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自分語りができない

私は、自分語りができない。

という自分語りを今からする。

自分のことを話そうとすると、キーボードを打つたびに顔から火が出そうなほど恥ずかしい気持ちになる。照れているのではなく、この凡庸なる人生を面白おかしく、または美しくドラマチックな言葉として連ねようとすることが辛い。過去のこととかを社会や世界やたったひとりのあなたにコネクトさせていくのも照れ臭い。けど書いてみる。

私はコンタクトレンズを外した世界が大好きだ。朝起きて目をこすっても、見える世界はぼんやりとしていて全てが虚ろだ。窓辺から差し込む朝日も優しくて、だんだんこの世界は実はとても良いところなんじゃないかと思えてくる。でも、このままベッドから起き上がろうとすればきっと床に這う充電器のコードにつまづいて、その瞬間に世界を嫌いになってしまうことはわかっているので、仕方なくコンタクトレンズをつける。姿見越しに映る、ピントが合って輪郭がはっきりとした私には、心底うんざりする。重力に逆らっている綿ぼこりをつけた髪の寝癖や、口周りで白く固まった唾の跡を見つけると、もっとうんざりする。仕方ないから学校に行く準備でもしよう。昨日炊いたご飯と味噌汁の残りを電子レンジで温めながら、麦茶とジップロックに詰め込んだきゅうりの浅漬けを冷蔵庫から取り出して、陶器の小皿に浅漬けを盛り付ける。薄い輪切りにしたきゅうりはくたっとしていてやけに鮮やかで、まるで覇気のない青二才な私を映しているかのようでやるせない。ダイニングテーブルに麦茶ときゅうりをおくと、電子レンジが私を呼ぶ。手まり寿司一つ分くらいの白米を盛った茶碗と白い麹がぷつぷつ浮いている煮詰まった味噌汁のカップを取り出して運び、ダイニングテーブルの椅子に座る。そこでお箸を持ってきていないことに気づく。私は餌にありつけない猫のように、小さな唸り声を鼻と喉の奥で鳴らしながら、テーブルから片方の足を使って、およそ2歩分の大股で体を移動させてお箸を奪還し、また2歩くらいの1歩で戻って席につき、朝食を食べはじめる。なんか、バスケットボールの練習みたい。自分のストロークに一人でちょっと笑いながら、薄いきゅうりスライスをお箸で啄んだ。

学校へ向かうバスのなか。私がつり革を持って突っ立っている目の前に、スマホ越しに大声で喋るギャルママが座っていた。アイメイクがやたら濃い。ティントっぽい唇の赤は、妙にグロテスクだ。お腹には赤ちゃんがいるのか、すごく大きい。もうすぐ生まれるのだろうか。彼女は目の前にいるのに、ほとんど何を話しているのか分からない。それは私がイヤフォンを両耳につけてシステム・オブ・ア・ダウンの「Lonely Day」を聴いているからだけれど。彼女の足元の、ギラついたシルバーのキティサンからのぞく小指の赤いエナメルはちょっと剥げていて痛々しい。ん?私、この方を痛々しいと感じているのか。話したこともないのに、私ってなんて失礼なんだ。でも、きっと今日の模試が始まる前にはこの人のことを忘れてるんだろうな。私はなんて冷たい人間なんでしょう。あ、やべ。残り3ページ分の英単語、1回も見てなかった。昨日のエミのインスタライブで、同時配信とかノリで申請しなきゃよかったかな。でも小瀬先輩がコメントくれたし、まあいっか。というか、キティサンってどこで売ってるんだろう?スマホでメルカリを開いて思わず「キティサン」と打ち、検索をする。20円から300円までの、様々な色味、画質、画素のキティサンが表示されていく。この世はキティサン天国。いや、誰かが履いたかもしれん健康サンダルを買うのはちょっとキモイから地獄なのか。今日の模試が終わったら、エミを誘ってタピオカ屋で期間限定の抹茶黒蜜のやつを買って、メルカリでキティサンを一緒に見ることにしよう。

模試が終わってスマホを見たら、ママからラインがきていた。相変わらず世話焼きな人で、また誰かの相談に乗ってるみたいだ。いつもせわしなく誰かとお茶をしては、何かと何かの間に挟まって自分をすり減らしている。でも、私の前では嫌な顔一つしないで毎日ご飯を作ってくれる。たまにそんなママをものすごく可哀想に思ってしまう。きっと、私たちみたいに、将来にいろんな選択肢なんてなかったのかもしれない。もちろん、どんな人生だって選べることに変わりはないのだろうけれど、ママが私を生むことを本当に望んでいたのか、それは大人になってもママの子どもであり続ける私にはついぞ分からない。きっとママが死んでも分からないだろう。それに、私はママにきっと将来孫を見せてあげようなんていう可愛い娘には育たなかった。けれど、ママはそんなことも大して気に留めないだろう。というか、きっと考える余地すらないくらい毎日別の誰かを思いやり続けている。私が再来年、どこかの大学で一人暮らしすることの本当の意味すら、想像していないかもしれない。そう思うとちょっとだけ寂しく感じてきて、小生意気な私はわざとママのラインを既読無視した。

