすんねん?」
「そないなことするかいな。お前が留守やっちゅうさかい、そこに置いといたんや。ほれ、ちゃあんとそこにあるやろ」
「え? あ、ほんに。あるなぁ。せやけど、借りた羽織は七に置いた、て書いたぁるやないか」
「お前字知らんなぁ。そら、七夕の「たな」という字やがな」

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