Xavier (ザビエル)

好奇心だけは旺盛な広〜く浅〜いバツイチ65才。平均寿命80年ということは残り15年!?…

Xavier (ザビエル)

好奇心だけは旺盛な広〜く浅〜いバツイチ65才。平均寿命80年ということは残り15年!?😱存在証明としてnote始めました。テーマを決めず徒然なるままに、感じたことを書き込んでみます。

最近の記事

タワマンあるある

タワマン(TowerMansion)は成功者•富の象徴。ゆえにタワマン住まいを自慢したくなるのは当然と思います。しかしTowerですから低層階もあるわけで、全ての住戸から東京タワーやスカイツリーが見える訳ではありません。故に多くのタワマンには上層階にパーティルームやゲストルームが完備されています。となるとタワマン住まいを「標榜」する以上、友人の来訪はパーティールームを押さえた日程に合わせる必要があるので、軽々しく「Come on my house」とは言えないんですよねぇ~

    • 発情期

      今朝も「線路内人立ち入り」で通勤電車は大幅遅延。生きとし生けるもの後世に子孫を残そうとするのは「本能」ですが、姑息な手段(痴漢)じゃなくて、正々堂々「求愛」して下さい。♫ミミズだってオケラだってアメンボだって、皆みんな「求愛」するんだ同類なんだ😆

      • 満員電車

        コロナが明けて又、通勤電車が混み始めました。ザビエルが不思議に思うのは、ホーム側の乗降ドア付近は激混みなのに反対側は余裕でスマホに見入っている人が居ること。明らかに人口密度がいびつなので「もう一歩中へお詰め合わせ下さい」と駅アナウンスはあるものの、無言で踏ん張り続ける輩の何と多いことか😡ザビエルは四ツ谷から隣の赤坂見附まで地下鉄丸ノ内線を利用するのですが、乗降ドアに荷物が挟まると、何度も開け締めするのでなかなか定刻に発車出來ません。赤坂見附の乗降口は四ツ谷と反対側なので、スマ

        • 肩書

          日本人は肩書に条件反射します。ザビエルも課長になった途端「課長と呼びなさい!」と部下の女性に言い放ち、総スカン食らったことがあります。もうすぐ完全引退するザビエル。会社の名刺も取り上げられ、前職とか元XX勤務となるわけですが、引退された方々との会話には「こちらXX社長のお友達なの」とか「俳優のXXさんもいらっしゃったの」とか肩書や有名人の名前が飛び交うことが多いんです。もちろん自営業やネットワークビジネスをされてる方は理解出來るんですが、既に無職となった方でも「著名人」のご近

          Global共生社会

          ひょんな事から歴史的な町並みを残す首都圏近郊都市の国際交流支援事業のお手伝いをすることなりました。昨日の昼は老朽し長年放置されている、由緒ある古民家再生に関するトークイベントに、夜は町興しを推進する若手のイベントに参加しました。昼間のイベントは現役を退いた高齢者中心、夜は30〜50代の現役世代が中心で、両方のイベントに参加している人はザビエル含め僅かな気がしました。夜のイベントでは、最近越して来た人や先祖代々この街に住む人など、様々な背景のある方々とお話し出來ましたが、国際化

          必要とされること

          ザビエル、最近職場に行ってもワクワクしません。「職場でワクワクするほうが可怪しいでしょ!」と言われるかもしれませんが、ザビエルはお金の為だけに働いている訳ではないので「ワクワク感」の無い職場は苦痛です。では「ワクワク感」って何でしょう? 私にとって「ワクワク感」とは「必要とされる」ということ。「必要とされる=利用されるてことじゃないか!」と仰るかも知れません。でも「利用価値あり」って思われたんだから、大いに利用して頂きましょうよ。お金を無心されても、どうせ「無い袖は振れない」

          必要とされること

          「今を活きる」

          ザビエルが大好きなロビン•ウィリアムス主演の映画「いまを生きる」厳格な寄宿学校の生徒達を「覚醒」させる言葉「Carpe Diem 今を生きろ」は決して「刹那的•享楽的に生きろ」という意味ではない。恥や外聞を捨て、ありのままの「自分」に従って活きろという意味である。もうすぐ再雇用が終了するザビエル、少なからず「世間体」を気にしながら生きて来たわけだが、これからは、今を活きたい!🥰

          片付けの極意

          昨日、お片付けマイスターの方から「片付けの極意」を教えていただきました。てっきり狭い場所からスタートして「達成感」を積み重ねる「技術的」なアドバイスをいただけると思っていたら、スピリチュアルな内容で「心療内科」の診断を受けているような感覚でした。そもそも本人は片付けをしたいのか?本人は片付ける必要性を感じていないのに、廻りから強いられているのであれば結局「ゴミ屋敷」に逆戻り。片付たい気持ちはある → 何の為に? 彼女を部屋に呼びたい。大好きな映画や音楽を自宅で大画面で楽しみた

          好きな物が同じなのか?嫌いな物が同じなのか?

