踊る大283線 解決編(4/5)
──────⑩ まみみ捜査ファイルその1──────
犯人は、あの日偽りの検問を仕掛けてきた2人組。ひとりは記者役として私たちに接触し、もうひとりはその裏で盗難の実行役を担った。
『言いがかりはよしてください
偶然ですよ、偶然──』
私の証言が決め手となり、程なく記者役の犯人も逮捕されたとのことだ。
実力と知名度に反して、283プロダクションは実務面においてプロデューサー一人に頼りきりな運営状況だ。営業の顔として健気に奔走し孤軍奮闘するプロデューサーの姿は、業界内では「またか」と、呆れや尊敬がない混ぜになったアンビバレンスな視線で見守られており、業界に片足を残していた犯人たちの目に留まるに至った。
283プロ、いや、プロデューサーが一括管理している資料さえ押さえてしまえば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いであるアイドルたちの個人情報を得られると踏んだわけだ。
どのように扱うつもりだったかなんて知ったことじゃないケド、スポンサーを巻き込んだインサイダーなんかもできちゃうかもしれないし、アイドルの個人情報を喉から手が出るほど欲しがる人なんて掃いて捨てるほどいる。とにかくいくらでも”買い手”がある、価値ある情報ということだ。
記者役の犯人は、これまでしばしばフリーランスを名乗り、ネガキャンを目論む悪徳記事を請けることもあったそうだが、実は会社も持っていて、昔はちゃんとしたものを手掛けていたらしい。
休眠させていた自社をあえて使わなかった理由はわからない。芸能界という一種の魔境でプロデューサーのように奮闘していた過去が重なって、思うところでもあったのかもしれない。──きちんと再起する時のために、自社の履歴はせめてクリーンにしておきたかったのかもしれない。
実質的にも精神的にも、犯人にとってこの点は大きな隙だったといえる。犯人の本当の動機だって、売れる情報を手に入れることにあったのではなく、『敵対ロマンス』──案外、プロデューサーのキャリアに茶々を入れたかったという嫉妬や怨嗟に尽きるのかもしれない。
悪徳記者は私たちに接触する前にホームページや名刺を拵えるなどの準備を済ませていた。ホームページはまだそのまま残っていて、公開日時を辿るのはちょっとめんどーみたいなんだケド、はづきさんがブラウザの開発者ツールでさらっと調べてくれた Last Modified は全然日が浅くて、その日付はやっぱり接触の日の直前だったりした。
西東京のロケ日程はどこか別ルートで入手したそうだ。制作会社やスポンサーといった関係者も多いから、入手自体はそんなに困難じゃないはずだし、なんなら勘のいい一部のファンが、どうやってか特定して遠巻きに手を振ってたくらいだ。
人っけの少ないロケ地は、人を分断するのにもってこいで、監視の目もない。悪徳記者が私たちを捕まえて時間稼ぎしている間、撮影隊とかのハイエースは先にハケていっていた。その後即座に先回りし、警官のコスプレをして私たちを待ち構えていたという流れになる。普通のバンだって、パトランプさえ載っけてしまえば立派な覆面パトカーだ。見えづらい位置に停めていたのはナンバーを隠すためだろう。
コスプレをしているうえ、目線を塞ぐように誘導灯の停止サインを掲げていると、ついさっき会った人の顔だって全然わからないものだ。動きが少ないなとも思っていたら、服の内側にパッドを入れたり厚底の靴を履いたりして体格を誤魔化してもいたみたい。ドッキリ番組における少数スタッフのローテーションでなされる手法だ。
検問で矢面に立っていた泥棒役もまた業界関係者で、制作会社の美術道具上がりだったらしい。コスプレ衣装をはじめとする小道具類も難なく手に入れられるし、現場作業でのツール捌きにも精通しており、実行犯として申し分ない。こう言ったらなんだケド、演技も悪くなかった。さながら怪盗だ。
しかし普段から人のファッションを注意深く見るクセがある私──不本意ながらプロデューサーは私を『ファッションマスター』と称する──にとって、コスプレ警官と実際の警官のコスチュームにある厳然たる隔たりは、違和感を覚えさせるに十分な取っ掛かりだった。それっぽいコートで粗を隠すのはいいセンだったけど、無線や帯革といった特殊装備のディテールが違う。
