砂上の楼閣
一九六〇年代の若者の挫折と混迷をリリカルに歌う
一九六六年頃に、「青春の光と影」(原題: Both Sides, Now)とい名前の曲が大流行した。いろんな歌手が歌っているがジュディ・コリンズという歌手の歌った曲が最初にレコーディングされた。作詞・作曲したのは、彼女自身も有名なシンガー・ソングライターであったジョニ・ミッチェルである。歌詞には「Ice cream castle in the air(空気の中のアイスクリームの城)」というイメージ豊かで象徴的な一節がある。日本語で言えば、さしずめ「砂上の楼閣」とでも言えばいいのか、瞬(またた)く間に消え去ってしまうアイスクリームの城というわけである。
「青春の光と影」の原題 は「Both Sides, Now」だが、一九六八年には、「青春の光と影」をベースにしたと思われる映画「Changes(邦題:青春の光と影)」が製作されていて、主題歌はジュディ・コリンズが歌っている。一九六八年といえば、まだ「青春の光と影」の名曲がヒットしているさなかで、出演者に有名どころをそろえても映画がヒットする可能性も高かったと思うのだが、この映画は無名の俳優たちによる「青春の光と影」のイメージに沿ったシリアスな映画だった。
人は永遠にあこがれながら、同時に一瞬の輝きに心を燃やす
家庭内の不和や、別れた彼女の自殺などで人生に挫折した若者が旅に出るロードムービーというスタイルを取っているが、一九六〇年代のアメリカの若者たちの苦悩の季節を描いている。旅の先々で出遭う人々との触れ合いを通して、新しい自分に目覚めていくといった社会派の映画だった。私がこの映画を見たのは、製作されてから少し後のことで、ストーリーも詳細には思い出せないが、この時代のアメリカの若者がいつまでも閉塞感を引きずる傷の深さを再認識した記憶がある。
その時代の私も含めて人間は、瞬く間に消え去るものを好む傾向があるような気がする。永遠な物を求めている一方で、あっという間に大輪の光の花を咲かせて消えてしまう花火や、一瞬の輝きを残して消え去る流れ星に心を惹かれる。例えば若者は、一瞬後には消えていく花火の光や、流れ星の束の間の輝きなどに情緒的に反応しないと思われているが、若いがゆえに失われていく輝きに対して、それを惜しむ気持ちが一層強いような気がするのだ。
「青春の光と影」に憧れ傷つく若者
若者は「青春の光と影」の揺らぐような不確かさに憧れる。消え去る「砂上の楼閣」をつかんで留めようとするかもしれない。そして、その不確かさに挑戦する中で、より確かなものを見つけようとするのだろう。だが、その過程で傷つくのもまた若者なのだ。若者は大人のようにはたくさんの選択肢や逃げ道を持ち合わせているわけではない。だから、ちょっとした泥濘(ぬかるみ)にも足を取られる。それは一人自閉的な世界に閉じこもることかもしれない。道を踏み外すことかもしれない。若者にとって「青春の光と影」は、魅惑的で危険な季節だと思う。それを避ける方法はないかも知れないが、そこで大切なことに出遭うのもまた真実だと思う。