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踊る大283線 プロデューサー編(5/5・完結)

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──────⑬ 天井社長からの宿題


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シーズン2 残り8週

(病院に入院して数ヶ月…… いよいよ俺が、退院する時がきた
ずっと焦がれた仕事をようやく再開できるんだ、これから精一杯頑張るぞ!)

 懸念されていた頭部外傷による亜急性期の後遺症は顕在化せず、丸々シーズン1くらいの期間を経て退院することができた。仮に俺が担当アイドルだとして、W.I.N.G.でシーズン目一杯休んだら、Fランク認定されて次のシーズンを迎えられないぐらいの時間間隔なんだよな。

「おはようございます!
って、天井社長……?」

「おはよう、お前を待っていたぞ」

 病院の前にいたのは、283プロダクションを束ねる天井社長…… あいかわらずダンディな雰囲気だ。復職の手続きのために迎えに来てくれたのだと思いきや、そうではないという。保険や医療費の補助に関する諸々の書類を渡してくれつつ、俺を実家に送り届けてくれるつもりらしい。
 復帰したいと熱烈に談判したが、さすがに社長は絆されず「私は甘くないぞ」と引き続きの休職を命じられてしまった。283プロが半ばリモート態勢になっていることから、部分的な業務だけでも振ってもらえないかと縋るも、すげなく退けられてしまった。

「自分が今なすべきことをよく考えてみることだ
辛いだろうが、これもプロデューサーの仕事だ」

 かなりしつこく食い下がって、慢性期の症状が現れなかった場合、復職のタイミングは概ね半年程度、3シーズンほど経ったころと言質を取った。すでに1シーズンを棒に振っているので非常に長く感じるものだが、アイドルをプロデュースしているとこのシーズンというものがいやに短かかったな、などとしみじみしてしまう。そんなわけで今後しばらくは実家で静養し、その近隣の病院に通院することとなった。リハビリと認知行動療法の日々が始まる。

 ──社長はあの場で、俺がまだプロデューサーに復帰できそうにないことをはっきりと見抜いただろう。
 社長が乗り付けてきた見慣れたレクサスセダン。社長自身がドアを開いて乗車を促すまで、俺の挙動は不自然に硬直したままだったからだ。

シーズン2 残り7週

 親に協力を得て、実家の中にある扉という扉は全て開け放った状態にしてある。車は社に戻っているし、何より乗れないだろうから、通院にはもっぱら公共交通機関を用いている。転院後の初診では時間をとってカウンセリングが行われ、今後の方針などを話した。
 治療法についても詳しく触れ、認知行動療法やSSRI──選択的セロトニン再取り込み阻害薬──の処方に関してインフォームドコンセントを取る。

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 『SSR』…… なんだか強そうな響きだが、身体依存や離脱反応もあることから、担当医によるピックアップSSRIは経過を見て解放されるようだ。それの世話になるまでもなくクリアできれば、社長からの宿題にも十分応えられたといえるだろう。
 帰宅して、呼び鈴を押す。自分の実家なのに変な話だが、中から迎え入れてもらわないと体が強張ってしまう。どうしてもあの事件が連想されて、”死”の具体的なビジョンが心臓を圧し潰してくるのだ。

シーズン2 残り6週

 行動療法の一環として、変な表に記入させられた。最も強い不安を感じるシチュエーションを100点、何ともないシチュエーションを0点とし、リストアップしたものを点数順に並べた”不安階層表”とやらだ。この点数化されたSUD──自覚的障害単位──なる指標をもとに、何ともない場面からだんだん不安の強い場面に暴露させ、感覚を慣らしていくのだという。これを持続エクスポージャー療法といい、PTSDの治療に際して有効性があるとされている方法なんだそうだ。
 こう一覧表になっているのを見ると、不随意で強烈な不安や緊張──レスポンデント反応──が起こりうる状況がなんとなく整理されて、突然のパニックが回避されそうな気がして少し安心する。焦ることはない。徐々に、徐々にやっていこう。

シーズン2 残り5週

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 実際に暴露を始める前に、状況と反応の因果関係を整頓するよう持ちかけられた。要するに、特定の状況が俺をどんな気分にさせ、その気分はどんな連想によって起こり、その連想は何の根拠によって起こり……などと、不安な状態から安全な状態に戻るまでの思考プロセスを辿る作業だ。俺の場合は原因や状況がはっきりしていて組み立てが容易だったし、すでに状況から逃れる対処は治療者や支援者に協力してもらう形で部分的に実践しているわけだから、プランはスムーズに決まった。翌々週からエクスポージャーが始まる。

シーズン2 残り4週

 休む。

シーズン2 残り3週

 担当医の先生には、カウンセリングを通して俺がアイドルのプロデューサーだということを共有している。茶目っけをきかせて先生がエクスポージャーにアイドルのランクシステムを代入してくれて、俺の中での目標がわかりやすくなった。

