見出し画像

レストランはなぜ隣にベーカリーを開けるのか ~ パン屋の夢と経済学

【ケーススタディ #5】 breadworks

レストランを経営する会社がベーカリーの運営に乗り出すことは以前からありましたが、最近はパンブームでそうした動きも多いように思います。その裏にはどんな考えがあり、どんな目的や理由があるのでしょうか?

タイソンズはレストラン経営を中心にしていますが、ビール製造やコーヒー豆の焙煎などクラフトメーカーとしての顔も持っていて、レストランで使用するパンも一部を除きすべて自分たちで粉からつくっています。

これまでも色々なレストラン会社がベーカリーをやってきましたが、タイソンズでどのようにしてベーカリー事業が生まれ、そしてどのように発展していったのでしょうか。いまやタイソンズでも重要な位置を占めるベーカリー事業誕生の裏側を解説します!

■目次
1.ベーカリーを開けたかった理由とは
2.天王洲の1号店ができるまで
3.表参道に焼きたてパンを!
4.品川駅にも進出
5.まとめ

1. ベーカリーを開けたかった理由とは

T.Y.HARBORの開業時、いまbreadworksがある隣の倉庫には、別会社の運営による劇場「T.Y.HARBORシアター」がありました。200席ぐらいの規模の劇場は貴重だったらしく、色々な演劇やイベントを行っていました。

ただビジネスとしては長く続かず、その後あるデザイン会社のオフィスが入居しましたが、ここも数年後に退去して2008年に再度空くことになったのです。

画像2

ゲートをくぐりT.Y.HARBORへと抜けるこの通路には、レストランの開業当時テーブルはなく、左に見えるベーカリーのドアがシアターへの入口となっていました。

「TYの横が空きますけど使いますか?」 タイミング的に何か新しいことをしたかった自分は、寺田倉庫からの打診に思わず身を乗り出します。

でも、さあ何をするか??? 社内で相談すると、忙しくて席が足りないのでTYの客席にしようとか、イベントスペースとかウエディング会場とか、そんなアイディアが出てきましたが、自分としてはすでにあったレストランと違いつつも何か補い合えるものをやりたいという考えを持っていました。

そこでたどりついたのがベーカリーカフェ。理由は3つありました。

第一には、あの気持ちいい水際の空間を朝から1日中楽しめるようにしたかったから。T.Y.HARBORはランチとディナーの時間帯しか営業しておらず、それ以外の時間帯は顧客を帰してしまっていたため、もったいないという気持ちがありました。でもカフェなら朝からできるし、「アイドルタイム」(ランチとディナーの間の時間帯)もレストランのように閉めることなく営業できます。

第二には、全く違う使い方のお店ができることで、顧客の来店動機が増えるから。パンを買うついでにランチしたり、ご飯を食べたついでにパンを買ったり。近隣にマンションが急速に増えるなか、日常で利用するベーカリーが横にあることは、TYのビジネスにとって必ずプラスになると考えました。

そして最後には、レストランで使うパンの品質を上げたかったから。当時、某有名ベーカリーから仕入れていたパンはランチにあわせ夜中に工場で焼き上げられて朝に届けられ、時間が経って湿気を吸ったパンを温めなおしたりして出さざるをえず、それにそもそも品質が良くなくてたびたびコンプレの原因になり、長い間の悩みの種でした。自分も好きではありませんでした。

ベーカリーカフェをつくって朝から美味しいパンを出せたなら、そのすべてを満たしてくれる。それに何より、創業以来つくってきたビールは「液体のパン」とも呼ばれ、パン生地から偶然に生まれたのではないかという説もあるぐらいで、イメージ的にもベーカリーはピッタリだったのです。

画像3

色々なビールで試作してみて、一番相性のよかったウィートエールのビール酵母を使う「ビアブレッド」。天王洲の人気パンです。ウィートエールはその名のとおり小麦系のビールなので、やはり一番合ったのか???ちなみにその他のビールは基本は大麦を使用しています。

当時自分がつくったキックオフ資料を見返すと、それらの理由を列挙した最後に、「たとえ単体では儲からなくても(サンドイッチやランチパンなど商品力が上がることで)TYの魅力がアップしたり、近隣住民の生活のクオリティが上がったりするならやろう」ということが書いてありました。

2.天王洲の1号店ができるまで

とはいえ、経験のない分野での挑戦をどうやって始めるか。

寺田倉庫の天王洲のビルには当時某有名チェーンのテストキッチンが入っていたので、そこと提携してはとの話があり打ち合わせもしました。ただやはり大手のシステマチックな運営によるベーカリーと、自分たちが目指していたクラフト的なアプローチのベーカリーは方向性が違うこともあり、タイソンズとしてはビール事業と同様にベーカリー事業も自力でゼロから立ち上げる道を選んだのです。

