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無駄という名の最高の贅沢

コンタクトレンズを買いに行ったのですが病院がお昼休みで開いてなかったので、その間喫茶店で読書。

ちなみに読んでた本はブックオフをふらふらして適当に買った「バカの壁」の著者で有名な養老孟司さんの本。

その中に大学教授をやっていた時に「お前の研究がどう世の中の役に立つのか」と訊かれて「別に役に立てようと思ってやってる訳じゃない」と、腹を立てたというエピソードがありました。

で、色々思ったのでグダグダ書いてみました。


今の世の中、大学でも「文系は将来に役立たないから不要なのでは」と言われるなど、全て仕事に結びつくか結びつかないかで判断されているように感じるます。

仕事でも「それってやる意味あるんですか?」というセリフをよく聞きますし、ちょっと違うかもしれませんが業務に対しても「もっと効率的に」「もっと改善」「もっと早く」「もっと楽に」と、とにかく、せわしない。

「あの仕事は無駄」「この会議は無駄」「このやり方は非効率だ」と、そんな空気が蔓延してる気がします。

で、スコアゲームのように業務改善で〇〇時間削減という文字がネットニュースにあがります。

確かに無駄な仕事はしたくない、私だって早く家に帰りたい。

けど、全てが全てそれで良いのか?

例えて言うならGoogleマップやカーナビで表示してくれる最短の距離を行くことに我々は慣れすぎてるんですよ。

そして道を一本間違えるだけでイライラする…

段々それが息苦しくなってきてですね。


最近は無駄な事をするのも良いもんだと思うようになってきました。

私は今ただの趣味で漢検準一級の勉強をしてますが会社の昼休みにやってるとみんなから「漢検?!それなんか勉強して意味あるの?」と言われます。

正直意味なんて全く無いです!

漢検準一級は常用漢字から外れていて聞いた事の無い日本語まで出てくるので通常の会話で使ったって相手に理解されないです。

じゃあ何でやってるの?と、言われたら「何となくただ楽しいから」。

勉強したって仕事にも生活にも何の役にも立たない。

そんなものを数十時間もかけて勉強してるんです。

これって逆に考えるとめちゃくちゃ贅沢じゃないですか?!(笑)

何から何まで人生で役立つかなんて考えなくても良いんじゃないか。増して世の中に役立つとか、そんな事ばっかり考えてたら窮屈過ぎて死んでしまう。

大体誰が「役に立つ」なんて判断をするのかも曖昧ですし。

世の中に役立つ物しか認められないなら漫画もゲームもパチンコもタバコも酒もなくなるんじゃないですか(笑)

役に立つって言い張れば何でも役に立つなら無駄な事なんて一切無いということにもなります。

とてもシンプル。

と、いうような事を思ったのでした。

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