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 シーズン1目標ランクE。SUDは20以上。アイドルの必要ファン数に例えると1000人。人に迎え入れられて、部屋に入ったり車に乗り込んだりする。これは先の入院時にクリアしている。
 シーズン2目標ランクD。SUDは40以上。アイドルの必要ファン数に例えると1万人。実家や病院など、見知った部屋のドアノブを握る。自ら扉を開けて入室する。これが今シーズンの目標となる。
 シーズン3目標ランクC。SUDは60以上。アイドルの必要ファン数に例えると5万人。社用車に自ら乗る。自宅のマンションに向かう。
 シーズン4目標ランクB。SUDは80以上。アイドルの必要ファン数に例えると10万人。スーツに袖を通す。マンションのエレベーターに乗り、自室の前に立つ。
 そして日常に戻るための最終目標であるランクA。俺が最も不安や恐怖を感じる、SUD最大値の100。アイドルの必要ファン数に例えると50万人。──事件のあった自室の鍵を開け、ドアノブを握り、自ら扉を開けて入室する、だ。
 
シーズン2 残り2週

 実家内の扉を開けることには大方慣れてきた。実家に長くいたこともあり、新たに自分が傷つくことはないという安心感が得られたことよって、ここにおいては恐怖記憶との紐付けが遠くなったからだろう。玄関の扉を自ら開錠し帰宅することに対しても、クリアするのにそう時間はかからなかった。
 勝手が異なるのは外の施設についてだ。院内でも「次回来院時に呼ばれて入室する際、自分で扉を開けてみてください」と言われて、そのように実践を試みたが、動悸が乱れ、あえなく断念した。どうも病院という施設は身体のダメージを連想させやすく、そこから芋づる式に事件現場のビジョンが引き摺り出されてしまう。……まいったぞ。

シーズン2 残り1週

 先週に引き続き、生活圏内における部屋の入室を繰り返して感覚を慣らす一方で、診療室を開ける目標に再度挑む。
止め処ない冷や汗。竦む足。6週もの期間にわたり顔を合わせている担当が確実に室内にいる、そんなの散々分かってる。『大丈夫、信じてるぞ』と自分に言い聞かせるさまが、オーディション前のアイドルへの声掛けと重なって、反対にアイドルが俺にそう言ってくれてるのを想像して、テンションが上向いた気がする。……逆に担当アイドルに励まされてしまったみたいだな。

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「おめでとうございます、ランクアップです
またひとつ、夢に近づきましたね!」

 入室すると、担当医がにこやかに労ってくれた。ははっ、オーディションでいうと『夕方アイドルワイド一番』ぐらいの関門を超えたことになるのかな。こんなの、いつぶりだろう……

シーズン3 残り8週

 休む。

シーズン3 残り7週

 ランクDまでのエクスポージャーは順調そのものだ。今となっては診療室に入る際も意に介さないくらいになったし、買い物や食事などに外出した際、知らない店先の扉にも抵抗感を示さなくなってきた。そうなってくると次の目標に移りたいところだが、その前に行っておくべき場所がある。──283プロ事務所だ。
 事件以来、アイドルたちやはづきさん、社長とは、病院に見舞ってくれていたために顔を合わせているが、事務所については近況報告のためリモートで繋いだぐらいで、現地についぞ足を運んでいない。ランクCのクリアには283プロの協力が欠かせないことから、その話もしておく必要があるな。

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シーズン3 残り6週

 家でふと、キーケースを爪弾くようにして眺める。マンションの鍵2つは、事件後鍵の総入れ替えをするらしいとのことで、入院中のうちに回収されてしまっていた。見るだけで気分が悪くなりそうなので取られて万々歳なのだが、行動療法に使えなくなったという点においては残念だともいえる。事務所の鍵については、『みんながプロデューサーさんを待っていますよ〜』とはづきさんから預かったままだ。
 扉を開くとみんながいる。そう思えば心なしか気が楽になるし、頑張ろうという気力が湧いてくる。画面越しじゃなく、早くみんなに会わなくちゃな。そう前向きに考えて、心の奥底に掛かる靄の気配を自ら知覚できないよう、俺は厳重に蓋をして仕舞い込んだ。

シーズン3 残り5週

「あ、プロデューサーさん、アイドル達に会いに来てくれたんですね」

 心の中でアイドル達からの後押しを得て、この事務所においても自分で扉を開くことができた。
 驚きとともに心配そうな表情を見せるはづきさん。天井社長といい、やはり俺の状態を知った上で接してくれているのだろうということを察する。

「あ……あれっ……?
プロデューサーだ!
……プロデューサー!」

「め、めぐる……!?」

 めぐるはいつもの如く、天真爛漫に飛びかかって抱きついてこようとした。しかし刹那、俺の顔を見てはっとして立ち止まり、「偶然だね、びっくりしたー」と柔らかに声をかけ直してくれた。
 『イルミネーションスターズ』の八宮めぐる。社交的で人懐っこい性格は安易に帰国子女の属性と結びつけられがちだが、それは後天的に獲得したものであり、周囲との差異に揉まれながら培った『居場所は自分で作るもの!』というポリシーの賜物なのだ。

