ショートショート:私と白繭
気がついたら、私たちは
一つ下の次元の世界にいるみたい。
周りを見ると、はるかに高い高い壁がゆるやかに蛇行しながら続いている。その質感は、奥はコンクリートのように硬いけど表面はなだらかな黒革で包まれているような、そんな壁がどこまでか続いている。
そっと爪を入れたら傷つきそうで、ただ少しの傷が入ってもびくともしない壁を伝って、広くて暗い空間が広がってることを感じる。何故蛇行してることを知ってるのか、その理由も分からない。
そう、ここにいることに意味はないのだ。深い話があって放り込まれたわけでもない。少なくとも、記憶にはもっともらしい理由はないはずなのに、眼前に広がる異空間は本物そのものらしい。
少しだけ時間が経つと、周りが少しずつ見えてきた。周りには誰もいない。なんの音も聞こえない。ただ、この時間だけは変わらず存在しているようで、緩い気温の中で超えることもできない高い壁の横で座り尽くした。
私は、私には、この状況はよく分からないけれど。
自分の頭で理解できないようないかなる状況になると、全ての理由を求めてしまう。気づけば変な場所にいただけなのに、どういうストーリーがあっただの、自身の善悪が招いた結果だの、後から色んなものを貼り付けようとする。
だから、今日も何かを貼り付けようとした。
"ここは私の欲深さかを表した大きな壁"
"色んな場所に繋がるよう願った、だだっ広い空間"
"この真っ暗闇の中の、ちっぽけな存在"
増えるレッテルに、自身の体が包まれていく。外側から人が作り出した偽物の白繭になっていきながら、私は繭の中でどんどん溶けていき、成体になろうと目指す。
立派な体を作ろう、自由な世界を見よう。幸せな素体に自分自身の未来を乗せていこう。誰も来ない世界に永久に与えられた時間を駆使して、一つ一つ壊れないよう拘って成体を仕上げていく。
でも、私って何者だったっけ?
私は外側のレッテルを1つずつ捲って眺めてみた。どこか戯言のようにしか見えなくて、そっと戻して次を捲る。私が貼り付けたのか、誰が貼り付けたかも分からない。その枚数の多さが嫌になって1つずつ捲り落とそうとすると、だんだん内容の重たさに気持ち悪くなっていく。
きっと、何者か分かんないけれど。この重たさは誰かがどこか望んだ1つの片鱗で、簡単に捨ててはいけない大切なものかもしれない。
そんな適当な憶測を付けては、剥がしきれなかった白繭から私は足を生やした。羽のない虫のように、何も見えない中、ただ動こうと頑張ってみる。
気づけば壁にぶつかり、少しばかり床に転げる。子供の頃のボールプールみたいに、クッションの効いた床材にそっと支えられる。起き上がって前に進まないと、私は体制を立て直し進み、そして何度も転げながらしっちゃかめっちゃかに進んでいく。
何回も転けているうちに、体が痛くなってきた。次は、次こそは転けないよう、壁に白繭を擦り付けながら終わらない道を進んでいく。繭になる前に触れた、革のような壁の質感を少しだけ思い出した。
この道は、どこにも続かないのかもしれない。初めはそんな不安に包まれながら、道を歩んできた。
"ボールプールが懐かしい。遊ぶのは楽しい。"
"何も分からなくて、ただ痛い。痛いのは怖い。"
"どこかに進むと落ち着く。"
"自分で前に進めると、とても嬉しい。"
楽しい、怖い、落ち着く、嬉しい、落ち着く、嬉しい、ただひたすらに気持ちを繰り返し、道があるかなんていうのは段々とどうでも良くなってきた。私には、理由を考えて貼り付けたレッテルより、そこにある本来の感覚が心地よかった。
ある日、突然体が軽くなった。
体からハラリと剥がれた白繭が、ガツンと音を鳴らして床に落ちる。とても軽そうに見えたけど、そんなに重たかったんだね。ガツン、ゴトンと落ちていく繭に、前に進んだ時のような嬉しさを感じた。
考えてみれば、初めてこの空間に来た時の不安はどこかに消えていた。殆どの白繭は私から剥がれたみたいで、
久しぶりに見えた外の世界は真っ白に光り輝いていた。
この眩しい世界を、もっと高いところから見てみたい。私は、静かに空へ飛び立った。
そしていつか、1枚のレッテルが落ちていった。
地上から、小さく"パリン"と音が響いた。
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