鉛の風船とジェット・ラグ

私は移動するのが好きだ。久しぶりに飛行機に乗ってみたら、隣が父子の二人組だった。フライトは1時間、というアナウンスが流れて、お父さんは息子に「1時間は何秒だと思う?」と問いかける。息子はウーンとちょっと考えてから、暢気に「分からん」と答える。続けてお父さんが「1分は何秒?」と尋ねる。息子はまた間をあけてから、とっておきの小声で「59秒」。「なんでやねん」とすかさずお父さん。

きちんと「60秒」と答えた息子に、じゃあ1時間は?60分だから?とフォローを入れていくお父さん。その後、息子が答えを導いたかどうかまでは分からない。盗み聞きが過ぎると、ちょっと心が痛むのもありつつ、何より私はフライトのために作ったsafetripというプレイリストが楽しみだったので、そっちに集中したかった。駅弁を楽しむがごとく、フェニックスのGoodbye Soleilやプム君のLover Boyなどマイ鉄板移動ソングをきくために、私はいつも移動するようなもんだとすら思っている。

とびきりだったのは、まだ陽が登っていない時間に乗り込んだ高速バスで、ぎゅっと足を折り曲げて、半分寝ぼけながら、窓の外をぼーっと眺めていた時のことだった。朝焼けが濃くあざやかに滲んでいく工業地帯の海沿いの道を通りながら、好きな映画のオープニングの映像を思い出し、急いでビージーズのイン・ザ・モーニングを聞いた。たまらない気持ちになった。

元々この映画は母がよく見ていて、ラストは二人が花咲く廃線路でトロッコに乗ってどこまでも進んでいき、そのままゆっくりとしたズームアウトでエンドロールになっていくのだけれど、その断片だけが、小さい頃から私の記憶でおぼろげに残っていた。

その後二人がどこに向かうのかは分からない。私は、昼夜問わずたまにそのシーンの夢を見ていたので、大学生のころ、その映画のタイトルを母に教えてもらうことにした。

そしたら母はその映画のタイトルを教えてくれたうえ、それとは別に、お気に入りだという2本の映画をDVDで送ってくれた。もう、忘れもしない、『ひまわり』と『ライフ・イズ・ビューティフル』。朗らかな気持ちで観てみたら、どちらもとんでもなく衝撃を受けたし、いまだに問いたい。ねえお母さん、なぜに一人暮らしデビューの娘に向けて、このような映画たちを?

錦鯉がM-1を獲って、私はほろっと泣いてしまった。若者がみるネタ番組で、ツェッペリンのイミグラント・ソングを引用して「移民の歌じゃねえか」ってつっこんでたのをみて、胸を打たれてファンになったから、仕事終わりに滑り込みで見たお猿さんのネタでも謎に感動してしまった。

ついでに、M-1ラストイヤーだったラジオスターが敗者復活戦で見せた「簡単そうに見せることに技術がいるんだよ、馬鹿じゃ出来ねぇんだよ」というパンチラインが、彼らと元は同じ事務所で仲良しだった錦鯉の優勝にも繋がっているような気がして、勝手にじーんときて、もう一度YouTubeでトークを見返したりしてしまっていた。2組が神社でストゼロ飲む企画の動画は、この命果てるまで待ちたいと思う。

M-1が終わったとたん、年末の足音がすぐそこに聞こえてきたので、取り急ぎ大掃除ごっこをはじめた。玄関マットを洗って、玄関を掃き出し、あらゆる壁を拭いて、要らないものを捨てた。要らないものは不燃ごみが少しと、可燃ごみの袋2つ分になった。自分で手に入れたのに、要らないものなんて薄情だなあと思うけれど、来る新年のためにとここは無心で袋に詰め込んだ。

そしたら、いろいろすっきりして気持ちがよかったので、思い切ってシャワーカーテンとキッチンマットを新調することにした。長いことお世話になっていたフライパンも、世代交代した。ぴかぴかのシャワーカーテンは今までのやつと素材が違って届いた瞬間は心配だったけれど、1度使ってみたらすぐに慣れてしまった。キッチンマットとフライパンは言うまでもなく、「もっとはやく買うべきだった」。

年越しに遊びにくる素敵な友達に計画の連絡を送って、勢いでロイズの生チョコレートを買った。絶対好きだろうなと思ったら、本当に好きみたいで喜んでくれて良かった。続いて、寅の耳クリップを買っていくねと言われた。そんなものあるのか半信半疑でいたら、amazonのリンクが送られてきて震え上がった。ディズニーですら変な耳をつけるのが一番イヤで今まで触れてすらこなかったのに。今年最後の要らないものは、捨てるどころか、年をまたいで我が家にやってくるのかもしれない。それでも私は薄情じゃないので、友達の来訪を静かに待つことにする。

でも、年齢関係なく普通に話せる友達っていい。今年は年越し鍋焼きうどんに決まった。君のためなら私はなんだって作っちゃうぜ。

こんな時間まで起きて、またまたパソコンをぽちぽちやっているのはどうしてかというと、今日のタイムサイクルが後ろ倒しになっていることが大きい。日本に住んでいるけど、4時間くらい時差のある暮らしをしている。旅していないときに時差ボケがあるのって、正直なところあんまりハッピーではない。気持ちいい朝なんてこの前の高速バスがいつぶりだったか分からない。暮らしのなかで、こうした少しの毒素が溜まっていくと、家も雑然としていくことになかなか気づけなくて、気づくと鉛のように重たい体と空間だけがそこにある。思うように身動きが取れなくなって、目を瞑る前に朝を迎えてしまう。ここ最近は、その悪循環に悩まされているような気もする。

とはいえ、こうやって燦然と輝くブルーライトを浴びてる暇があったら、早くこの窓を閉めて(ついでに流しはじめてしまったツェッペリンも消して)目を瞑る努力をするべきかもしれない。でも、時差ボケとは別に眠れない理由もあるので仕方ない。私は冬が好きで、年末が一番好きで、ワクワクしちゃってるからだ。何も起こらないし何も具体的なイベントはないけれど、逸る気持ちってまさにこのことだと思う。

初雪を夢で見たいなあと思いながら寝ることにする。