個人情報を控えた犯人たちは、早速プロデューサーの住所近辺を下見し、数日かけてプロデューサーや周辺住人の生活リズムを割り出した。また、警らのタイミングを見計ってもいたことだろう。
そんな折に、マンション内の住人──いつぞやプロデューサーが言っていたご近所さんその人である──が昼時間帯の特定のタイミングで必ずデリバリーのアプリで注文するのを見つけ、プロデューサー宅に侵入する日時にアタリをつけたのだ。
ロケで接触した3日後の昼、怪盗が配達員のボックスに追従して、マンション内に”共連れ”されている様子が監視カメラに映っていた。下見だ。この時点で、エレベーターセキュリティがないことと、住戸や屋上への扉の鍵形式を確認したのだろう。
住戸の鍵はディンプルシリンダーキーだったが、屋上の鍵はピンシリンダーキーだった。シャーラインが一列しかないこの型は、ピッキングが比較的容易だ。警報機もなかったそうだ。これによって犯人たちは侵入方法を確定した。
また、侵入時に通報されづらいようにする保険として、各戸の郵便受けに『設備点検』と銘打ったそれっぽいチラシを差し込み、白昼である犯行予定日時、屋上からの足音や共用部分での鉢合わせがあっても目を瞑らせる措置をとっていた。はっきり言ってこれはリスクだ。これこそ管理組合で情報共有される事案なんじゃないのーと思ったが、このマンションは管理運営を管理会社に全部委託するスタイルらしく、マンション内の掲示板に既に貼り出されている維持管理系告知事項の名義が管理会社だったことに目をつけた犯人たちは、その貼り紙に急遽補足するよう、内容と書式を継承した文書をでっち上げた。これだけ聞いても、やっぱリスクだって思いますケドー。
なお、管理を全部委託している場合、共用部にホームセキュリティをあえて別注するパターンはそんなに多くないらしい。屋上の警報機がないとする判断材料の一つだったようだ。
そこからはすかさず取材日程の打診。場所を事務所外に指定することで、他の事務方が取材の立ち会い役に代わる状況を防ぎ、”プロデューサーが確実に自宅を離れている2時間”を確保する。高度な心理戦じゃーん。
犯行当日。以前のごとくデリバリーに追従した怪盗。作業員のコスプレをして、現場作業用っぽい資材で両手を塞いで汗をかいておけば、親切な配達のおにーさんだったら共連れに目を瞑るだろう。「お疲れ様です、大変ですね」ぐらいの挨拶だってしたかも。手を塞いでいるツールケースには、別の”お仕事道具”が収納されてたんだけどねー。
ただ、その日のデリバリーは偶然、普段より早い時間に到着した。
朝のゴミ出しとかこないだの休日の日中とか、いつもデリバリーを頼んでいるご近所さんにプロデューサーがバッタリ会うような機会が仮にあったとして、挨拶のついで、本当に『ヘルシーなサラダ』のことを話の種にしていたのだとしたら。それによって中途半端な小腹の時にも注文してみようという気にさせたのだとしたら。心当たりがないでもないイレギュラー。もはや偶然とは言えないかもしれない。
悪徳記者が確保した犯行予定時刻、つまり顔合わせ開始時刻よりも40分ほど早く。ちょうど、私がプロデューサーにコーヒーをぶちまけたぐらいの時間。
怪盗にとっては『待てって言われても待てないんで、どうぞよろしく』って具合で犯行を前倒ししたんだろうケド、これは大きな過ちだったと言わざるを得ない。
──この判断は、恐ろしい不幸を招くことになる。犯人にとっても、プロデューサーにとっても。
──────⑪ まみみ捜査ファイルその2
ピッキングで屋上に出た怪盗は、プロデューサー宅の直上に移動。このマンションにはフェンスがないが、外壁工事でロープアクセスするための丸輪がついており、そこに命綱を括り付けたらしい。そして、素早くバルコニーに降りる。
「うさぎさんはカメさんの自宅のバルコニーに侵入します
半円型の形をしている、一般的なクレセント錠が窓についています
補助ロックも含めて、しっかり鍵がかかっています
ですがカメさんは、窓そのものを動かなくするサブロックやウインドウストッパーまでは、つけていませんでした
うさぎさんは、ガラス窓の端、鍵の上端ぐらいの位置に、ドライバーを突き立てます
そこからテコの原理で揺すって、ヒビを入れます
タイミングが合うまで、必要以上にドライバーはいじらない──ここぞという時に……手首を使って回転……!