『わたしはプロデューサーが思っているよりずっと臆病で……』

 臆病で、深い寂しさを抱えていて、だからこそ他者を優しく見つめ、差し伸べてくれる手。しばしばドキッとさせられることがある距離感も、そうした繊細な内面に基づいている。

「いつものスーツじゃないから一瞬、プロデューサーって気づかなかったよー」

 もの思わしげにおずおずと語りかけてくれつつ、柄にもなく距離を開けたままだ。
 めぐる、どうしたんだ? らしくないじゃないか。はづきさん、そんな顔、やめてくださいよ。
 誤魔化すようにして、ぎこちない動きで姿勢を解く。
 ……それまで俺は、両手で頭を守るように覆い、身を竦めていた。

シーズン3 残り4週

 休む。

シーズン3 残り3週

 休む。

『完璧な自己プロデュース……一流ですね
ミスター・プロデューサー』

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 お世話になっている商店街の人たちからのいただきものを運んでいるとき、そう言われたのを思い出す。
 『ノクチル』の樋口円香。シニカルで冴えたボキャブラリーで織りなされる普段の罵倒に対して、その日の会話はなんだか毛色が違ったのを覚えている。
 『ミスター・プロデューサー』か。その評価は少しだけ嬉しいけど……かいかぶりすぎじゃないかな。身の丈に合わないところまで精一杯……『プロデューサー』でありたいって努めているだけだよ。それを信用ならないとする歯痒そうなジャッジだったけど、この期に及んでは、完全に反転してただの辛辣なアイロニーとして俺に刺さる。
 立派な肩書をもらっても……形だけだから、結局、何をするかでしか語れないんだ。──だから、俺は頑張るしかないんだよ。スーツを脱いだら、そんなにできた人間じゃないからさ。

『つまりスーツを着ている時は、できた人間だと自負していると』

 ……いや……

『そういう言い方でしたよね』

 はは、それはまだ願望で──

シーズン3 残り2週

 休む。

 床に投げ捨てたパスケースが転がっている。担当アイドルの目に見えた成長が自分のことのように嬉しくて、勇気づけられて、ずっと懐に入れていた摩美々の写真カード。摩美々のためには随分駆けずり回ってきたから、思い入れもひとしおだ。
 落ち込みそうなとき、これを見て励まされていた。支えが欲しくてふと取り出して見たら、オフセットのカラーデータが網点に分解されて認識されるだけだった。
 ありふれたシアン、キープレート、マゼンタ、イエロー。
 焼き増しされたような日々。
 そこに輝きなんてない。
 そこに意味や価値はない。

 ──低解像度な偽物だ。

シーズン3 残り1週
 
 休む。

 頭がぼんやりする。布団に赴く気力さえなく、自室の床に頭を沈める。
 『プロデューサー』であること。それそのものが俺の精神的支柱であり、目標であり、アイデンティティーだった。アイドルと共に刺激し合い、互いに成長していくのが人生の喜びだった。しかし今や、無意識の恐怖がその実現を妨げる。『プロデューサー』であることができない。まるで意思の無い機械仕掛けのドール。無口な瞳で日々をルーティン。──そんな人生に意味なんてあるのか?

 ふと耳慣れたリニアな排気音が窓越しに聞こえてきた。──社用車のレクサスセダン。天井社長だ。
 玄関先で親と言葉を交わしているのがわかる。ひょっとしたら病院とだけでなく職場にも密に近況を伝えあっていて、今回の俺の状態を憂いて知らせたのかもしれない。思いがけない『お休みサポート』。
 社長には迷惑をかけっぱなしだ。自分の至らなさのせいで、仕事に穴を開けていること。借りている部屋を心理的瑕疵物件にしてしまったこと。──宿題をできていないこと。負い目ばかりだ。足音が近づいてくる。

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「眠っていては、聞けもしないな」

 廊下に立った社長が、壁一枚越しに語りかける。

「……いいよなぁ、もう
開けちまうぞ
この部屋」

 部屋先で前置き、そっとドアが開かれた。採光が遮蔽され、暗い部屋に沈殿している俺の姿を見つけたことだろうが、どんな顔をしているか確認する余力がない。

「やはりここまで来ると、乗り越えるべき壁も高かったな……」

 もうずっと声を発していない気がする。社長は俺の言葉を待っている。

「……はい
目標には、届きませんでした」

 重い頭を持ち上げながら応える。うわずってうまく声が出ない。

「お、お前……なぜ床で寝ているんだ
せっかくまじめな雰囲気を出したというのに……」

 有様を自覚し、慌てて居住まいを正す。開かれたドアから差し込む光を追いかけていき、目線で社長の足元から顔にかけてを辿ったが、逆光で表情がよく見えなかった。

「結果を出せず、申し訳ありませんでした……」

「……私に謝っている場合じゃない
評価はしているが、弱音を聞きたいわけではないぞ
力が足りないのなら、彼女らとともにこれから成長していけばいいだけのことだ」

 沈黙。
 距離を詰められて怯え、咄嗟に哀れな防御姿勢を取るような人間に、あの子たちをそばで支える資格なんてあるのだろうか。スーツに袖を通すことさえままならない人間に、立派な肩書を名乗る資格なんてあるのだろうか。
 足りない身の丈は、頑張って釣り合うようにカバーしてきた。着れる、俺なら。身の丈に合わせるんじゃない──『スーツに合わせるんだ』……そうだ。そうしてきた。でも、これ以上は。