          「気が合う」とは「好きな物が同じなのか? 嫌いな物が同じなのか?」好きな物が同じなら、話も盛り上がるし楽しいですよね。しかし突き詰めたら90%好きでも10%は嫌いってこともあるじゃないですか。でも盛り上がってる時に「俺(私)それ嫌い!」って言えますか? もちろん相手に気兼ねせず「嫌い!」って言えれは素敵ですけど、お互い嫌いな物(事)で話は盛り上がりませんよね。「嫌いな物が同じ」ということは生理的に受け入れられない物(事)が同じということ。これは安心して「素の自分」をさらけ出せ

          好きな物が同じなのか?嫌いな物が同じなのか?

          後悔先に立たず

          よく似た故事成語に「覆水盆に返らず」があります。「後悔先に立たず」は失敗や過ちは今更悔んでも仕方ない、これを教訓に気持ちを切り替えようという「前向き」な意味が込められているように思えますが、「覆水盆に返らず」は一度壊れた関係は二度と修復出来ないという「絶望的」な意味が込められているように思います。いずれにせよ事前準備や心構えもせず「一か八か」「伸るか反るか」で行動して「後は野となれ山となれ」では「後の祭り」ですよね😩

          アルムナイ

          アルムナイとは卒業生•同窓生という意味ですが、今は就職した企業•組織から独立•転職した人を指すようです。特に大手商社では「アルムナイ会」を立ち上げ積極的に情報交換•コラボしているようです。当社も一旦退社した「アルムナイ人材」の再雇用に前向きです。以前にも投稿しましたがコンプライアンスを重視するあまり、スピード感や達成感の無さに失望して退社していく若手が増えているのは確かで、同じ志を持つものが「アルムナイ会」を立ち上げる気持ちは理解出來ます。しかし定年まで勤め上げても、社外に異

          帰って来た橋本治

          橋本治と聞いて何を想い出すかは、人それぞれだろう。1968年東大闘争真っ只中の駒場祭ポスター「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている、男東大どこへ行く」で鮮烈デビューしたイラストレーター。1977年高校生の日常を当時の女子高生言葉で赤裸々に描いた小説「桃尻娘」の作者。手編みのニット作家。しかし彼の真骨頂は東大文学部国文科で専攻した日本の古典•芸能に関する知見知識だと思う。駒場祭のポスターには歌舞伎の勘亭流のフォントが用いられ、「窯変 源氏物語•双調平家物語」は膨

          帰って来た橋本治

          特定外来生物

          昨日、聖蹟桜ヶ丘の都立桜ヶ丘公園に初めて足踏み入れました。この公園は明治天皇の狩場だったそうで「聖蹟」と名付けられたのも、それが由来のようです。広大な敷地には樹木が生い茂り木立ちを通り抜ける風は爽やかです。その鬱蒼とした森の中に美しい鳴き声で求愛(?)をする数多くの小鳥が。ところがこの声の主「ガビチョウ」という特定外来生物なんだそう。特定外来生物とはその旺盛な繁殖力で日本固有種を駆逐してしまう恐れのある厄介者。「ガビチョウ」の原産地は中国ですが、その美しい鳴き声で「鳴き合わせ

          一歩踏み出す

          先日、横浜から何時もは利用しない横浜線で八王子に向かってました。八王子に着く直前にふと西八王子に住む友人を思い出しダメ元で電話すると彼も人身事故に巻き込まれ、八王子で足止めを食らっているとのこと。2月に退職したばかりで退職後の様子も知りたかったので「八王子で一杯やろう!」と提案すると、何時もなら理由を付けて渋る彼も珍しく二つ返事で、一緒に居酒屋へ向いました。話題は失業保険と再就職活動でしたが、PCが無いので履歴書は職安のPCを借りてると聞き驚きました。YouTubeを深夜まで

          偶然か必然か?

          昨日、地下鉄の乗り換え通路で、知り合いに「遭遇」しました。直ぐ直前まで次回お会いする予定をやり取りしていたのでビックリ😳その方はある友人の誕生パーティー会場で偶々お隣になった方。個人事業主で積極的に異業種交流会に参加されているようで、正直「胡散臭いなぁ〜」と思ったのですが、二度目にお会いして「信頼出来る方」と感じたので、その方のお仕事に興味のある友人と引き合わせる段取りをしていたんです。「偶然」を驚くと同時に「これは必然だったのでは?」と思い直しました。友人から依頼を受けてい

          消費者クレームとカスハラの境目

          東京都が「カスハラ条例」を制定するらしい。条例では、カスハラを定義して具体例を提示するとのこと。例えば子供の誕生日ケーキの名前を間違えられた場合「丁寧な口調で3,000円を請求する」ことはカスハラには該当しないらしい。最近のケーキは高額なので3,000円が妥当か否かは見解が分かれるかもしれないが、程度の差こそあれ不快な気持ちになったり、間違いに気付いたら「指摘」することは当然と思う。但し指摘する目的は「補償」ではなく「原因究明と再発防止」であるべきだと思う、気付かずに同じ間違

          消費者クレームとカスハラの境目