文化とお金と感動と生活

今日いいことがあった。仕事関連のインスタグラムを眺めていたら、見たことある?という人が写っている投稿を見つけた。

写っていた彼女は、一昨年のクリスマスに開催した私の会社のファンイベントに参加していた高校生だった。サポートスタッフだった私は仲良くなり、連絡先を交換し、その後何度かメールでやりとりをした。彼女は私の会社の商品やサービスにとても感動してくれていた。しかも関連した勉強をするために、大学を受験をする直前だという話を聞いて、とても盛り上がった。

その後、彼女は無事進学をして実家を離れ、一人暮らしをしているようだった。去年の夏、東京で会おうとしたけれど、結局台風でキャンセルになって以来、連絡が途絶えていた。彼女の事がずっと心の片隅にありつつ、けれども連絡するタイミングを逃してしまっていたから、私と同じ会社のロゴのエプロンを身につけている彼女の姿をみて、めちゃくちゃ胸が高鳴った。

ドキドキしながら、彼女宛に「もしかして、これはあなたでしょうか?」という旨のメールをしたら、返信がきて「高校生の頃からの夢が叶って嬉しいです」とのこと。私の中のドキドキは、じわぁっと感動に変化する。

私たちは、生活するためにお金が必要だ。家に住んで電気をつけ、水を飲み、お風呂を沸かすにはお金を稼がなくちゃいけない。だから、仕事をする。仕事をしてもらった報酬としてのお給料で、生活を繰り広げる。それはきっと、当たり前のことだ。

だけど、お金じゃ満たせないような「ご褒美」が、この出来事にはあったように思う。一昨年、働きたいんです!と話していた彼女が、今まさに夢を叶えて働いているということ。自分も、高校生の頃に憧れていた会社に転職してきて、「うおっ、今私、夢叶えてるんか!!!!!」とふと感激したりするけど、その感動が他の誰かにも広がっているのが嬉しい。

いっぽうで、こういう「感動」みたいな体験は、人生のリアルな出来事だけじゃなく、映画を見たりマンガを読んだり、コンテンツをもってしても生まれていく。水を飲むことだけが、果たして私の生活のすべてなのか? 人がひしめき合う暗いフロアで、音楽よ、永遠に終わらないでって願いながらひたすら踊り続けることも、私には必要だ。

私は、文化がほしい。どんな時も文化してたい。

ある時、農園にタマネギを植える手伝いをしに行った時に、ひたすら苗を植えていく中で、音楽がほしいね!と皆で話した。テンポよく作業をするためにハウスを流したり、ボサノバで朗らかにやったりとても楽しかった。その時、ふと「田楽ってこうやって生まれたんかもなあ」と思った。これも文化!

きっと、私と彼女を繋ぎ続けているのも、タマネギを植えるときの欲求も、文化が生まれているひとつの形なのだと思う。たぶん文化はメッセージ!そして私は、私のために文化を生みだす誰かに、きちんと対価を支払いたい。フェアでいるために、私はお客さんであり続けたい。

文化を作る彼らにも、生活がある。私と同じように。彼らは、誰かに感動とか興奮とか、そういう最高の体験を届けるために、生活を続けている。まわりまわって、やっぱりお金は必要。ありがとうという言葉はとても必要だし大切だけれど、私が伝える「ありがとう」という言葉では、彼らは制作中に飲むためのミネラルウォーターを買えない。

今、休みも平日も朝も夜も延々と地続きになっている在宅勤務中、何が私の心を柔らかくしてくれているのか? それは、芸人たちの深夜ラジオ。それは、開高健さんのエッセイ。それは、Spotify。それは、上條淳さんの『Sex』。それは、録画して溜めまくったゴッドタン。それは、海を越えたインターネットで生まれつづけるたくさんの文章とメッセージ。

いろいろなところで、文化を支える大切な人々が叫んでいる。諸々の生存に、限界を感じている。私は外に出られないし、お金持ちじゃないから手持ちの面では自分のことで精一杯だけれど、けどやれることはやろうと思う。私は、たぶん文化に生かされていると思うので。