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「──……………………
もう……………………
合わせられないんです……………………っ」

 嗚咽が抑えられない。

「…………
ここまで……っ…………
ここまで…………連れてきてもらったのに…………っ
このっ……スーツで…………。トップアイドルを……って…………っ
ごめんなさい…………
社長…………っ…………!」

 再び沈黙。

「少しアドバイスをしておくが、お前は、283プロダクションのプロデューサーだ」

──

『──……お前ならば、きっと……』

──

「どうする、お前は」

──────⑭ プロデュースイベント 

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シーズン4 残り8週

「──ブラックで、よかったよな」

「ありがとうございます」

 天井社長に憧れて、この業界に入った。アイドルが持つ本来の個性を重視する信条に共感したし、何よりその一流の手腕。時折どこか暗い影の差す佇まいにも、不思議と惹かれるものがあった。
 一息ついて車に戻り、今度は社長が運転席に座った。俺は助手席で回想に耽った。

『業務を手早くこなすのは重要だが……
お前に期待しているのはそれだけではない
プロデューサーは人を扱う仕事だ
時に、速さは人の想いを置き去りにしてしまう』

 仕事のスピードが自分の強みだと思っていた駆け出しのころ。社長にそう窘められて、俺は自らを恥じた。外周りへ同行したときの、社用車を操る社長の姿。そこに答えがあった。今も以前も変わらず、ぶっきらぼうだけど温かな心遣いを形にしたような運転。俺のユーモアに社長が笑った記憶こそないが、車中で取り留めのない話をするのも楽しかった。社長にちょっとでも近付きたくて、アイドルにもそうしてあげたくて。

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「お前の将来像を教えてくれと面談で訊ねた時、『理想のプロデューサーを目指します』と
そう言ったな、プロデューサー」

 社長から『お前の評価はSだ!……これからもお前には期待しているぞ!』と太鼓判を押してもらった、某月某日、283プロダクションでの面談。

「はい、アイドルたちがどこまでも輝けるように
それこそ世界の果てまで照らせる
そんなアイドルをプロデュースできるプロデューサーになりたいです、と
……結局私自身どうすればいいかなんて分からないままでした
挙句、大事なアイドルを二の次にして、自分のことばかりで……
やっぱり、『甘い』……ですよね?」

「……ああ、甘い、甘すぎるぞ、プロデューサー
だが…………フッ、定言命法的な『理想のプロデューサー』への固執は、同時に義務である目的としての自己の完全性を増進するにとどまらない
その先にはきっとアイドルの自然的幸福があるはずだ」

「……『人倫の形而上学』、ですか?」

「……お前は、そんなところまでアイツに──
…………いや、忘れてくれ」

 誰かと俺を重ねているのだろうか、社長はそんなことをぼやきながら片手で眉間を覆う。

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 先週、社長の言葉で覚悟を決めた俺は自ら車のドアを開いた。家族からある程度状態が伝えられていたようだが、病院でも非常に心配させてしまっていたみたいだ。久々のカウンセリングで、モチベーションの復旧に至った経緯を訥々と語る。
 社長が、アイドルに対してみたいに当ててくれた光。──『SPOT LIGHTのせいにして……』

シーズン4 残り7週

「……っく……
…………っ…………」

 心配かけたよな、ごめんな。

「ううん、ううん……
どうしたんだろう
あれっ、ごめんね、なんでだろう……
何でもないんだよ
それなのに、……なんで……」

 スーツ姿の俺を見て、めぐるは落涙を抑えきれない自分に混乱している。

「止まらない……
ごめん……ごめんね……」

「めぐる……」

 自分のせいで俺が事務所に来れなくなってしまったのではないかと、感じなくてもいい責任を感じていたのだろう。本当に残酷なことをしてしまった。俺は俺の弱さで潰れていただけなのに。アイドルを導くべき立場の俺が。

「ちょっと抱きついてもいい……?」

 ふとした拍子に折れてしまいそうになったり、挫けそうになったり、それでも精一杯の先へ、目一杯の未完成で、まだ上昇中のアイドルたち。支えられるんじゃない、俺はこの子たちをそっと支えていかなくてはならない。
 アイドルに向き合う気持ち。これはまた抽象的だ。俺にこれといって強みはない。だからこそ、アイドルとしっかり向き合いたいなと思う。

『……アイドルと真摯に向かい合えること
それも確かに強みだな
口で言うほど簡単ではない
これからも、その強みは磨いていくといい』

 パスケースから抜き出して見た摩美々の写真カードも、いつしか輝きを伴って鮮明に像を取り戻していた。

シーズン4 残り6週

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 摩美々がムズムズした表情でむくれているのは、めぐるの消沈に対してとても気にかけてリカバーしてくれていた優しい心遣いをバラされたからだ。

