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我々に飛び方を教えてくれたシャーマンの弟子が導くきのこの夢(メキシコ)②

 一度目のきのこ体験がよくなかったため、私はリベンジを誓って気合を入れてその手のブログを読み漁っていた。「前世が見える」とか「本当の自分に会える」とか「生まれてきた理由が分かる」とか、できればそんな意味ありげな体験を自分もしてみたい。周りの友人知人にもしゃべりまくり、アドバイスを求めた。一番役に立ったのは、「きのこがもたらす作用を怖がるからマイナスのものを呼び寄せてしまう。怖いと思っても、心を開いて「もっとちょうだい!」という気持ちで自分から向かって行け!」というものだった。

 ウアウトラに着くと、儀式をしてくれるシャーマンの家に向かった。マリア・サビーナの弟子だったというそのシャーマンは、独特のオーラに包まれている…というわけではなく、そこら辺のメルカド(市場)で買い物していそうなどこにでもいるおばちゃんだった。観光客相手のシャーマンの仕事に加えて、他にも仕事をしている様子で、めちゃくちゃ生活のためのシャーマン業という雰囲気だった。若干抱いていたイメージとは違ったが、お供えで飾られた祭壇を見てそれなりにテンションは高まった。田口ランディなど日本人が書いたきのこ関連の本が何冊かあったので、儀式が始まるまでの間に読んでさらに貪欲にきのこの豆知識をむさぼった。「答えがほしい疑問があるならば心の中で尋ねるといい」らしい。ふむふむ。トリップして忘れてしまわないように、疑問を紙に書いてポケットに入れた。準備万端である。どこからでもかかってこい。

 私の他に日本人の旅人が二人いた。一人は旅をしては幻覚系の植物を試していたし、もう一人はアート系の仕事をしていて、興味を持って来てみたらしい。私はそんな2人と和やかに話しつつ、内心「こちとら遊びじゃねーんだ!」という気分でいた。こっちは震災後のやり場のない思いを抱えて、大真面目にきのこを食いにきているのだ、と。傍から見れば3人とも興味本位できのこを食いに来た日本人な訳だし、大体真面目に来たからなんだっていうのだ?私はつくづく面倒くさいヤツだ。

 その日はシャーマンの家に宿泊することになっていた(もちろん、宿泊費は祈祷料とは別。それこそ遊びじゃないのだ)。儀式が始まり、歌うような念仏のようなシャーマンの声に胸がドキドキしてきた。私たち3人はそれぞれきのこを食べてからベッドに横たわった。シャーマンは何かの植物でお祓いするように身体を清めてくれた。ゆっくりときのこが効いてくる中、目をバッキバキにしながら、絶対に楽しんではいけない、単なるハッピーなトリップで終わってはいけない、と何度も自分に言い聞かせていた。自分の中の震災に対する到底納得する訳にはいかない理不尽な思いを最大限たぎらせるよう、集中した。しばらくすると、旅人二人は何かを話しながら笑いだして止まらなくなった。どちらかが何かくだらないことを言ってはゲラゲラ笑っていた。私はそれに引きずられないように、全力で悲愴感を振り絞っていた。

 しかしどういうわけか、次第に私は幸せな気持ちになっていた。身体の奥の方からどんどん多幸感があふれ出てくるのだ。私、どうしてこんなに幸せなんだろう??気持ちよく暖かい気持ちに包まれる中、突然答えが降ってきた。

「私が私だから幸せなんだ!」

 それが分かった瞬間からどわーーっと大きな波のように幸福感が押し寄せてきて、その波に乗っかってどんどん流されていくような気持になった。ビジョンというビジョンは見えないが、とにかく光があふれている。そうだ、私が私だからここにも来れたし、旅にも出られたんだ、いろんな体験をして、いろんな人に会えたんだ…!こみ上げる思いに我慢できなくなり、私は全力で叫んでいた。

「そーーーーだーーーーーー!!」「幸せーーーーーーーーー!!」

 悟りを開いたようなこの気持ちは、目覚めたら忘れてしまうのではないか。いや、忘れたくない。私が忘れてても誰か覚えててくれ!と思って何度も何度も叫んだ。それを聞いて他の二人はさらにゲラゲラ笑っていただけだったが。下手すると、ライブ会場のロックスターのように人差し指を天に向けて立てちゃったりしながら叫んでいたかもしれない。本当に言いようのない幸せがあふれてきて、その波に流されるままにされていた。

 それでもしばらくすると、幸せ感にフワフワしながらも我に返って、「だからどーして震災は起こったの??なんで今日本に帰らなきゃいけないのさ?」と一生懸命心の中で聞いてみた。幸せ感に必死に抵抗しつつ、悲愴モードを取り戻そうとする。きのこはどんな疑問にも答えてくれるはずではなかったのか。すると、今度はもう一つ、この放浪旅、いやその後の人生を支える言葉が降ってきた。

「この世界は美しい」

 はぁあ??意味が分からない。全然答えになっていなかった。なんで?どこが?貧困や戦争や差別はなくならず、ただでさえ貧しい東北の沿岸を地震や津波で叩きのめす。どうして?全然違うじゃん。醜いこといっぱいあるんだから!私は駄々っ子のように、この世界を取り巻く様々な課題を思いつく限り訴えていた。

「それでもこの世界は美しい」

 なだめるように同じ言葉が降ってきた。納得できなかったが、本来世界はそういう場所なのだろう、と思うことにして、それ以上問いただすことは諦めた。幻覚が覚めてしまう前に他にも何か聞かなきゃ!と焦って必死に考え、「えーと、旅してる時蝶々がずっと追いかけて来ることがあるんだけど、あれって死んだ人の霊なの?」などと聞いてみたが、もう答えてはくれなかった。そのうち幻覚は薄れ、ゆっくりと眠りに落ちていった。

 この話をすると、「自分の中にもう答えを持っていて、それが出てきたんだね」という人が時々いる。でも私は、きのこのお陰でチューニングが合って、天からのメッセージを受けとれたのだと思っている。でなければあんなすさんだ精神状態の時に、「世界が美しい」なんて超ポジティブな言葉が自分の中から出てくる訳がない。その言葉がすとんと私の心に落ちてきた訳ではなかったが、「もろもろあるけどこの世界は美しく、そういう美しい世界に私は生きている」という思想は、すさんだ心を少なからず慰めた。

 だからと言ってきのこ体験が私の人生を変えた訳でも、「この世界って美しいんですよー」と布教してまわっている訳でも、「きのこ食べたことない人は人生の半分損してる」とか言いくさっている訳でもない。でもふとした時に今でも時々きのこがくれたメッセージを思い出す。花や虹、水辺などの自然の美しさに触れた時などに。感動できるような出来事や素敵な偶然に出会った時に。あの言葉は本当だったんだなぁとしみじみ感じて幸せになるのだ。


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