今度は下端ぐらいに同じようにヒビを入れ、先ほどのヒビと繋げました
すると……」
真乃とめぐるが生唾を飲み込む。
「キキー! ドンッ!
なんとうさぎさんは窓の縁と2本のヒビで途切れたガラス片を、あっという間に破り出してしまいました
ぽっかり三角形に開いた穴から指を入れて、鍵を開けます。
不幸にもカメさんは泥棒に入られてしまいました」
確かにドライバーは窓割る時に使うって、聞いたことがある。これを三角割りというらしい。灯織が事務所でまた凝った紙芝居を披露している。交通安全に引き続いて、防犯安全講習なんかもやるみたい。人選間違ってるってー。いや、合ってるのか。
「み……みんなー
どうだったかなー?」
「怖すぎるよ!!」
『イルミネーションスターズ』って、コントユニットだったっけー?
怪盗の誤算は、プロデューサーがほとんど必ず仕事に関するものを持ち歩いていたことだった。
『それじゃ、この屋敷のものは隅から隅まで盗ませていただいたんで、どうぞよろしく』と洒落込みたかったのだろうが、簡素な机椅子に最低限の生活家電。いくつものスーツが掛かったラック。アスリートが使うやつみたいなマットレスと寝具。枕元には袋に入ったままのカッターシャツや新品の下着が並んでいて、──部屋の隅には何ダースものドリンクのストック、空き容器。異様にミニマルな暮らし。
私は息を呑んだ。怖かった。プロデューサーのプライベートなんてないじゃん。そしてそれは私たちが奪ってしまっているんだ、って気付いて、その事実が怖かった。寝る間も惜しんで、事務所で徹夜までして私たちのために働いてくれる。私がひとたびいなくなろうものなら、どこにいるかもわからない私のために、汗だくになって必死に探してくれる。イタズラに懲りずに付き合ってくれる。家族でもないのに、なんでそこまで……?
自宅に帰ったら、疲れ切ってあのマットレスに倒れ込むのだろう。そして多くない睡眠とスタミナを補給し、何事もなかったかのごとく、誰よりも早く、事務所のデスクに笑顔で就いている。ログインボーナスを一日たりとも逃さないかのように。──怖すぎるよ。
犯行予定時刻25分前。突如帰宅したプロデューサー。──これがもう一つの誤算。
面食らったのは怪盗だ。しかし、成果がないと見切りをつけて早々に退却しようとしていたウサギさんにとって、目当ての情報が詰まっているであろうビジネスバッグを手に現れたカメさんは、冷静な判断を撹乱させる程度の驚きをもたらした。
フツーに考えれば怪盗は逃げに徹するべきだったのだが、確実にブツを持ってこいだとか、悪徳記者との非対称な関係による圧力があったのかもしれない。ともかくいきり立って独断でバッグの確保に方針転換したのだった。
怪盗は腰袋の工具、もとい鈍器でプロデューサーに殴りかかる。意識が朦朧としている隙に、部屋の奥に引っ張り込んで体を転がし、ダクトテープで後ろ手を固めた。さらに怪盗はダメ押しで、大声を上げられないよう散らばっていた替えの肌着をプロデューサーの口に詰め込んでダクトテープで閉じ、ラックにかかっていたスーツを頭に被せ、その上からさらにダクトテープでぐるぐるにしておく。足首にもダクトテープ。何でもかんでも節操なくダクトテープ。