「あらら〜?照れるなよぅ、うちの縁の下の力持ち〜」

「……っ、そういうの、いいってー……」

 そう結華に囃されて照れている。

「そんな紹介望んでないんだケド」

 摩美々はみんなのことをよく見てくれている。同時に俺のことについてもだ。サボれるからという建前で──これは手放しに喜んでいいのか微妙なところではあるが──足繁く病室に足を運んでくれたし、……多分、俺の状態にいち早く気がついたのも摩美々だ。その上で、俺に無理がこない距離感でさりげなく見守ってくれた。クールに見えても、それだけじゃない。

「今のやりとりみたいなの、不本意です
私別に、いい子じゃないしー」

 ありったけ感謝は何度も伝えてきたが、その都度かなり嫌がる。──事件の被害者は俺だけじゃない。摩美々も相当辛くて怖い思いをしてきたのに、歯牙にもかけず、周りへの気配りを絶やさない。それとわからないような形で。
 ただ、感心ばかりしていても『アイドルが頼りになるのは良いことだが…… 頼ってばかりでは困るぞ』と社長から叱責が飛んできそうだ。しっかりしないとな。

 覚悟を新たにしたとはいえ、仕事をする許しを得たわけではない。ただブランクが長すぎるのもあるから、アイドルの調子を知る機会が欲しいというたっての希望を伝え、事務所において定期的にアイドルと顔を合わせる時間を貰った。

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「そこはあれじゃないですかぁ
働き方革命ー」

「わ!
なんかかっこいい」

「ふふっ
それも、お互い様です〜
お仕事以外の時間は、ちゃんと休んでくださいね〜」

「それは大丈夫です!プロデューサーにもよく言われます
ちゃんと休むことは、力を作ることだぞーって」

「ええ、そうですよ〜
お休み革命です」

「あはは、強い革命来ちゃった!」

 俺も、ちゃんと休んで力を作れているかな。積み上げてきた俺の強みが”革命”で逆転して弱体化しようが、持っている手札でやることは変わらない。『ロイヤルストレートフラッシュ』……って、そりゃゲームが違うか、はは。

シーズン4 残り5週

 もう残り5週。シーズン3で予定から遅れを取ったのもあり悠長に休んでもいられないので、アイドルたちから差し入れで貰った仰々しいタルトで大回復し、セルフプロデュースを続ける。

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 通院に続き習慣となった事務所への顔出しでは、ひっきりなしにアイドル達が構おうとしてくれる。アロマやお守り、メッセージカードなんかも貰ってしまったりして、これじゃ、俺とアイドルがあべこべだ。でも、ここまでしてくれるともちろんテンションが上がるし、プロデュース中の失敗が無効化されそうな気がするし、何よりアイドルたちに対する親愛度が一層深まっていく。──早く戻りたいって、切にそう思う。

シーズン4 残り4週

「これをお前に渡しておく」

 そう社長に言われて受け取ったのが、ふたつの鍵だった。
 所謂普通のやや複雑な形状をした鍵、小さめで簡単な作りをした鍵がそれぞれ1本ずつ。──俺が住んでいた、マンションの鍵だ。『まあ、まずは思うようにやってみるといい』、そんなところだろうが、社長が続けるに曰く、少々厄介なイベントがあるらしいとのことだった。──現場検証だ。

 事件からそれなりの日数が経つ。俺が入院している期間のうちに事情聴取は済んでいるのだが、しかし刑事事件として公判に移る際、現場の状況や被害状況をおさめた写真が必要になるのだという。これまで諸々の手続きを283プロが間に入ってくれたり、ストレッサーになり得るこうした事柄を留めておいてくれていたようだ。
 事情聴取を終えた段階で、被害者と加害者の役を警察官が演じて撮った資料もあるそうだから、今回引き受けるかは俺の肚次第だ。犯人の罪状にも関わるからカルテの内容も警察に渡っているし、そもそもが無理な話なのだ、状態が思わしくないと伝えれば引き下がってくれるだろう。
 ただやはり、これは俺が乗り越えておくべきハードルであるように思われる。
 マンションのエレベーターに乗り、自室の前に立つ。事件のあった自室の鍵を開け、ドアノブを握り、自ら扉を開けて入室する。一足飛びではあるが、これを乗り越えないことには日常に戻れない気がする。

シーズン4 残り3週

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 マンションへ向かおうと車に乗り込んだ。社長も一緒だ。深い息をつきながらシートベルトに手を掛けると、事務所内から現れた摩美々が悠然と近寄ってきた。物件の所有者である社長はわかるが、当時の事件現場において警官と行動を共にしていた摩美々が、敢えてまた無理して検証に来る必要はないはずだ。

「テキトーに、ぱぱっと済ませてきちゃいましょうねー」

 扉がバンと音を立てて閉じられる。シートに深く腰掛ける摩美々。いつもの調子だが……なんて声をかけよう?