意識して探してみると、意外と近くに助けてくれる方たちがいました。当時始めたてだった茶道でご一緒していたのが奥本製粉の奥本さん。良い小麦を扱っていて、試作にあたっては厨房を使わせてもらったりして、商品開発などで大変にお世話になりました。

またクラフトビールの会社が開けたベーカリーとしては、湘南の湘南地ビール(熊澤酒造)による茂吉ベーカリーがすでにあって、熊澤さんにも連絡して見学に行かせてもらいました。

画像5

mokichi baker & sweets(神奈川県茅ヶ崎市=写真は公式サイトより)
熊澤さんとは色々とご縁も深く、タイソンズの店には刺激をもらうと言っていただいたことがありますが、熊澤酒造さんもリソースの使い方や展開の仕方がとても上手だと思うので、私もインスピレーションを受けております!

ただ勉強をしたところで、ベーカーがいないと何もできません。フツーにフツーの媒体で採用をかけてみたところ、3人の勇者たちが入社してくれました。彼らは後に重要な役割を果たしてくれるようになります。

そしていくつかのお店をベンチマークにしてパンの試作などを行っていきました。当時の資料を見て思い出したのですが、都内の数々のベーカリーに加えて入っていたのが大阪のブランジェリータケウチ。breadworksはだいぶ違う方向性になりましたが、1日1000人が訪れ警備員も立つほど人気だったあのお店が持っていたワクワク感に感激し、ああこんな風に行くのが楽しいお店だったらいいなと思ったのです。現在では西宮に移転されて違う名前で営業されていますね。

そんなこんなで試作を続けていたものの計画が遅れ、2010年春、ベーカリー「breadworks」はやっとオープン。そしてありがたいことに初日から近隣で働く人たちでランチタイムは大行列となりました。ところが見ていると行列の原因は、パンがショーケースに入り対面で店員にとってもらう形式では効率が悪く、オフィス街ならではのランチタイムのピーク需要をさばけていなかったからであることに気づきます。

画像5

竣工時のbreadworks。中央入口の真正面にショーケースが見えています。オープン時はショーケース前からドアを外に長い行列ができました…

さすがにすぐに改修はできませんでしたが、のちにカウンター部分と客席の一部を改修して、自分でパンをとるセルフサービス方式に移行しました。

そして2017年、大きな改装が行われます。それまではパンとドリンクを中心とした軽いカフェでしたが、さらにしっかりした食事やスイーツなど選択肢を増やし、TYとは違う使い方という路線をより強くして、地元の日常には欠かせない店をもう一つつくろうと思ったのです。

そのため新たに紹介で入社した女性シェフによるデリを加え、近隣の人たちにTYとは違うヘルシーな選択肢をつくり、さらに天王洲の少し離れた場所で頑張っていたケーキショップのLily cakesも取り込んで、美味しいケーキや焼き菓子も出せるようにしました。その結果、売上は2倍弱に伸び、週末の朝などは散歩する人やランニングする人などで行列ができるような状態になったのです。

画像6

画像7

交通の便のよい繁華街ならいざ知らず、天王洲のような不便で離れた土地にこのレベルのお店があることは、少なからず地域のQOL(クオリティオブライフ)向上に役立っているのかな、とも思います。

画像8

Lily cakes - 様々なケーキや焼き菓子を後ろのキッチンでつくっています。近隣の方のバースデーやクリスマスなどのイベントにもよく使っていただいてます。

3.表参道に焼きたてパンを!

天王洲店が進化する一方、タイソンズがお店を展開していった都心でもお店を開けることになりました。

2012年にシカダを表参道へ移転したとき、シカダを入れたかった建物の前には、広大な駐車場と以前「使用人部屋」として使われていた長屋がありました。この部分をどうするかと考えるにあたり、ベーカリーを開けることは実は計画当初から考えていました。

画像9

画像10

駐車場のゲートのなかは野良猫の楽園となっていました。レンガ壁を壊して生まれたbreadworksの前は、ご近所民の楽園と変わりました。

普通であれば家賃の高い表参道エリアで、客単価の高くない日常的なベーカリー、しかも人件費の高い「スクラッチ(冷凍生地など使わず粉からつくる)」ベーカリーを経営するのは至難の業です。そのため近隣では焼きたてパンを買いたくても非常に選択肢が少なく、近所に住む自分が「美味しいパンを朝に食べたいから」、という究極の個人的理由(とはいえ地域住民代表としての声)は、ベーカリー計画の大きな原動力でした。

でも、もちろんオーナーのわがままではなくビジネスとしても理由もありました。この場所でベーカリーをやる利点は、横にレストランCICADAやカフェcrisscrossがあることで、通常の店頭での小売りに加えて初めから相当な卸売上が最初から見込めたことでした。近隣の飲食店も同じく顧客になり、そうしたアドバンテージを活かせるので、breadworks表参道は経営的にも成り立ちやすかったのです。

