日本の文字文化は紀元前から? 「すずり」から推測

朝日新聞デジタル 2020年5月7日 8時00分

 弥生時代から古墳時代にかけての石製品のうち、これまで砥石(といし)などとされてきた150例以上は筆記用具のすずりでは? 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が最新論文でそう指摘している。日本での本格的な文字文化の広がりは5世紀ごろともされるが、石製品がすずりなら、文字の使用が紀元前にさかのぼる可能性を示唆する。

 奈良県桜井市の纒向(まきむく)学研究センターの研究紀要で4月23日に公表した。

 「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「伊都国(いとこく)」の都とされる三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡(福岡県糸島市)で2016年、弥生時代後期(1~2世紀ごろ)のすずりが見つかったことに注目。邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市、3世紀初め~4世紀初め)の出土例も含め、中国・近畿地方も含めた西日本一帯で、弥生時代などの石製品の実測や探索を進めた。

 その結果、これまでは大半が砥石とされてきた石製品をすずりと判断した。石製品がすり減ってできたくぼみや、墨のような黒色の付着物が観察できることなどが特徴という。

 日本が倭国(わこく)と呼ばれた弥生時代中期中ごろ(紀元前100年ごろ)から古墳時代中期ごろ(5世紀ごろ)までのものが中心で、当時の拠点集落からの出土物が多い。分布範囲は九州のほか、中国、近畿、北陸に及ぶ。今年に入ってから、松江市の田和山(たわやま)遺跡で見つかった弥生中期後半(紀元前後ごろ)の石製品に墨をすり潰した痕跡があることが指摘され、この石製品がすずりの可能性があるとも報告された。

 すずりが見つかった三雲・井原遺跡では、中国・前漢が紀元前108年に朝鮮半島に設けた楽浪郡(らくろうぐん)の土器も多数出土している。柳田氏は、倭国の文字文化が楽浪郡設置の頃までさかのぼる可能性も指摘している。

 西谷正・九州大名誉教授(東アジア考古学)は「楽浪郡との接触が始まり、当時の日本に流入した漢文化の一つに、文字文化も位置づけることができる。今回の石製品の全てがすずりかどうかについては慎重な検討が必要だが、西日本一帯に文字が広がったことを、すずりから推測できる点で支持したい」と話す。(清水謙司)

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