放課後。エミと、氷の溶けたぬるくてまずい抹茶黒糖タピオカのゴミと化したカップを片手にキティサンのトークでひとしきり盛り上がったあと、小瀬先輩が昨日残した「先輩」っぽいコメントについて、かなりシビアな議論をした。あれはちょっと無かったかな、と私がいうと、エミは真面目な顔で「あれはちょっと狙ってた」という。私が「違うんだよね」というと、カップの底に溜まっていた薄緑のミルキーな残り汁を極太ストローでズズーと吸いこんだあと、「違うんだわ」とエミは言った。私たちの小瀬先輩は、きゃーぴー言ってくる後輩のインスタライブにコメントなんかしちゃいけない。常にクールで、私たちの目線に気づいたりしちゃいけないんだ! インスタライブの視聴者に小瀬先輩のIDが表示された瞬間はエミも私も心躍ったけれど、30秒に一回くらい会話に混じってくるようなコメントをつけてくるのにはちょっと幻滅した。テニス部を引退してからというもの、ちょっと浮き足立っている小瀬先輩には、ぜひとも永遠の帰宅部(噂によると本当は卓球部だったらしい)、山岸を見習ってほしい。私たちは敬意を持って一個上の山岸拓先輩を「山岸」と呼び捨てにするけれど、山岸は絶対に夜中の後輩のインスタライブを見たりなんてしない。まして、ストーリーだってたまにしか見てくれない。いつだって山岸は、私がその日胸に響いちゃった歌詞のスクショを投稿するようなクソダサいモードのときに限ってストーリーをのぞいてくるようなやつなのだ。ラインだって、「うい」「おっす」「はいよ」とか、3文字以上の返事がきたことはない。でも、だから私は山岸が大好きだ。ふとエミが「おいおいっ」と私を小突く。
「おい田口、今山岸タイムだったしょ」エミがいう。この子にはかなわないな、ほんと。
エミは、同級生でYouTuberをやっているらしい彼氏と待ち合わせてるからバイバーイといって駅ビルの奥の方にさっさと消えていった。さて、私はバスに乗って帰ろうかな。そういえば、今日なんであんなにキティサン調べてたんだっけ。まあいいや。

駅ビルからバスターミナルまで歩いて向かう通り道に、私が毎日立ち止まるペットショップがある。入り口の周りは外からも動物たちが見えるアパートみたいに部屋が仕切られたガラスウィンドウになっていて、各部屋には元気に戯れる小型犬の赤ちゃんやすやすや眠る子猫たちが暮らしている。ここに、いつも私の目に入ってくる子犬がいる。右端のガラスウィンドウの上から2段めの部屋でいつも無愛想にうずくまるその子犬に、私は勝手にソルトと名付けた。ほかの部屋の住人たちは定期的に入れ替わるのに、ソルトはもう何ヶ月もこの部屋にひとりぼっちでいる。「おまえ、しょっぱいなぁ」と思ってソルトと名づけたことを思い出した。最初に見たとき一緒の部屋だったチワワのチョコ(こっちも勝手に名づけた、理由はチョコチョコ動いてたから)は、とっくに居なくなってしまったのに。ソルト、お前はしょっぱいやつだな。大して犬に詳しくない私は、犬種もわからないもしゃもしゃした白黒の毛がだいぶ伸びて、離れた垂れ目を伏せたままこっちを見向きもしないソルトをじっと見つめてから、ペットショップを通り過ぎてバス停を目指し、歩きつづける。

バス停横のくず入れにタピオカが2、3粒残ったカップを捨てて、バスに乗り込む。ママからきた「今日も帰り遅くなる、洗濯物干しといて」のラインには、ぶっきらぼうにウサギが両手を挙げているスタンプを返しておいた。

帰宅。洗濯機の中では、私の下着や制服のブラウスやらが、キッチン用タオルや大量の靴下と絡み合ってじっとりと湿っていた。全部を取り出してカゴにつめ、部屋のベランダに移動してガラス戸を開け、出しっ放しの物干し竿に一つ一つを干していく。洗剤のいい香りがぷーんと鼻を通り過ぎる。外はもう暗くなっていて、星がチラチラと光っていた。もう、だいぶ涼しくなったなー。小さな虫の羽音を聞きながら、せっせと靴下をひとつずつ洗濯バサミに挟んで吊るしていく。そうだ、ママが帰ってきたら肩もみでもしてみよっかな。そう思いつくと、お腹の底から機嫌が良くなってきて、何もしていないのに誇らしい気持ちでいっぱいになった。

小さな星の粒を目で追いながら、すっきりとした空気を細長く吸い込む。山岸にラインしてみよう。あした。きっともうすぐ私大の推薦入試のはずだ。興味もないのに買ってしまったあの大学の赤本、もったいなかったな。まあ、いいか。

宇宙人っているのかな?私はいると思うんだ。きっとどこかで私たちを監視してると思う。でも、監視されて嫌な感じはしない。きっとどこかで私を見ていて。そしていつか、私はあなたを見つけるんだ。

ああ、やってしまったなあ。
やっぱり自分語りは無理だった。
太宰治の『女生徒』が好きな話をしようとしたら、『令和JK』版になってしまった。自分語りはまた今度。