「摩美々はそれで後悔しないんだな?」

 不用意に赴けば、ふとした記憶を刺激して傷つけてしまう恐れがある。俺の恐慌だってどうなるかわからないし、そんな有様を眼前に晒して動揺させるのもあまりに酷だ。お互いのためを思って制そうと出た言葉だが、いつものイタズラな瞳ではなく真っ直ぐな視線で俺を捉えるので、つい生唾を飲み込んだ。社長は黙って何も言わないままだ。

 目的地に着いた。車を駐車場に停め、待ち合わせていた警官らと合流した。聴取の時にいた警官も来ており、病状などを気遣ってくれぐれも無理のないようにと念を押された。”偽警官”のこともあるし、警官の存在そのものが俺のレスポンデント反応を誘引するのでは、という懸念を事前に抱いていたのだが、”まみみ警察”によるワクチンのお蔭か、幸いにしてそれは杞憂だった。

(ほぼいつも通りに見えるが……
少し、緊張もしているか? それなら)

 オーディション前のアイドルへ声をかけるように、俺自身にかける言葉を探していたら。

「まわりは気にしないでくださーい」

 摩美々がピッタリなのをくれた。

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 自動ドアで透けているのでエントランスから入館するのに問題はない。エレベーターも閉所とのコンボを大分警戒していたのに、拍子抜けするくらい大丈夫だった。

「……心配のしすぎじゃないですかー?
今まで大丈夫なら、これからも大丈夫……かもですよー」

 目的階に着き、足を踏み出す。まだ大丈夫。……まあ、なんとかなるとは思うが。ドアが見えてくる。摩美々がギュッと腕を掴んで震えるので、やっぱり酷だったかと思ったら、震えていたのは俺の方だった。それを自覚した途端、どっと脈打った血流が、塞がったはずの古傷を頻りに叩いて暴れ始める。抑えないと! 脈動に釣られて荒れつつある呼吸を必死に整える。

(このままじゃだめだ
やる気を引き出さないと……!)
(集中できてないな
気分を盛り上げるには……)
(冗談ではなさそうだ
気負っているのか……?)

「大丈夫
プロデューサーを信じてます
ずっと見てますからねー」

 思考の濁流を凪にせしめたのは、やはり摩美々の励ましだった。

シーズン4 残り2週

 結局、先週の現場検証では俺がドアを開けるのにストップが掛かった。あの恐慌を傍目にすればそれも仕方ない。息を整えた俺は訝しげな顔をする警官に、久々で動揺しただけだと辛い弁明をし、どうにか続行を図る。社長に鍵を預け、その先導で入室した。事件以来、初めての我が家だ。
 概ね捜査そのものは終わっているため、荒れた部屋には清掃が入り、私物も箇所を決めて固められていたりとある程度片付けられていた。バキバキになった椅子も部屋の隅に寄せられている。
 破られたガラスとサッシは当然交換されており、サブロックの追加も見て取れる。慣れた手際で社長が窓を開けてくれた。涼しい外気に触れ、気分の不調がある程度緩和されて助かった。久々の出入りなのでもっと籠った空気を想像していたが、所有者である社長がたまに来ては換気などしてくれていたらしい。
 元々部屋にはほとんど何も置いていなかった。事件当時あったものはプラスチックの衣装ケースに保管されており、現場の再現のために記憶の範囲でそれらを取り出して適宜散りばめた。警官が加害者役で俺を組み伏せようとする挙動をとるのも案外平気で、まるっきり可視性が損なわれていない限りはそうそう反応が引き起こされないぐらいになっているようだ。
 この検証に先立ち病院で担当医と、ジャケットで視界を遮蔽する──さすがに被害者の負担が大きいと見なされ現場では省略された──のを試してみてはいたのだが、どうにか堪えられないこともなかった。こちらも寛解の余地が見られ、残る課題が絞られる。
 立ち位置の遷移や物品への指差し写真を撮り終え一息。社長も摩美々も胸を撫で下ろしている様子だ。
 日常に戻るための課題。あとはもう、ドアを開けるだけ。

 ──ドアを開ける、ただそれだけなんだ。

──────⑮ True End

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『──そのために、傷がもっと広がることだってあるかもしれない
それでも、やろうってことだね?』

『……っ
う、うん……』

『うん、『答え』って感じ……!
あと、これ足したらいいんじゃないかって思うんだけど──』

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──

シーズン4 残り1週

「ねぇ、プロデューサー
よければ、少しワガママを聞いてくれないかな」

 そうねだる咲耶に袖を引かれて外に着いていったら、社用車の後部座席に押し込まれた。奥には霧子が座っていて、続いて乗ってくる咲耶とで挟まれた俺は、二人にガッチリと腕を押さえられてしまう。助手席には恋鐘、そして運転席には……結華!?