ダクトテープ無双はあんまり余裕のない美術大道具の舞台裏でもそうだったから、現場あるあるなのかもしれない。新米ADがバミリをダクトテープでやっちゃって、剥がれなくなって怒られている光景を見たことがある。痺れを切らしたディレクターが「カワスキもってこい!」だの怒鳴ったりなんかして。
動揺していた怪盗はこの工程にかなり手こずった。意識が朦朧としているとはいえ、プロデューサーはなかなかに抵抗して悶着があったためだ。焦った怪盗は再び鈍器で頭を殴った。その状況を想像すると、すっと血の気が引く。会敵は想定外だったのだろう、武器が小型のバールだったのはまだ幸いだった。大きめのそれやハンマー、ないしは刃物が使われていたとしたら、と思うと気が遠くなるが、怪盗にとっては死なれるのもまた不都合だから、その力加減に気を揉んだに違いない。拘束がひと段落し、念のため玄関を施錠。
それにしても、いつかのクリスマスの事務所で、はづきさんが落としたドライバーとバールを見つけてすわ泥棒の侵入かと大騒ぎになった出来事があったが、そのときに想像していた懸念がフルで具現化するとこうなる、という典型を見せつけられてしまった感じがする。
犯行予定時刻13分前。私が異変に気がついて通報した時刻だ。
マンションがほとんど市境に位置していたため、所轄署からはそれなりの距離があったのだが、警視庁の機動隊が遠くない場所にあったことも幸いし、平均レスポンスタイムを大きく割ってパトカーが到着した。
一方、悪徳記者側からの事前連絡の着信が怪盗のスマホに入る。しばし口論となる犯人たち。そりゃそうだ、怪盗のテキトーな仕事で、予定外のことが目白押しなのだから。犯行を見てしまったプロデューサーの処遇をどうするかも含め、大揉めに揉める。サイレンまで聴こえてくる。
実はこの間、プロデューサーは意識を保っていたらしい。「人間って案外、気絶できないものなんだな」と笑っていたけど、笑い事じゃない。動けたところで手足と視界を封じられているのだから、油断させつつ様子を伺うため、再び殴られた時点で気を失ったふりをし、激痛に耐えながら黙っていたそうだ。そして、手元には運良くドリンクの空き容器が転がっていた。
キャップについている細長いビロビロの金属。後ろ手で器用に伸ばし、右に左に手首を回して拡げたテープの輪を鋸の要領で裂く。僅かな突起の連なりがちょうど鋸歯のように作用して、図らずもそう時間がかからないうちに手を開放できたが、加減なんかしてられないから、手指もズタズタになって。
そのまま足の拘束も剥がし、手と足の自由が利くようになったプロデューサーは、立ち上がりがてら躊躇なく、頭部を覆っているスーツを全力で破る。スーツが引き裂かれた音を耳にした怪盗は、驚いてスマホを落とす。流血と脳のダメージで曖昧な視界の中、その辺にあった椅子で殴りかかるプロデューサー。その拍子に砕けた鋭利な破片で、手のダメージが決定的になる。渾身の一撃にフリーズする怪盗。その隙にゼロ距離で手首を抑えれば、鈍器も振りかぶれない。しばしの膠着。
犯行予定時刻ジャスト。まみみ警察突入ー。現行犯で逮捕ー。
──────⑫ サポートイベント
「摩美々さん……
摩美々さん、その……
なんていえばいいのか……私、混乱してしまって」
プロデューサーが目を覚ましたことをまず電話で報告してから、そのあと事務所に顔を出した。
「もう、何が起こったんだか──
意識を取り戻したってわかった瞬間、社長が泣いてしまって……
病室をほとんど見舞えていませんでしたから」
「こ、こら!
