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日常そのまま、海の中を歩く!

海中の深い岩の上に座って瞑想するのが好きだった

私は泳ぎは達者ではないが、水の中にいるのは好きだ。あまり人には言えない趣味だが、私は岩場の深い海中で、大きな岩の上に座ってしばし瞑想するのが好きだった。肺活量の問題があってそれほど長くは瞑想していられないが、息が切れそうになったら一旦海の上に頭を出して呼吸して、また岩の上に戻るのだ。あまり何度もその行為を繰り返していると、一緒に遊んでいる友人たちに何をやっているのだと詮索されても困るので、一か所ではあまり長く瞑想しないで、それからまた別の場所まで泳いで行って、そこでまた岩の上での瞑想を繰り返す。
海中の岩の上での瞑想は、ちょっと人には説明できないほど心が穏やかになるのだ。また、水の中に座っていると水の中がよく見える。様々な魚が私の頭の横を通り過ぎていく。水中眼鏡で見るのも同じようなものだが、水中眼鏡は目を水中眼鏡が覆っているので、眼鏡なしだと、私がさらに水と一体化していて、自分が魚になったような解放感を感じることができる。

人工鰓(エラ)があれば、自由に海の中を散歩できるのだと!

こうした少年時代の経験があったので、大人になる過程でも、大人になってからでも水の中での自由な呼吸に異常な関心を持っていた。魚の鰓は水の中の酸素を取り入れる働きを持っていて、人間も人工鰓を開発できれば、水の中でも自由に皮膚から酸素を取り入れることができ、つまり水中でも生活できることを示していた。人工鰓の開発は比較的古くから進められていて、そのニュースを見た私は、人工鰓の開発に大きな期待を持っていた。しかし最近では科学雑誌にもほとんど人工鰓に関する話題も出なくて、その開発は思うようには進んでいないことを残念に思っていた。
というのも、魚の鰓が泳ぎながら海水を口から取り込んで、鰓の鰓弁(エラベン)の間を通って出ていくのだが、鰓の弁のひだが細かいのは、海水に触れる面積を増やして、酸素を取り入れやすくするためなのだ。特殊な樹脂でできた人工の鰓はすでに開発されていたが、潜水服のように人が着用できる大きさでは、取り入れる酸素量が少なすぎて、人間が使う人工鰓としてはまだまだ未完成なものだった。

幼いころからの私の夢を先取りした先進水族館システム

そんなことで、私も人工鰓の開発に関してはほとんど絶望視していたが、最近になってのことだが、見方を変えれば、人間が潜水服を着る必要もなく、また酸素ボンベを背負って水の中に入ることなく、水の中を普通の服を着ながら、悠々と散歩できるようになっていることに気付いた。教えてくれたのは、遠縁の幼い子供で、大阪にある海遊館を見たいと近くの県からやってきた。その子供が海遊館に行くのに付き添って、一緒に館内を歩いてみて初めて私は気付いたのだった。
もちろん、私は横浜の八景島シーパラダイスも、大阪の海遊館も、男鹿水族館GAOも、城崎マリンワールドも知っているし、行ったこともある。しかしその時はその水族館のコンセプトがリアルに認識できなかった。今では大きなパイプ状の水中回廊を巡らせた水族館や、巨大な水族館の水槽の下を遊覧する水族館が全国各地にあるではないか。
人工鰓の開発が停滞したのも、こうした海の中を人間が回遊するような最新の水族館システムの発展と関係あるのではないかと思うことがある。実際、私が日常的な着衣のままで水の中を子細に観察できるこのシステムがあれば、確かに人工鰓を付ける必要はないのだと実感したのだった。


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