ガラス素材で作品を作っています、塚原萌子と申します。 正直書くのは苦手です。でも喋るのはもっと苦手で…。 それでも、いろんな人の考えに触れることによって とても刺激を受け、そして大事なこともたくさん学んできました。 私がそうだったように、誰かのための参考の一部となれれば幸いです。 マイペースに投稿していこうと思っています。 これからどうぞ、よろしくお願いいたします。 塚原萌子
無事高校を卒業し、親元を離れて長野の山中にある専門学校で寮暮らしが始まりました。 専門学校での時間はここで書くととても長くなるので簡単に言うと、本当に濃厚で、学業もそうですが学友たちとも本当に楽しい時間が過ごせました。 常に自分の選択したガラス工房に入り浸っては先輩や先生の制作を後ろから眺めていました。時々は手伝ったり何故そうしたりしているのか、授業中では聞けないようなことも隙さえあればくっついて聞いて、観ていました。 周りに娯楽はないので、学校での生活に集中できたのもよか
高校3年時には卒業制作なるものが始まり、学校に行っては製作を進めるといったとても楽しい時間を過ごしていたことを今でも覚えています。 夏休みには母校の小学校でプールの指導補助員のバイトをしたり、冬には車の免許を取ったりと、高3に受験生というにはかけ離れた生活を送っていました。 行きたかった専門学校からは、指定校推薦をもらっていたので行くことは決まっていたし、入学したら寮暮らしになるので必要なものをそろえたりと新しい生活の準備でわくわくしていました。 初めて親元を離れて、しか
中学の時、高校受験の前に行きたい高校がないか調べて学校見学へ行かねばならないのですが、その時には既に行きたい専門学校を決めていましたので、その専門学校に行くためのできる準備をしようと美術コースのある高校へ進学しようと決めていました。 当初は別の進学校の美術コースしかないと思っていたので、その学校を受験する気満々でしたが 当時習っていたピアノの先生からのちに進学することになる高校を教えてもらい急遽見学に行き、そこでも制作風景や自由な校風造形美術コースは卒業時に卒業制作展という
物心ついた時には、もうすでにキラキラしている物に目がなかったです。 道端のキラッと光る何か テニスコートのキラキラ透明な砂 親の持っていた魅力的な鉱石 カラスのように集めては、一人でキラキラを満喫するのでした。 その中でも最も身近だったのが、ガラスビーズでした。 小学生の頃はガラスビーズでアクセサリーを作るのが趣味でした。 ユザワヤにビーズを買いに行くのが何よりも楽しみで 親にはお会計でいつも金額に驚かれました苦笑 それでもやめさせなかった親には感謝です。 そんななか
ガラスは約1300度で溶かしているため 夏のガラス工房は灼熱サウナです★ 水分、塩分補給を皆様もどうぞお忘れなく!
簡単にですが… 塚原萌子(つかはらもえみ) *名前の読み方についてはまたの機会に。 喘息持ちでしたが小さい頃から、テニス・水泳・習字・ピアノを習い 部活で、陸上部硬式テニス部となんだかんだ体育会系でした。 ガラス工芸と言っていいのか…そちらの道に進もうと 小学生でぼんやり。 中学生でそうしようと決めました。 高校進学時にガラスをさわれる美術系の高校に入学。 ガラス以外のことも一通り学び 高校卒業後は、同じガラスでも「吹きガラス」という技法をメインに 専門学校で寮生活を