画像13

長屋部分は breadworksとカフェのcrisscrossに。ご近所の飲食店では、自分が自分のお店以外でおそらく一番行っているであろうL’ASが使ってくれたり、今はない名店ホロホロがそれまでのものを切り替えたら顧客にパンが美味しくなったと言われた、との嬉しい言葉もいただきました…

このエリアはもともと住民や働く人が多い上に歩いて通過する人も多く、この店はコンビニ以外の選択肢を提供し、生活に潤いを与えるという意味では一定の役割を果たしていると思います。

画像14

表参道の道路沿いに看板がほしいというので、アンティーク自転車に食品サンプル(!)でコロネ風ライトと山型食パン風の荷物入れをつけてみました… 結構写真に撮られました。

3. 品川駅にも進出

また翌2013年には、エキュート品川にもお店を開けました。タイソンズは商業施設に出店しないことで有名ですが、唯一施設内にあると言ってよいのがこのお店。

役員がエキュートで開けたいと言ってきたときには、え?エキナカ?と思いましたが、でも話を聞いてよくよく考えると理にかなっていました。駅構内の限られたスペースではデニッシュ系ぐらいしか焼けず、ハード系のパンは天王洲の大きなオーブンで焼いて運ぶとのことで、駅に出店(でみせ)ができたような感じのため投資も限られ、でも一部の焼きたてパンも提供できる。とても効率的でした。

画像11

新幹線乗り換え口にも近いエキュート品川内にあり、友人が新幹線に乗る前にかってくれたりもします。コンパクトながらも頑張っているお店です。

この店では遅い時間まで焼きたてパンを供給し、エキナカながら地道に常連客をつくってきました。実は品川駅構内には確か7店舗もベーカリーが入っているのですが、その頑張りの成果かコロナ禍からも一番早く回復していきました。

5.まとめ

ゼロから自力でスタートしたベーカリー事業でしたが、その後の会社の展開を支え、そしてコロナ禍では会社そのものを支えてくれました。

天王洲で最初に開業したとき、その倉庫は180坪という大箱でベーカリーカフェには大きすぎるので、あわせてビール工場を拡張、大きなキッチンを作ってケータリング事業を始め、オフィス移転までして実は会社としての一大事業となっていました。当時の役員会資料を見返すと、レストランというコア事業に対し、新規のベーカリーカフェ・ケータリングに拡張したブルワリーやウエディングを加えて周辺事業と位置づけ、会社全体のおよそ1割強の売上を目指す計画でした。

その後会社は成長しましたが、12年に表参道、13年にエキュート品川、15年にNo.4とベーカリー店舗の出店を続けた結果、ベーカリー事業だけですでにその目標をはるかに超えています。

決して大箱レストランのように大きく稼ぐパワーはありませんが、でも2011年の地震直後やコロナ禍においてレストラン売上が急激に落ち込むなかでも、人々が生活に必要とするパンを扱う店舗は安定していてくれて、会社を助けてくれました。もしベーカリーがなかったらどうなっていただろうと思ったこともあります。

パンはとても日常に深く関わる商品であり、よいパンがあれば近隣は喜び、お店には人が集まります。その経験は今に役立ち、breadworksを展開してきたあとも麹町のNo.4やコンサルティングなどへの展開につながっていきました。

画像15

breadworks のアイコンとも呼べる、友人の高橋信雅氏によるイラストは色々なところに出てきます。

画像16

画像15

私たちのベーカリーは、海外ブランドのような華があるわけでもなければ、大きな流行を生み出すものものでもありません。でも粉から手作りで安心安全なパンをつくり、確実な味で日常に溶け込んで、地元に長く愛されるベーカリー店舗を目指しています。だからお店で子連れのお客様に「うちの子はここのパンは耳まで食べる」と言われたり、近所にあるおかげで朝が楽しみと言われたりするととても嬉しいのです。

パン屋はそれぞれ色々な夢とストーリーがあり、様々な経済学的成り立ちがあります。ビール同様に麦と水、そして酵母の力で発酵を経て誕生する商品自体も奥深いですが、その裏側にある奥深さもぜひ近くのパン屋さんで見つけて楽しんで下さい!

次号予告:
【長く愛される飲食店のつくり方 #2】照明
見過ごされがちだけど実は非常に重要な店の照明。その理由と気をつけるポイントを解説します。(10月下旬予定)

次々号予告:
【ケーススタディ #5】 IVY PLACE
東日本大震災が起きた2011年の暮れ、代官山にできた施設は大きな話題を呼びました。企画段階から関わり生まれたレストランの裏側を初公開。(11月上旬予定)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?