「……一体これは……
どこに行くんだ……?」

 疑問をぶつけてみると、咲耶が困ったように笑う。

「ああ──
いつも気づけば目的地に運んでもらっているばかりで
自分ではあまり気にしていないね」

 今一つ要領を掴ませてもらえず、はぐらかされてしまった。
 最近どうも倉庫で『アンティーカ』がコソコソと『作戦会議』をしていると思ったら、これのことだったのか。それにしたって、結華の運転…… 「免許あるとやろ〜?」と恋鐘が屈託なく運転席に投げかけるのに対して、結華は「いやー、覚えてないよね 高速なんて使わないし」と冷や汗をダラダラ流しながら答えている。普段ホンダのジョルノしか乗ってないはずだからペーパーなんだろう。……もしかして今さっき高速って言ったか。どこまで行くつもりなんだよ。こっちまで冷や汗をかいてきた。

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 危なげない運転で、車は府中四谷橋を渡った。所属アイドル総出でのレクリエーションをしていた辺りだ。今まさに俺は俺で、咲耶と霧子との『ギュー! レンジでチン!』状態なわけなのだが。
 車はそのまま河川敷横の多摩川通りを東に向かって行くので、幸いにして少なくとも、中央自動車道に突入することはないようだ。
 恋鐘が開けたウインドウから風が流れてくる。草の匂いの混ざった心地の良い午後の空気。フロントガラスに目をやると、日中の陽射しで熱されたアスファルトにやや季節外れの逃げ水が見える。今ここにいない、蜃気楼みたいな誰かさんを探し回って、こんなところまで追いかけてきたこともあったな。緑地を通りすがるささやかな時間、そんな『パープル・ミラージュ』を回想した。
 いつしか北上し、高架橋に併走しだした。勘の悪い俺でも流石に気がつく。これはマンションに向かっているんだ。

「そいじゃあ、プロデューサー!
家出終わり〜〜〜〜!
帰らんばね〜〜〜〜〜!」

 目的を察知している様子を見取って、恋鐘が俺に笑いかけて言う。なるほどなあ。それにしても、この闊達さはこの上ない救いだ。

「──ははっ、長い家出だったな」

「うん〜〜!
短くても長くても
いつか戻るとが家出ばい〜〜〜!」

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 日が傾いてきて、少し汗ばむほどだった陽気が潜む。
 レディを扱うみたいな咲耶の恭しい手取りに牽かれて降車した俺は、先々週来たばかりのマンションに向き直った。無言で頷き、鍵を取り出してエントランスに入る。
 エレベーターに乗ってみると、みんなが俺を中心に陣形を組んでるみたいで可笑しいし、俺にはこれだけの支えがあるんだって視覚的に励まされる。車の定員のためか摩美々は外してこそいるが、『ずっと見てる』って、その言葉もあって、今も腕をとってくれているような気さえする。だからこの現況にあってはアンティーカの全員が俺のサポートアイドルだ。どんなSSRIだって束になっても歯が立たない、最強の処方。自らを鼓舞し、部屋の前に歩を進める。

「……プロデューサーは、大丈夫?」

「わ、わたしたちの考えすぎだったら……
ごめんなさい……」

 ……?

「わー、すごい『わかってません!』って顔!
……あのね? 三峰たちは、『プロデューサーの体調は大丈夫ですか?』って聞いてるの
無理はしてませんか? 大丈夫ですか? の意味ね
──ここまでおっけー?」

 無理はしてないし、元気だと答えると、言い切る前に被せるように三峰から『ダウト』宣言された上、霧子には「いつもより、顔色が……」と言われてしまった。敵わないな。
 引っ張って来られたときは面食らったが、みんなで俺のことを考えてくれて、慎重に導き出した手段なんだろう。社用車のキーがその手にあることからも、性急な独断先行じゃなく、きちんと相談を経て筋を通してきたらしいのがわかる。今週が復帰のための区切りなのも、すっかり知った上で。

「──何かあっても、何もないよと笑って全てを背負い込む……
……その優しさは、正直に言ってしまうと少し悲しい」

 俺なんかのために、と言いかけて、咲耶が向き直る。

「アナタが背負うもの、私たちには想像しきれない
私たちが笑っている横で、大きな責務を負っているのだろう
だけど……だからこそ……
アナタの頑張りを、なかったことになんて、しないでほしい」

 何かあればすぐに気付き、それとない、しかし涙が出るような優しさをくれるこの子たちは、ちゃんと俺に寄り添って背中を押してくれるし、一方で身を案じて踏みとどまってもくれる。
 だが、ここで引き返すつもりは毛頭ない。無理なら通させてもらう。

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「……はいはいわかってますー
これは確かに無理だけど、今必要な無理なんでしょ?
三峰たちのかっこよくて頼れるプロデューサーでいるために
今しなくちゃいけない無理
……ねぇ?」

