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「北海道博物館」を訪れ、アイヌの同化政策が日本の歴史に与えた影響について気づいたこと

久しぶりの札幌市訪問で行きたい場所があった。
「北海道博物館」だ。

アイヌ文化については漠然とした興味しか持っていなかったが、もっと知りたいと感じるようになったのは、漫画「ゴールデンカムイ」を読んでから。

北海道は、僕たちが学校で学んだ日本史とは異なる歴史を持つ地域だ。
例えば、縄文時代から弥生時代に入り、古墳時代を経て、飛鳥時代、奈良時代、平安時代と移行するのが僕らの知る歴史だ。
しかし、北海道には弥生時代がない。
縄文時代から続縄文時代、擦文時代を経て、鉄器を使うアイヌ時代に移行する。
単純に言えば北海道は日本国ではなかったのだ。
諸説あるが、中国地方の語源は葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)。
つまり中国地方が日本の真ん中辺りだった。
ざっくりと、フォッサマグナより西が昔の日本と考えられるだろう。

そもそも縄文文化の遺跡は東日本と北海道が中心で、弥生文化の遺跡は西日本が中心。
西日本にも縄文文化はあったものの、その中心は東日本と北海道なのだ。
アイヌ文化の独特な幾何学模様は、縄文文化を引き継いだのではないか?と僕は感じた。

例えば戦国時代の話に東北の武将はあまり出てこない。
もちろん彼らも朝廷の存在は知っていたし、経済的な繋がりはあったけれど、天皇を中心とする日本という国を支配することに興味が薄いというか、そもそも天下統一という意思がなかったように思う。
アイヌの人たちはさらに無関心で、本州の人たち(和人)は交易対象の一つであり、サハリンやアムール川(黒龍江)周辺、千島列島やカムチャッカ半島を含めた、独自の北東アジア経済圏を築いていた。

しかし徐々に松前藩に侵略され、江戸の後期からは日本の政策として蝦夷(北海道)を侵略するようになる。
アイヌの人たちは自分たちの国を持たず、それぞれの集落(コタン)をベースに生活していた。
そのため、アイヌ人国家として日本と交渉することがなく、集落ごと潰されたり、日本が仕組んだ離反工作にやられてしまった。
そうやってなし崩しに同化政策が進んでいったのだ。
なぜ自分たちの国を持たなかったのか?と不思議な気持ちになるが、1万年もの間、争いが少なかったとされる縄文人の末裔であるアイヌの人たちも争いを好まなかったのか?
あるいは日本人やロシア人との混血が進んでいたので(展示されている写真を観ると明らか)、人種や国境を明確にするという感覚が薄かったのか?
などと考えてしまった。

ちなみに同時期に琉球(沖縄)も同化政策が進んだが、こちらは琉球王国という旗頭があったので、アイヌ文化に比べると、現在でも琉球文化のほうが根強く継続している。

明治維新後、日本政府はアイヌと琉球の2つの民族の同化政策に成功した。
この成功体験が、のちの朝鮮半島や台湾の同化政策に繋がったのではないか?
というのが僕の今回の気づきだ。

既に誰かが論文や本を出しているかもしれないが、それらを読んで知ったのではなく、漫画「ゴールデンカムイ」や博物館の展示を観て、僕自身が気づいたものだ。
細かい部分に間違いはあるかもしれないが、大きな間違ってはいないのでは?と感じている。

ヨーロッパの強国のやり方を真似て、北と南の少数民族を併合し、概ね成功した。
このやり方で正しいと考え、朝鮮半島や台湾、さらには満州に進出して同化しようとしたのだろう。
僕たちはそのツケを現在も背負っているが、ほぼ完全に同化した琉球やアイヌの人々に対するツケはどうなっているのか?

なお「北海道博物館」は札幌市の東の果てにあり、交通の便が非常に悪いので訪れる際は留意のこと。
地下鉄の新札幌駅からバスが出ているので、それを使うのがベスト。
ぶっちゃけ、総合展示は
・プロローグ〜北と南の出会い
・第1テーマ〜北海道120万年物語
・第2テーマ〜アイヌ文化の世界
という最初の部分がほぼ全てだが、これだけでも3時間くらいは必要だ。
第3テーマからは近代になるので見知った話ばかりになる。

近所に、北海道各地にあった明治から昭和初期の建物を移築した「北海道開拓の村」もあるので、時間があればぜひ。
「ゴールデンカムイ」で参考にされた建物が多いようだが、僕は時間がなくて訪れることができなかった。

また近年、支笏湖の南にある白老町にウポポイ(民族共生象徴空間)という変わった名前の施設ができている。
英語を読むと国立アイヌ博物館公園とか、そんな感じと思うが、なぜ多くの人にとって意味不明なウポポイが施設名で、民族共生象徴空間などという奇妙な副題がついているのかわからない。
今回は日程的に無理だったが、訪れて答えを探してみたいと思う。

北海道グルメを味わうのはもちろん楽しいが、そもそも北海道の成り立ちはどのようなものなのか?
昔から伝わる食文化はどんなもので、どう継承されているのか?
どのような人たちが、どのように暮らしていたのか?などがわかると、目の前の料理が一層おいしくなる。

料理も、歴史も、人々の暮らしも、営々と積み重ねられた過去の最新として現在があるのだ。

【追記】
アイヌの人々が国を持たなかったのはなぜか?という問いに仮説を立てることができた。
佐々木俊尚さんのVoicyチャンネルを聞いているとベネディクト・アンダーソン著「想像の共同体」についての解説があり、これが解く鍵になった。

https://voicy.jp/channel/2185/379903

端的に書くと、大きな共同体=国家を成立させるためにはメディア(出版物など)が必要。
つまり、人間のデフォルトの機能は顔の見える小さな共同体だが、文字を介すれば想像としての大きな共同体を認識させることができる。
これが国民感、国家感の確立に繋がるという話なのだ。
アイヌの人々は縄文の人々と同じで文字を持たなかった。
だから国家も持てなかった(持たなかった)のだ。

世界を見ても文字を持たない民族は数を減らし続けている。
文化文明を伝えるためだけでなく、共同体を維持、拡大するためにも文字(メディア)は必要なのだ。
世界の言語はどのくらいあるのだろう?と思い、ネット検索すると4-5,000語と書いてあった。
そのうちオリジナルの文字を有するのは数%しかないとのことだ。
紆余曲折ありながら、世界各地の繋がり強く、深くなり続け、文化文明は進展し続けている。
文字を持たない言語を話す人々は自らの国を持つことなく、このまま近隣の大国に同化するのだろうか。
自然環境に多様性が重要であるように、人類文化の多様性の確保も喫緊の課題であると理解できた。

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