アイドルの前でそういうことを言うな!」
「だって……喜んであげてください
摩美々さんの前で……」
「…………言った通りだ
お前たちの健闘を心から称える」
アイドルが動揺していることもあり、慣れや安定までに時間がかかりそうではあるものの、プロデューサーが抜けてできた穴はどうにか社長のコーディネートによって埋められつつある。社長の古馴染みを経由して拾った人材にリモートでバックオフィス業務を振り分け、その分空いた社長のタスクをフロントオフィスに充てることで、これまで通りに近いバランスで会社を回しているそうだ。はづきさんも283プロのシフト比率を増やしたみたいだ。
一方でプロデューサーが半ば兼務していたともいえるマネージャー業務は、めんどーなことにそのまんま私たちへとお鉢が回ってきて、一定のセルフマネジメントが欠かせなくなってしまった。このままエージェント契約みたいな形になったりしたら嫌だなー。
──
『彼のためだった
仕事に尽くすことが、彼を生かした
素晴らしい結果を期待し、彼はそれに応えた
彼は生きた
私は私なりに彼の希望に沿える道を探した
アイドルプロデュースは、ひとつの答えだ──
──そのはずだった
それ以外に、どうするべきだっただろう──?』
──
どういう経緯があっての采配だったのかはわからない。社長がプロデューサーに何を見出し、何を託していたのかも。ともあれタスクの一極集中によって招かれた事態を重く見た社長は、経営の落ち着くべきスタイルを探りながら立て直していくのだろう。そして今日も社長はプロデューサーに替わって外行きの背広に袖を通し、革靴の底を擦り減らして営業先に出向く。
でもやっぱり、283プロにはプロデューサーが絶対に必要だと思う。プロデューサーがいないと私、サボっちゃうかもしれませんからねー。それに私にとってだけじゃない、プロデューサーは私たちみんなにとって、時に協力し、時にぶつかり、高め合った、強い信頼関係によって結ばれたパートナーだから。その信頼があってはじめて、トップアイドルとして羽ばたくことができるって思うから。
──病床で見たプロデューサーの手には湿潤法のテープが貼られ、赤がうっすら透けてて痛ましかった。手もろとも拘束を削ぎ、さらには破砕した武器が食い込んだ、その末路だ。見かねた霧子が両手を包帯でぐるぐる巻きにして隠したのは仕方ない。痛いのは嫌でしょー?
「痛いのさん……飛んでいけ……!」
すごくキレイに巻かれてる。包帯で感心したのは初めてだ。
「うわっPたんどーしたの!?
満身創痍じゃん!」
三峰がさすがにそれを見てたまらずノリ気味で突っ込んでいたっけ。戯けつつも、憔悴を悟られまいと顔で笑って心で泣いてるのを知ってる。
ここでコミカルに畳み掛けてもいいケド、面会の場では弁えてみんなの様子を眺めるのみにしておく。さすがに怪我人にはイタズラできないですからぁ。
『アンティーカ』に続いて、いの一番に駆けつけたのは凛世だった。
病室に入るやその痛ましい様を見て「……!?」と声にならない声を発したきり、プロデューサーにどんな声をかけて良いのやら考えあぐねいておろおろと狼狽てしまい、困ったように『あ』……と繰り返し漏らすばかり。
「……──
──いたかった……っ」
プロデューサーの凄惨な姿が堪らなかったのか、ベッドに縋り付いて悲痛な声を上げる。誰よりも面会を待ち侘びていたのが凛世だったのだから、プロデューサーの痛苦を慰めるよりは、まずは欲しがらなきゃ。自分を出して「会いたかった」ぐらい言ったっていいのに。
見てられなかったが、包帯でぐるぐるの両手を目にして「──動かせましょうか……」と訊ねていたのは、なんかシュールで和んだ。
「手とかベタベタしてませんかねー?」
やっぱり隠されると逆に気になるのか、にちかも触れずにいられない様子だ。包帯に被覆された血塗れの手を気遣って言っているセリフなのか何なのかは判別しかねる。
ていうかー、みんな頭のこと心配すればー? というツッコミは意味をなさない。シャレにならない。とても触れられない。話として取り上げるのをきっかけに、ネガティブなトピックが飛び出すのを恐れているんだ。ひょっとしたらプロデューサーは283プロに戻れないかもしれない、そんな可能性に言霊を与える導火線を、みんなして暗黙のうちに封殺している。
