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「素になる」ってなんだろう?

あなたが素になる瞬間はいつですか?

会社にいる時は?
普段よりしっかりした自分でいようと思っているかもしれない。

気の置けない親友と合っている時?
最近親友と会う機会も少なくなったので、ちょっと興奮しておめかしをしているなぁ。

やはり家族といる時が1番の素でいられるはず。
ただ家の自分はダラダラしすぎていて、素というより自堕落である。

1人の時は?
よけい自堕落である。

いったいぼくはいつが素なのだろう。

もしかしたら、「素」という状態で過ごしている時ってほとんどないかもしれない。

家族といる時の自分
会社にいる時の自分
A君といる時の自分
B君たちといる時の自分

それぞれ少しづつ違うのはなぜだろう。
なるべく快適に生きれるように、自分を最適化してるからなのだと思う。

コミュニケーションにおいて、いつも難しいなぁと感じていることがある。

「感情表出」の問題だ。

社会と接していて抱く感情はさまざまだ。

抱くこと自体はやめられないが、表出の仕方は変えられる。腹がたった時に常に怒りをあらわにしていたら、自分を社会に最適化できない。
だから、グッと我慢をしたり、なんなら笑ってみたりする。

いつもグッと堪えていたら社会的に上手くいくかもしれないけど、生きづらい。堪えすぎると出力調整プラグがイカれて、不本意な感情表出をしてしまうかもしれない。

「感情表出」は本来、人に何かを伝えるためのものだ。だから、自分が伝えたくない感情が伝わってしまったのでは、役割を果たしたとは言えない。

素とは本来、「抱いた感情を適切に表出できている状態」のことを言うのではないか。

怒っている時に怒っていない風にするのは適切ではないかもしれないし、怒っている時にキレ倒すのも適切じゃないだろう。

人に怒りを伝えることって、あまり多くはないけれど、本当はもう少し怒ったり怒られたり、嬉しい時には飛び跳ねて喜んだりしてもいいのではないか。

感情表出の交換をもっとポップに行うことができたら、人間関係がもっと「素」に近づくように思う。

感情を伝えるのも受け取るのも苦手だ。
もっと上手に交換できるようになれば、「素」で世界に接することができるのかもしれない。


読んでくれてありがとうございます。
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