 ……『かっこよくて頼れる』に相応しいかどうかは俺にはわからないけど……一応。

「それでもやらなきゃって思うんだったら──
それがプロデューサーにとって、必要なことなんだったら
三峰たちは、止めないでおいてあげる
目をつぶっててあげる」

「助かるよ
俺の気持ち……汲んでくれて」

「……そんな大層なものじゃないよぉ
三峰は、ただ鬼みたいなこと言っただけ」

 見ていてくれ。危なっかしくない── みんなが安心して頼れるようなプロデューサーになるから。

 入り口に相対する。鍵を挿し込んで捻り、ドアノブに手を掛けた── 少し震えている気がするが、きっと緊張じゃなく武者震いだな。

 ──きっと、きっと。

 きっと、何気ない所作のはず。けれど、俺の心臓は思いの外跳ねた。……何気ない所作のはず、なのに。その時確かに……怖いと思った。
 ドアの向こうに感じる、いるはずもない誰か。薄暗く沈んだ陰りの中にチラつく人影。なぜかはためいているバルコニーのカーテン。廊下の奥から、昼下がりの陽気を孕んだ微温い風が抜けてくる。
 壁に映るのは酷いナイトメア。窮屈な部屋に不意に届くオト。振り向いた影が手向ける未来は悲劇? それとも……

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 途端に、黒い影が襲いかかってきた。息を呑む。鍵が掛かっていたはずだ。誰なんだ。お前は一体どこから。そんなわけは。揺らめく絶望の、本当の姿を見抜けば。鈍痛。錯覚を起こす目眩。鉄の塊。赤。堕ちていく。身体が崩れる。曇った視界の向こう。口枷。暗転。スーツ。拘束。動かない。苦しい。淀んだ空気の中で。隔てられて、霞んで見えない。触るな。立てない。やめろ。何をする。何を。熱を持って爆ぜる。割れる。痛い。冷たい。熱い。頭が。息を。怖い。何処だ。違う。苦しい。意識を。もう駄目だ。鞄。危険が。みんな。俺のせいで。不安定、何もかもが。躊躇って佇んでしまえば、伸ばさず下ろした手の中に何が残るのだろう。落ち着け。踏ん張れ。無様だと捉えるのか、抗いと感じるのか。呼吸を。血なんて。痛みなんて。ああ! まだ見えなくてもきっと、たどり着くものがある。そうさ、何度だって声をあげながら行くんだ。裂ける。どうだっていい。不可能から可能性に。立つんだ。一人でも独りじゃない。立て!奪わせない!絶対!逃さない!渡さない!何処の誰にだって!力いっぱい!帳ヲ割イテ!そこか!お前が!俺が!大事なアイドルの!守らなきゃ!何処へいった!摩美々は!摩美々?逃げろ!来るな!摩美々!摩美々!摩美々!摩美々!摩美々!

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「摩美々!!!!」

 蜃気楼の腕を引こうとして、いつしか、俺はドアを明け放っていた。二、三度浅く区切った呼吸をつき、無意識の行動に驚いて凪いだ心拍が、またゆっくりとテンポを上げていく。
 ドアの向こうに感じる、いるはずもない誰か。薄暗く沈んだ陰りの中にチラつく人影。なぜかはためいているバルコニーのカーテン。廊下の奥から、昼下がりの陽気を孕んだ微温い風が抜けてくる。
 シーケンスの切り替わったデジャヴのその先。黒い影が襲いかかってくることはなかった。

 玄関から迷い込んだ陽光に照らされて、舞い立った風塵が淡いイルミネーションのように瞬いている。スパンコール・シャンデリアめいた光芒を遮り、玄関に踏み込む。
 耳を澄ませると地上から微かに、放課後らしき通学路の賑わいと、閑静な住宅のチルアウトがこんがらがったような街の音が聞こえてくる。
 振り向くとみんながいた。憑き物が取れた俺の表情を見て、それまで祈るように硬く結んでいた掌を解き、力強い笑みで見送ってくれる。予定調和はない。在ったのは揃いの気持ちだけ。見渡せば、紫の蝶が舞ってた気がした。

 クライマックスの予感がした。俺は部屋の明かりをつけないまま廊下を歩いていく。斜照を拾ったフローリングの耀きが奥へと案内してくれるのに随行して、足元の感触を確かめるように、一歩を超えてまた一歩と進んでいく。踏み出せたよ。不思議と穏やかな気持ちだ。
 部屋に着いた。──刹那、一段強い風が吹いて、空を隠していたカーテンをざわっと持ち上げた。

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 気流に押し避けられて大きな翼みたいにはためいた幕の向こうから、茜色に色付きつつある光が飛び込む。
 今日までの軌跡、点と線が描いたこの景色は、何一つ当たり前じゃなくて、だからこそ全てが愛しくて。

 君色の羽が羽ばたいているかのような眩い窓辺。その手前に、赤よりも青く、青よりも赤い、複雑なパープルを見つけた。
 グラデーションに染められたこの空をキャンバスにして、その親愛なる『幻惑のSILHOUETTE』を目でなぞる。
 さあ、希望を迎えに行こう。誰にも掴めない、捕まらないかのように思える蜃気楼に駆け寄って──

 ──俺は強く抱きしめた。

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「ふふー、ふふふー」

 ──捕まえた。
 胸の中に泣き濡れた明眸がうずまる。

「全く、嬉しそうに笑って
いつまでたってもイタズラ好きだな」

「はい、なんといっても悪い子ですからねー」

 スーツへ涙を存分に吸わせて繕った、満面のしたり顔で。

「だからぁ……
これからもずーっと、まみみのこと見張ってて下さいねー、プロデューサー」

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