他にもアイドルたちの反応は様々だ。
特に冬優子なんかは取り乱して、キャラ崩壊一歩手前みたいになっていた。
「プロデューサーは接近戦じゃ分が悪すぎるでしょ……!」
プロデューサーの無謀について意味不明なアングルから言及していて、ひしひしとその混迷混乱ぶりが伝わってくる。それでも言っていることは確かで、私たちが突入していなかったらプロデューサーは命を落としていた可能性だってあった。
一方、「秘密のポケットは無事だったっすか!?」と、あさひはあさひで別方向に頓珍漢なポイントへ興味津々だ。はいはい、シガーポケットの名刺ケースは無事ですよー。さっさと退室すべきだ。
また、円香が顔を真っ赤にして涙を見せていたのは意外だった。プロデューサーに対していつも冷淡な態度を取っているので、正直驚いた。
「スーツ、ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまったんですね
ミスター・ギンコ・ビローバ」
気丈に態度を取り直しては、そんな悪態とも慰労ともつかない純文系巨大感情めいた言葉をかけていたが、どうにも比喩が遠すぎてよくわからない。ゲーテの恋愛詩か。ひょっとして銀杏の葉がジャケットのベントみたいに裂けてるのと掛けてるー?
そんな円香に割り込んで何を思ってか、「私もちっちゃいときにさ、打ったことあるよ、頭」と透は言ったが、まあ、そうだよねーって感じだ。大方ジャングルジムとかから落ちたのだろう。今がああだから想像に難くないケド、これといって感想の持ちようがない。さっさと退室すべきだ。
引き裂かれたスーツはさすがに復元不能だったが、着用していたスーツについては『あの……よかったら、私に直させてもらえませんか? 裁縫道具を持ってるんです』と千雪さんが名乗り出て預かり、なんとか破れの直しとシミ抜きをしてきた。
「はい、できました♪」
服飾を勉強した時にこういうことも学んだらしく、ぬるま湯と酵素系洗剤でどうにか血を取り除き、センターベントや裏地の破れなどといった、袖のボタンが落ちそうとかそういうレベルじゃないダメージの修復をやってのけた。『アンティーカ』のライブ衣装をみんなでアレンジしたことならあるケド、ここまでの堂々たるクチュリエールぶりを発揮されると立つ瀬がない。
口々に「裁縫もいけるとかずるいでしょー」とか「千雪さんがいれば、283プロのみんなが助かっちゃうね?」などと称賛の言葉が飛ぶのに対して、「ふふっ、仕立て人って言っていいんだぞー」と冗談めかして答えていた。その横で甜花は甘奈が切った果物を勝手に食べていた。
繕われたスーツは、早く日常を取り戻してほしいという無邪気な願掛けだ。しかしプロデューサーにとってのそれは、仕事に没頭し続けた末に招かれた惨事を象徴する、破局的解釈のトリガーたりうるんじゃないか。喜んでいる素振りのプロデューサーの顔をふと見やると、照れた笑顔とも戸惑いとも取れる曖昧な表情を湛えていて、それがなんだか凄くいつも通りな風で、わからなくなってしまった。
スーツについては仕舞い込まれたっきりで関知しようもなかったが、入院中のプロデューサーは、しばしば特定のシチュエーションで呼吸が浅くなったり極度に表情を強張らせることがあった。──ドアを開けるときだ。
誰もいないはずの自宅で起きた出来事。生命身体に対する重大な危害。何事も起こりようのない病室の引き戸でさえフラッシュバックが起こり、明らかなPTSD──心的外傷後ストレス障害──を自覚したプロデューサーは担当医にそれを告げたのか、結果日中の間、院内において車椅子の行き先が一か所増えた。今後の治療にあたり社長やはづきさんぐらいまでには伝わっているのかもしれないケド、デリケートな問題なので当然大っぴらにされることはなかった。とはいえ足繁く病院に見舞っていた私の知るところとなるには、あまりにも大きな変化すぎた。
──プロデューサー、もうあの家に帰れないんじゃないー……?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?